第6話 忍と少年
「おはようございます徳様!ぐっすり眠れましたか?」
翌朝起きると、太陽はすでに真上に昇っていた。だいぶ寝過ごしてしまったようだ。それに『起きたら夢だった。』ということにもなっていなかった。日は出ているが如月の空気は寒い。部屋に誰かが火鉢を置いてくれたみたいで部屋の中は温かいが、襖を開けると冷たい空気が徳の肌をかすめた。
「おはよう千代…。……え、まさかずっと部屋の外にいたわけじゃないよね?」
「はい!さすがに夜通しはやめろと松殿に言われたので、朝日が昇りだしたあたりからこちらで徳様が目覚められるのを待っておりました!」
はきはきと笑顔で答える千代に徳は気が遠くなる。しかし、
「別に平気ですよ。むしろ、…徳様がまた目覚められないのではないかと、気が気じゃなく…、お傍に居たかったのです…。」
「…うぐっ……。」
そう言われたら叱るに𠮟れない。
徳は千代の冷たくなった手を引き、戸惑っている千代を無理やり火鉢の前に座らせた。そして先ほどまで自身が布団代わりに使っていたまだぬくもりが残っている夜着を千代の肩に掛け、千代の手は自身の手で温める。
「と、徳様!いけません!私の手は冷たいですから…!」
「だからでしょっ!千代が風邪ひいちゃうじゃん…。寝坊した私も悪いんだけど…、もし次から待つときは、部屋の中に入って待っててちょうだい…。」
「…ヒョッ…」
変な声を発っしながら千代は固まった。疑問に思いつつ千代を見つめていると――
「と、徳様ぁ…!やはり、変わらず徳様はお優しいお方ですっ……。千代は、千代は一生徳様に付いていきまする!」
千代の大きな猫目から涙がぼろぼろと流れた。身体を思いきり近づけてきた千代に、徳は思わず手を握ったままのけぞる。圧がすごい。圧が。
「千代の徳好きに拍車がかかったぞ。」
ビクッ
急に響いた子供の声に徳の身体が跳ねる。横を振り向くと、当たり前かのように一つ目小僧の菊介が共に火鉢をかこっていた。
「こら、菊介!急に出てくるなといつも言っているだろう!徳様が驚いてしまわれる!!」
「え、ご、ごめん徳。わざとじゃないんだ…。」
「い、いや。別に…」
「徳様ー!朝餉をお食べになりますかー?」
この城は結構にぎやかだ。急に現れた菊介に驚いた心臓が落ち着く間もなく、襖の外から呼びかけられた。
「あら、身体が遅いわ…。菊介、いるんでしょ?開けてくださらない?」
「分かったー。」
「こら!お前たち!こういう時は徳様に許可を取って開けるのだぞ!というか、菊介も、勝手に入ってはならんのだ!」
千代が菊助に注意するが、すでに菊介は襖を開けた後だった。襖の外からは美人な女性の顔だけがぷかぷかと浮き、こちらを見て微笑んでいる。
「徳様おはようございます。朝餉の用意は出来ていますが、お食べになりますか?」
「………うん。食べようかな…。……ていうか、梅はろくろ首だったんだね…。」
幼少期の頃に見知っていた梅だが、首が伸びるのは初めて知ったぞ。
「まぁ!言いそびれていましたか!?申し訳ございません…。」
「いや、別に謝ることじゃないんだけど、初めて見たから…。」
「まぁまぁ…!それは、梅が人間でも妖でもどちらでもよいということですか!?」
「…?そうでしょ。何その質問。」
「徳様…!梅は嬉しゅうございます。」
「徳、徳、菊助は?菊介も人間じゃなくってもいい?」
「菊助も人間じゃなくてもいいよ。っていうか、なんで?ここで生活しているんだから、みんな家族みたいなものでしょう?」
「徳!大好き!」
「私だって好いております!」
「千代の方が大大大好きなんですー!」
「うわぁ!」
菊助、梅、千代が次々と徳に抱き着く。徳は支えきれず後ろに倒れこむが、その隙にと言わんばかりに、大小さまざまなサイズの妖たちが再び徳に群がった。
「ちょ、ちょっと!またこのパターンっ!?というか、こんなにどこに居たのさ!」
湖に落ちる前の記憶は曖昧なことも多いのだが、そういえば昔からこうだったな、と埋もれながら記憶を思い出す徳なのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お帰りなさい、
「はい。ただいま戻りました。母上。」
屋敷の表門を入ったすぐの場所で、戦帰りの鎧姿で馬を引いている少年を女性陣が出迎えていた。年齢的なものや話しからして中央にいる人が少年の母親なのだろう。少年は母親に顔を見せるでもなく、逆に被っていた陣笠を深めに下げ、顔を隠す。
「小田原ではどうでしたか?」
「別に…。まぁまぁです。」
「ほほほ。戦に勝ってきたというのに、まぁまぁですか。あなたがかの戦で大いに活躍したとの話は聞いていますよ。」
「…父上や兄上ほどではありません。」
「ほほ。謙虚なことよ…。ほれ、みな。信繁の世話を…――」
「母上。私は自分の世話は自分で出来ます。考えたいこともありますので、食事も自室で摂りたく存じます。」
「あれ、せっかく我が子のために侍女の顔ぶれを変えたというのに、この者共も気に入らぬか?」
「……とにかく、私に侍女は必要ありません。」
戦から帰ったばかりの信繁は、母親との会話も早々と済ませ自室へ急いだ。身体をまとっていたズシリと重い鎧を無造作に畳の上に転がし、自身も畳に寝転がる。目を閉じると戦場の風景や先ほど会話をした母親、その周りの侍女の姿が瞼の裏に映り胸やけがする。
「…はぁ。」
「――…主様。」
「…なんだ。」
「入りますよー。」
「……。」
まだ返事を聞いてもないのに、声の主は信繁の部屋の襖障子を開け、勝手に中に入ってきた。
「…母上君は相変わらずだね。帰ってきたら侍女総入れ替えってね。」
「……。」
「気に入った子はいた?」
「…佐助。」
「冗談だよ。」
「……あの侍女らの目を見たか?ギラギラさせていて気味が悪い。母上も母上だ。誰でもいいからと、何とかして
「相当早く世継ぎが欲しいんだねー。…まぁ、無理やり誰かを正妻として迎えていないだけ良いんじゃないですか?」
「それについては父上にしっかり話はつけている。なのに、母上は側室でもと、俺の周りに
「まぁねぇ…。真田家の次男ではあるけど、武将としての地位もあるし、尚且つその麗しいみてくれだからねぇー。」
「……はぁ。またここで生活するのか…。息が詰まる…。」
疲れた様子の信繁は、腕で目を隠し、瞼の裏に移る様々な光景を強制的に消すかのように意識を手放していくのであった。
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