第53話 真田丸

 信繁と仁左衛門が、無事大阪城に辿り着いてから間も無く、

徳川家との初戦を前に軍議が開かれた。

 軍議には信繁の他、後藤又兵衛、明石全登、長宗我部盛親

毛利勝永などの壮々たる武将が出席した。

 当初、信繁達は徳川の本隊が来る前に畿内を制圧し、西の

徳川に味方する勢力を分断する策を秀頼に進言した。

 しかし、大野治長ら秀頼の側近の家臣達からの猛反対に遭

い、結局籠城にて徳川の本隊を迎え撃つという方針に決定し

た。


「治長の腰抜けめ!戦がまるで分かっておらん」

 軍議の後、又兵衛が憤慨しながら廊下を踏み鳴らす。

「まあ、決まった物は仕方ありません。籠城の為の布陣を考

えましょう」

 後に続く信繁が又兵衛を宥める。

 又兵衛が足を止め、信繁に向き直る。

「ふん、お主の事だ、何か悪巧みを考えておるのだろう」

「悪巧みではなく、策と言って頂きたいですな」

 信繁は不適な笑みを浮かべ、又兵衛に会釈すると自身の屋

敷へ戻った。


 その夜、信繁は自室に籠り見取り図が描かれた紙面を前に

一人思索に耽っていた。

「父上、お梅です。入って宜しいですか?」

 信繁が許可すると、茶を淹れた湯飲みを盆に載せたお梅が

部屋に入って来た。

「お梅、まだ休んでいなかったのか」

 信繁が娘から湯飲みを受け取り、茶を一口啜る。

「‥‥それは、何の絵図ですか?」

 お梅は父の手元に広げてある紙面を見て、首を傾げる。

「これは佐助達に調べて貰った、この城の見取り図じゃ」

「大阪城の–––––」

 お梅は見取り図を見つめ、以前にこれと似たような形の絵

図を見た様な気がして、暫し記憶を辿った。

「南に‥‥‥南に作れと」

 信繁が驚いてお梅を見る。

「何と申した–––––お前これを見た事があるのか?」

「九度山で襲撃を受けた日、じじ様が夢の中でこの見取り図

の様な絵を描いておりました。そして‥‥南に作れと」

 信繁は息を飲み、暫し言葉を失う。やがて、片手で顔を覆

うと堪えきれずに笑い出した。

「父上?」

 お梅が怪訝な顔で笑う父を心配そうに伺う。

「困ったお方だ。まだ成仏していないと見える」

 信繁がそう言いながら、筆を取り見取り図に黒く塗りつぶ

した丸を入れた。

「それは、何の印ですか?」

「これはな、我が真田家の秘密兵器、真田丸よ」

 信繁が子供の様に瞳を輝かせ、お梅に語りかける。

「ここに小さな砦を築き、徳川勢を迎え撃つ」

 お梅は合戦に臨む父の喜ばしげな横顔を見ながら、これが

真の父の姿なのかと内心戦慄した。

 九度山ではいつも柔かに接していた信繁は、およそ戦の様

な血生臭い事とは無縁の人物に見えた。

 しかし、あの日九度山で伊賀の忍び達から襲撃を受けてか

ら、信繁は優しい父親の仮面を脱ぎ捨て、一塊の武人として

瞬く間に変貌してしまった。

 それを幾分寂しく思ってしまうのは、自分が女子であるか

らなのか‥‥‥

「父上、お願いがございます」

 お梅は修羅の道に踏み出す信繁に、ある決意を込めて願い

出る。

「私を戦の一兵としてお加え下さい」

 信繁が驚いてお梅を見る。

「馬鹿を申すな、戦は遊びに行くのではないぞ。女子のお前

を連れて行くなど出来る訳があるまい」

 お梅は懐に忍ばせていた小刀を取り出し、刀を抜くと自身

の髪を肩口で切り落とした。

「何をする!」

 信繁が慌ててお梅から小刀を取り上げるが、切り落とした

髪の束はぱさりと床に溢れ落ちた。

「髪を短く束ね鎧を付ければ、大助と同じ様に見えましょう。

いざとなれば、影武者に成り代われます」

「お梅‥‥‥」

「父上はこの戦に全てを賭けて挑まれるお覚悟でしょう。も

はや、それをお止めは致しません。しかし、父上がこの戦で

討ち死にされたら、後に残る家族は如何相成りましょうか?」

 信繁は僅か十三歳の娘が戦後の事まで慮り、自身の家族の

行く末を案じている事に感銘を受けた。しかし、だからといっ

て、可愛い娘を荒くれ共の集う戦場に連れて行くのは父親とし

て絶対に否という他に無い。

「お家の為に大助を守りたいという其方の想いは、しかと分かっ

た。しかし、お前を戦場に連れては行けぬ」

「父上」

「この話はこれ迄じゃ、もう休みなさい」

 信繁はお梅に背を向けそれ以上の訴えを拒否した。

 お梅は床に落ちた髪を拾い集め、袂にしまい込むとそのまま

部屋を辞した。

『正門が駄目ならば、裏門から–––––』

 お梅は別の手段で戦に潜り込む方法を考えながら、信繁の部

屋を後にした。


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