白雪姫の眠りのように
明日葉叶
第1話 後悔とデートと自殺の練習
僕らを乗せたトロッコは、ゆっくりと確実に意地悪に輝く真夏の恒星に向かって昇っていく。金属がきしむ音がなる度に、眼下の光景も相まって、心臓が飛び跳ねる。汗が冷たいと思ったのは、割と天国に近いところまで上り詰めたせいかもしれない。
冷静に自分の心境を分析している場合ではない、でもどこか他人行儀に自分のことをみているのは確かだ。あの日、今、僕の隣に座っている瀬戸内雪菜を見殺しにした時のように……。
ひどく後悔している。なんせ、僕が一番嫌いなアトラクションに乗せられているのだから。
かたり。と、進行が止まって、それでもなお太陽は僕らより角度を保って地球をギラギラと焼き尽くす。
「おっひょっ。ついにくるね」
はじけるように笑う顔は死人とは思えない。
そして、どういう事情で笑っていられるのか。
二週間前の僕よ。君は知っているかい?
この世界には、見過ごしちゃいけないこともあるって。
君は知っているかい?
この世界には人間が死への恐怖を味わうために作り出したとんでもない乗り物があることを……。
一瞬の間に、景色が後方へ飛んでいく。
風が顔に衝突する。何度も何度も。
止まることのない連続した恐怖。乗っている人たちの悲鳴は轟音にすべてがかき消されていく。
急降下したかと思えば、急なのぼり坂を円を描いて回っていく。ぐるっと一周した時には、僕の意識もぐるっと一周していた。
地に足がつく感覚がこれほど安堵したのはおそらく初めての経験だ。二度と乗らないあんなもの。
気が付いた時には、遊園地内の休憩所にいた。休憩所ってなんだよって笑われてしまってけれど、休憩するところなんだから休憩所だろ。内心毒づく。
「どう? 少しは気分良くなった?」
「おかげさまで」
「よかった。あのまま死んじゃうんじゃないかっておもった」
また笑っている。
「それって僕への当てつけのつもり?」
「まさか。これも練習だから。死ぬための」
「練習したって恐怖心には勝てないよ」
「そう? 少なくとも練習しないとうまくはいけないでしょ? もしかして、やっぱり怖かった?」
心配そうに僕の顔を伺っているのだろうけれど、どうにもそれを素直に受け取る気になれなくて「怖いわけないだろ」と目の前のミネラルウォーターに口をつける。
澄み切った透明な味が口に広がっていくのと同時に、彼女が嫌な笑みを浮かべた。
「じゃあさ、もう一回行ってみる? ずいぶん楽しそうだったしね」
心臓が縮むのを現実的に感じて、全身から冷汗が出るのを抑えられない。目の前の天使はやっぱり死神だ。僕は余計に二週間前の僕に呪詛を唱えた。
それにしても……。
「楽しそう?」
死ぬような思いと内臓が宙に浮くような不穏感に、人間が作り上げた文明の利器の中で最も不条理な乗り物に対して嫌悪感は抱いたとしても、僕がそれで楽しむことはありはしないはず。
僕の顔を見ながら小さい鞄をまさぐる彼女を見て、僕は母さんの言葉を思い出した。
目は口ほどに物を言う。
「だってほら、私なんて目をつぶっちゃってるのに、葉月君はなんていうか、その……」
笑っているとはいいがたいけれど、細くした目が緩く八の字を描いている。……あぁ、なるほどね。
「よく言われるよ。なんでいつも笑っているのかって」
「どうして? 本当は怖かったの?」
「なんていうか……」
言葉に窮した。僕の言葉が彼女に届くのか微妙な気がして。
「恐怖心ていうのは怖いと思っていたからって目の前から去ってはくれないよ。子供の頃もそうだったでしょ? 転んで痛いって泣いたところで何も解決はしない。だから笑うんだよ。そうしてさえいれば恐怖の方からあきれてどこかへ行ってしまうんだ」
「なんか、深いね。昔何かした?」
何か、か。僕はそんな話をするほど目の前の彼女に心を許してはいない。そもそも、話したからといって何が変わるというのだろうか。何も、誰も、変わりはしない。
「別に」いつかのニュースで女優がそんなことを言っていた気がした。それを言ってから思い出して、はっとした。その女優がそのあとどうなったか……。
「何その言い方? こっちは心配してるんだよ」
そんなのそっちの勝手だろう? などとは言えない。僕は二週間前に彼女を見殺しにした殺人犯なのだから。罪滅ぼしもかねて、僕はこの休日を彼女のために潰しているのだから。
「ごめん、そんなつもりじゃなくて」
「いいよ。別に謝んなくて。あー、心配して損した」
カラン。と、彼女が飲んでいるオレンジジュースの氷が融ける。かれこれ三十分は小休憩をしている。そのまま終わってくれれば任務完了ということで、僕としてはありがたいんだけれど、現実はそうはいかないらしく、メニュー表を開いて彼女はウェイターを呼んだ。おなかが空いたらしい。
生憎僕は、携帯や腕時計なんていうものを持っていない。欲しくない。単純にそれだけだ。だから、彼女の背後にそびえる白い時計で時間をチェックする。時刻はあと5分くらいで正午。午後は長そうだ。
「葉月君は? 何か食べる?」
目の前の彼女は僕の心理的防衛線をまたしても侵略してきた。防衛線には兵士一人立ってはいないし、地雷があったとしてもそれは爆発できない。どうしたものか……。
菜食主義者で通そうかと事案したけれど、そもそも僕は食べ物を食べない。いらない。
「僕はいいよ。君が食べたいものを食べればいい」
「君って何?」
メニュー表を閉じてテーブルに伏せた彼女は、不思議そうな顔をした。
「お前じゃ不快感。君じゃ疎外感。日本語って難しいよね」
「じゃあ、私のことは名前で呼んだらいいよ。私も葉月君て呼んでいるわけだし」
なんとかうまく話が誘導できたことで安堵して、僕はあいまいにうなずいた。
まぁ、今日だけの関係だろうし、適当に流しておけばそれでいい。
何かの葉っぱに見立てた木のお盆に並べられた名前もよくわからないおしゃれな食べ物の数々が運ばれてきて、彼女は目を輝かせた。女の子が食べる量にしては異常だと思うくらいに種類もある。僕がわかる範疇で説明すれば、色鮮やかな野菜のサラダと、ピザくらいかな。あとはなんだかよくわからない。
目の前の行為の直視を僕は避けていた。僕に欲求なんかない。そんな汚れた感情、僕の中にあってたまるか。でも、だから、見れない。見てはいけない。
おなかが軽い。しおれた風船みたいな感覚は日常茶飯事で、いつもそれを水で誤魔化していた。
「どうしたの? 具合でも悪い?」リスみたいに頬を膨らませた彼女は、かろうじて聞き取れる発音で口をもごもごしていた。
「なんでもない。大丈夫だから」笑ってごまかす。
「じゃあ次はなんの練習するか決めといてよ」
「練習って」
ようやく口の中の食べ物を咀嚼して、飲み下した彼女は平然とその言葉を口にする。今日で二回目のその言葉を。
「自殺の練習」
通りかかった家族連れはぎょっとした視線で僕たちを一瞬凝視して、何事もなかったように去っていった。
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