第3話 再会
声に心臓を託しながら、俺はなぜかセダンの運転席でもたれていた。大音量のロックが鼓膜を激しく揺らして、夢見る俺の肩を揺さぶる親友みたいに、現実世界へと眼をまた覚ましてくれる。バックミラーには一台の大型トラックと、その前を横切る道路があった。トラックの中の飯田の動きが微かに見える。マスクとサングラスで顔を隠しているが、姿勢だけで精神が安定な事は明らかだった。人を殺すというのに、これほど日常生活に馴染める奴は見た事がない。いや、そもそも俺は人が死ぬところも見た事がないし...俺はいったい何をやっているんだ?
ただ時の流れに身を任せていた俺に、「まさか、本当に殺しはしないだろう」と思っている一部があった。あの時の俺にはありえなかった状況へと、自ら歩きこんでしまった。
しかし、もう少しで、それも普通にあり得る、単なる日常生活へと変わる。それはなぜか?自分が他人の地位をもう超えたからか?
「さん」
飯田がシートベルトを付けるのが分かった。
「に」
もう考えてる場合じゃない。
「いち。加速」
飯田と俺、両方へと流れてた声の支持で作戦は実行された。狭い横道を滑走路として、飯田はアクセルを全開にしていた。大通りへと出た時、何に当たるか解るはずがない。ありえない。それでも俺のバックミラーを目指して拡大していくトラックの姿があった。そして、ハンドルを加減なく握る手の皮膚がはがれるかと思い始めた時、俺は息をはっと吸って後ろを向いた。衝突音は一瞬遅く、宙で回転するトヨタセンチュリーの敗亡に加わった。その中で窓ガラスに手を当てている二宮と、一瞬眼が合った気がした。だが、その気も消える霧のように存在感をすぐに無くした。向かいのビルの角にトヨタの前輪がぶつかり、トラックがひるまずハサミ切りを完成させた。血吹雪とエンジンオイルが、潰されたフレームから歯磨き粉ごとく壁へと握りだされた。
そのまま俺の待つ場所へとトラックは止まり、鼻血で顔を見事に染めた飯田がこぼれ落ちた。ふらつきながら立つその体をセダンの後ろ席に放り込んだら、今度は俺が加速する番だった。次の曲がり角で右に曲がり、遠くまでまっすぐに逃げた。そう、全てを置き去りにして俺は逃げた。源四郎の血が垂れる壁からも、昔の自分からも。
あっという間に飯田の家にたどり着いていた。春奈と健二は挨拶の一つもなく俺を迎えてくれた、っていうか迎えてくれなかった。なぜ俺が運転するはめになったのかはだいたい分かるが、それを悔やむ自分はとうの昔に置いといていた。驚いた。飯田を憎いと思ってみようとしても、畏敬の波が脳を包んでしまう。バカみたいな半笑顔をかざしながら二人の座るテーブルの前で固まってしまった。耳から血が噴き出るぐらいの爆音の音楽に合わせて踊りたいのに...病院へと送った飯田もこんな感じか?
解放されてしまった。自分が愛しくてしょうがない。
気付けば俺も春奈と健二のテーブルで座る生活を送っていた。仕事がなくても飯田の謎めいたお金があれば大丈夫だ。そういえば辞表も提出していなかったなー。まあいいや。
「あのさ、飯田ってどうしてそんなに金持ちなんだ」
春奈がやっとこっちに顔を向けた。
「海外の宝くじを当てたんだと思う」
「え、じゃあ本当はどうなのかは知らないのか?」
「言ってないから」
「そう」
暗黙に戻った。座ってばかりでいるとなんだか不健康な感じがする。最近はジムにも行ってないしな。春奈をチラ見してから誘うのを辞めて、一人で散歩に行った。
そこら辺の道を歩くのは初めてだった。たまに通りかかる犬の散歩以外、車が当分の間は散歩の相棒だった。
だが車とも別れて、俺は川の流れる所まで着いた。アニメとかでよく見るあれだよ。川の両側に柔らかい芝生で覆われた川岸が、なめらかな放物線を描いて上の歩道まで繋がる。顔を川へと向けながら、その歩道をたどった。世界の頂点に立っている気がして、俺以外の音は耳障りでしかなかった。俺の「自然の音観賞」に声の割り込みもなく、そのままで良かった。
代わりに、同じく散歩中の人の息や、その靴が砂利を崩す音で気が散ってしまう。そういや考えてみれば川の音も大したもんでもないよな?水道の蛇口の方が面白い音でるわ。
今の俺には外部の音なんて捨てられる存在だ。いずれかは、声をも捨てられる。
「どうかしたのか?」
「いや」
は?なんだ。声が喋ったのかと思って返事したけど、ただの人じゃないか。四十代半ばの男が俺の横で立っている。俺よりは少し背が高い、180センチぐらいだろうか。短い髪の下には一見目立たない顔があったが、眉としわの動きにはそれなりの渋さがあった。そうだ、何かあいつに似ている。西島秀俊に似てやがる。
「なんですか」
普通な、通常を超えて目立たない問いの筈だったが、何かを間違えたようだった。西島は答えなかった。俺の売っている「普通でつまらない新谷春木」に興味がないのなら、どの新谷春木を買いに来たんだ?
切なさを眼に映らせ、自分にしか理解できない記憶と気持ちで俺をじっくり見つめた。俺には言えない事を解っている感じだった。何だ。教えてくれ。声になにか言われてるのか?
「おい、なんだよ!俺になにがおきるんだ...」
「ごめん。人違いだった」
ゆっくりと、深く響いた声で俺達の会話を終わらせた。いや、会話と呼ぶにはいかにも一方的で、それでも戯言と呼ぶには意味がこもり過ぎていた。散歩の脱線だった俺を残して、西島は歩き去ろうとした。だが、三歩進んでからまた止まり、首を回してこっちを向いた。
「春木、お前は実に面白い。もっと、真の自分を売りに出した方がいいよ。いいか、お前はもっと特別になれ。あと、由美をよろしくな」
最後は微笑みを照らして言った。そして、突如訪れた真昼の幽霊は俺を置いて、どこかの日陰へと帰った。
「おい、聴いたか?春木がなんか変なおじさんにあったらしいよ。だからそっとしておけだって」
「そう」
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