第21話 ギルバート・ローズの断片

『今時間はあるかい?レフラー神父。』

『ローズ神父…!お久しぶりです。』



 その日、執務室の机で書類整理をしていたレフラーは、予定になかった男の訪問に驚いたのを覚えている。


『もう神父は止めたんだ。今はしがない花屋の店主だよ、教皇様。』

『それでも私にとってはあなたは尊敬に値するエクソシストなのですから、ローズ神父と呼ばせてください。それこそ、あなたに教皇様と呼ばれるのは落ち着きません。』





 レフラーは久しく会っていなかったのにも関わらず急に訪れた初老の男、ギルバート・ローズを執務室のソファへと誘導する。彼は十数年前に教会を辞めた祓魔師エクソシストだ。枢機卿という立場にまで就いていたにも関わらず、理由を述べずに突如教会を去った人物。彼の人柄や仕事への姿勢は素晴らしく、彼を慕い、尊敬していた人物は多かった。そのような男が、一報も入れずに今や教皇という立場となったレフラーのもとに訪れた。レフラーは疑問に思いながら、最後に会った時よりも皺が増え、しかし穏やかな表情となった相手へ笑顔を向けた。


『お元気そうで何よりです。』

『君も息災そうで良かったよ…。…話には聞いたが、…私が辞めて、この教会では色々あったみたいだね…。』

 急に真面目な表情で切り出された話題に、レフラーは何と答えればよいのか固まってしまった。ギルバートは前教皇が現役で働いていた際に、枢機卿として前教皇を補佐していたのだ。前教皇を破門へと導いたレフラーは一瞬返事に躊躇する。しかし、気まずいではあるが、ギルバートの様子からして自身が何をしたのか知っているのだろうと、レフラーは腹をくくって口を開いた。



『……シリル・ダウナーを教皇の座から引きずり下ろしました。』

『…奴は悪い奴ではなかったが…、もともと狡猾で自己利益のために動く節があった…。きっと私が辞めて好き勝手やり始めたんだろう…。…君の様な若い子にそのようなことをさせてすまなかったね…。』

 眉間に皺を寄せ、本当に悔いている様子を見せたギルバートにレフラーは戸惑った。

 

『そんな…、あなたが謝ることでは…、」

『奴の片鱗を早い段階で目の当たりにしていたんだ…、しかし、私はそれを無視して教会を去ってしまった…。』

『…奴の行動を止めずに助長させたあの時の組織上層部が酷かったのです…。気づいたときには腐ったリンゴのように中からどんどん浸食していた…。』

『…かなりの人が入れ替わった様だが…。よくもまぁ神のもとで働いている身であるのに、そんなにも悪事に手を染めたものだ…。』

『…あいつと共に甘い蜜を吸っていた害虫が以上にも多くて…。だいぶ上に立っていた神父が消えてしまいました…。あなたが祓魔師エクソシストとして復帰するのであれば私は大歓迎ですが…、どうですか?枢機卿は未だあなたの席は空いていますよ?』

 レフラーは軽やかに問いかける。しかし、ギルバートの表情は暗い。伏した目で口元だけ笑みを浮かべて返事を返す。




『いや、そう言ってくれるのはありがたいが、花屋が楽しくてね。…それに、孫娘からんだ。』

 そう言い終えると、ローズは穏やかな表情を浮かべ、しかしその表情とは裏腹に、真剣な目線をレフラーに向けた。レフラーは今までの雰囲気との違いに、緊張した面持ちで相手の発言を待つ。





『…孫娘のことは君も知っているね?』

『…はい…。娘さんたちのことは、本当に、なんと申し上げたらよいのか…。』

『そのことはもう良いのだよ…。私の力不足だったんだ…。君たちが気にすることではない…。ただ、』

『…?』

『娘たちの命を奪った悪魔は、もともと孫娘に引きよせらていたみたいでね…。』

『…悪魔に好かれやすいのですか?』

『あぁ…。ただ、それだけじゃないんだ…。』

『…?』

『レフラー神父。…もし、私の孫娘が教会に助けを求めた時、君が一番信頼できる、口の堅く、腕の良い祓魔師エクソシストを選んでほしい。』

『何かあるんですか…?』

『はは。相変わらず躊躇なく聞いてくるね…。私は君のことを信頼している。…だが、申し訳ないのだが理由は言えないのだよ…。』

『…。』

『私にも確証はないし、未だ理解できないことばかりなんだ…。説明もせずこの様な願い、身勝手だとは思うが…。今後、出来るだけ何事もなく孫娘には平凡に育ってほしい…。そのために私も生を尽くすよ。…ただ、その平凡が侵されるとき…、もしかしたらそれは、――…世界を破滅に導くかもしれない…。』

『え…、』

『はは。年寄りの戯言だと思っても構わん。そうならないかもしれないからな。…ただ、私は不安なんだよ…。この子の将来が…。…私が死んだ後が…。』





 








 レフラーはフォルテミア教会の議会室の扉の前まで到着すると、記憶を遡ることを一旦中断させた。一呼吸おいて厳格で大きな木製の扉をノックし、中からの返事を聞くことなく中に入る。

 部屋の中には大きな長机を囲って4人の人物ががレリーフの細かいチェアに腰かけていた。

 左奥から体格の良い褐色の男、その横にストロベリーブロンドの長い髪を三つ編みにしたおさげの少女、右奥には片眼鏡で髪を後ろで一つ結びにしている男、そしてその横には童顔だが目つきが悪く、黒髪で線の細い男。

 中に居た4人の人物を目視しながら、レフラーはキャソックの上から羽織っていたロングコートをなびかせ、上座まで歩を進める。




「遅れてすまない。――…枢機卿議会を始めよう。」

























「え…?…今からですか…?」

 エリオットの発言に、デイジーはいつものポカーンとした表情を浮かべて返事を返した。

 

「あぁ。そのことを知るにはお前の実家に行かなきゃいけないんだろ?」

 レフラーと入れ違いで部屋に入ってきたデイジーは、泣きそうな表情で何遍も体調は大丈夫なのかということを聞いてきた。問題ないという返事を何度目か行った末に面倒くさくなったエリオットは、無理やり話題を変えた。その話のせいで、というか、ためにというか、その話の流れで、今からデイジーの実家があるアダゴ村へ行くことになったのだが、その話題というのも、『なぜ神聖力を持っているのにも関わらず教会に登録されていないのか』ということだ。

 しかし、尋ねたところ、デイジー自身も何のことか分からないという意味の分からない返答が返ってきた。そして、少し思案した後に、『もしかしたら、祖父の日記にその理由が書かれているのかもしれません…。』という言葉が続いたのだ。

 なぜか不安そうな表情をしている少女をエリオットは覗き見る。





『…デイジー・ローズを守れ。それがお前の今の仕事だ。』




 先ほどのレフラーとの会話をエリオットは思い出す。エリオットはヴルカンの力を極限まで使い、そして能天使エクススアの力まで使ったのだ。身体が悲鳴を上げて目覚めない身体となっていてもおかしくなった。しかし、エリオットの身体はピンピンとしている。

 自身のオーバーフローを数秒で補ったというデイジー。

 

 基本、神聖力を持っている人は使徒として教会に登録され、成人になれば師団病院で働く。わずかな神聖力しか持ち合わせていない使徒はそれに当てはまらないこともあるが、師団病院は一般的な職業よりも給料がよい。そのため、依頼されずとも自ら病院の治療班として働く使徒が多いのだ。

 しかし、デイジーは一般的な使徒よりも神聖力を持っているにもかかわらず、きっと教会で把握していない、未登録の人物だ。――登録されていたらデイジーのことを師団病院の治療班が放っておく訳がない…。



(…それに、天使や悪魔に好かれるだけではなく、なぜ神にまで…――)



「…祖父には、誰にも日記を見せてはいけないと言われていました…。もちろん、私も見ていません…。」

 思考を巡らせていたエリオットは、ぽつりと呟いたデイジーに再び視線を送る。その表情は暗い。


「しかし祖父は亡くなる直前、信頼できるエクソシスト一人にだけ日記を見せなさいと言いました。」

「…。」

「…大体は何が記されているのか、予想はついているんです…。……エリオ神父のことは信頼しています…、…しかし、きっとその日記を読んでしまうと、エリオ神父のことを巻き込んでしまいます…。」

「…巻き込むって、何に?」

「…。」

 デイジーは言葉を選んでいるのか、躊躇しながら口を開いたり閉じたりを繰り返した。



「…エリオ神父は責任感がお在りです…。日記を読んでしまうと、今回のベルゼブブの件のように、私を救わざるを得ない状況に陥ってしまうことが今後も出てきてしまうかもしれない…。私はそれが怖いのです…。もう、誰も巻き込みたくない…。」

 そのデイジーの返事を聞いてエリオットは拍子抜けした。


「なんだ。そんなことか…。」

「何だって、私は真剣に…――、」

「あのな、俺は祓魔師エクソシストだ。悪魔に狙われている人を助けるのが俺の仕事。どのみちお前は今後も悪魔に狙われる可能性が高い。それを他の祓魔師エクソシストが救うか、俺が救うかの違いぐらいだろう。」

「…。」

「自分が犠牲になればとかいう馬鹿な考えは止せよ。お前のおじいさんはお前に生きてほしいから神父をやめたんだろう?お前はあがいてでも生き延びなければならない。…で、お前は他の祓魔師エクソシストと俺、どっちがいい?」

 遠慮がちな彼女にとっては意地悪な質問だとは自覚しているが、エリオットは目の前の少女を真正面から見つめる。アメジストの様な瞳に涙の膜を張らせ、唇をかみながら涙をこらえている少女。不謹慎だが、いつも冷静で大人びているデイジーが幼く見えて可愛らしい。







「――…エリオ神父が良いです…。」

 絞り出したような細い声で答えたデイジーの返答に、エリオットはなぜか心が温かくなり、嬉しく感じたのだった。

















◇◇◇

「ベルゼブブを祓った件については、当事者を呼ばなくては話にもならないんじゃないですカ~?」

「確かに、エリオ神父が目覚め、ジャック・ベイク神父も今は教会へ出勤できている。本人たちから話を聞くべきかと。」

「それに、規律違反をしているんですから、罰を与えないとですヨ~。」

「…それをお前が言うのか、ドウメキ神父。」

「何が言いたいんですカ?ラト神父。」



 枢機卿議会室では、話がまとまらずにピリついた空気が立ち込めていた。その空気をわざと作り出して面白がっている黒髪の男が、レフラーを見上げた。



「…それに、僕が一番気になっているのは悪魔に攫われたという『デイジー・ローズ』という女ですヨ。」

 目つきは悪いが、口元をニヤつかせて胡散臭い笑顔を浮かべている少年が、長机の上に足を乗せ、レリーフが細かくあしらわれている歴史的価値の高い椅子の足を傾ける。


「ドウメキ神父っ!行儀が悪いですよっ!!ちゃんと座りなさいっ!」

 ドウメキの横に座っていたカーライトは、片眼鏡を上げながら叱責し相手を睨みつける。しかし、当の本人はどこ吹く風でケラケラと笑うのみ。


「レフラー教皇サマ。僕らに何か隠し事をしていないですカ?」

「…隠し事?」

「…その『デイジー・ローズ』は師団病院に登録されていない人物であるにもかかわらず、師団病院にいるどの使徒よりも神聖力が強いらしいじゃないですか…。」

「なっ…、そうなのですか!?レフラー教皇!」

 ドウメキの発言にカーライトの正面に座っていた体格の良い褐色の男、ラトが驚いた声を上げた。


「さて、我々は神に選ばれし者。誠意をもって話してもらわなくては困りますヨ。レフラー教皇サマ?」

 レフラーの目の前の4人の枢機卿。その4人の視線が一気にレフラーへと注がれる。



「…良いだろう。当事者を呼ぼう。」

 レフラーは静かに4人の視線に答えた。


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