第15話 ジャスミンの花と幼き誓い(1)

「お兄様ー!!」


 フォルテミア公国の首都ルミテスの郊外、ロアン家の屋敷で草木が整えられている広い庭。その庭で、きらきらと光るプラチナブロンドの柔らかそうな巻き髪をなびかせた少女が、満面の笑みで同じくプラチナブロンドの髪の少年に飛びついた。


「おわっ!…ジャスミン…、…お前、7歳になったからお淑やかなレディーになるんだってこの前言ってなかったか…?」

「あら、お兄様?私この前、礼儀作法の先生にお淑やかになりましたねって褒められたのよ?」

「俺の知っているお淑やかなレディーっていうのは走って飛びついたりしないが?」

「むー…。だって…、お兄様に早く会いたかったんだもん…。」

「…はぁ…、で?なんか僕に用だったの?」

「うん!あのねっ!」


 ぎゅっと抱き合いながら笑顔で話をする二人は、ロアン家の長男、エリオット・ロアンと長女のジャスミン・ロアンだ。

 ロアン家は貴族ではなく商家の一族だ。しかしただの商家ではなく、代々成功を重ね、現在の当主、エリオットの父親の代になると、フォルテミア公国一の大商会へと発展し、上流階級の中でも指折りの大富豪一族となっていた。

 ロアン家は家族仲がとても良いことでも知られていた。ロアン夫妻もそうだが、言わずもがな、微笑みながら話をする長男と長女や、末の弟アレクシス・ロアンも含め、ロアン家の3兄妹も大変仲が良かった。特に長女のジャスミンは兄のエリオットが大好きで、兄に甘えている姿を使用人たちはよく目にしていた。














 その日はいたっていつもと変わらない冬の寒いある日。変わったことと言えば、初雪が降ったということだろうか。妹にせがまれたエリオットは、末の弟と共に雪の降り積もった庭の前にいた。


「うわっ寒っ…。」

「でも、ほらお兄様、アレク、雪がこんなに積もってるよ!雪だるまつくろうよ!」

「ゆきだるま?」

「あれ?アレクシス、お前、雪だるま作ったことなかったっけ?」

「じゃあなおさら作らなきゃ!」

















「さぶい…。」

「いや、言い出したのお前だぞ…。」

 兄妹3人で雪だるまをつくり終えるころには、3人ともだいぶ身体が冷えていた。末の弟は侍女たちが風邪をひいてはいけないと屋敷の中に連れ戻し、エリオットとジャスミンは、主にジャスミンがまだ外に居たいという発言によって、未だ雪だるまと雪原を眺めていた。今庭に居るのは、エリオットとジャスミン、そして付き添いの侍女1人。他の侍女らは朝食の準備の為に屋敷の中に戻ってしまった。



「う~…でも、やっぱり寒いなぁ…。」

「ジャスミンお嬢様、今暖かい紅茶を準備しております。ここに持ってくるよう伝えましたが、お身体が冷えているようでしたら屋敷の中で飲みますか…?」

「本当?流石ハンナっ!気が利く!もちろんここで飲むわ!」

「ふふ、でも、今から朝食なので、リンゴは食後ですよ。」

「うん!分かった!リンゴと紅茶の組み合わせが最高だけど、それは食後にとっておく!…よかったぁ、もう少し雪だるま見たいけど、寒かったから…。」

「…見てどうなるんだよ…。」

「もー!お兄様ったら!せっかく雪が降ったのに、楽しまなきゃでしょ?」

「はぁ…。朝っぱらから朝食も摂らずに雪だるまをつくるとは思わなかったな…。」

「お兄様も楽しんでたくせに!」

「まぁな。」

「ふふっ…。それにしても、クリスマスローズをボタン替わりにするなんて、アレクってばお洒落さんね…。」

「ははっ。確かにな…。お前が前に作った時は土を丸めてボタンとして埋めてたのにな。」

「べっ別にいいじゃないっ!それに、あの時は庭にお花なんて…――」

「…?ジャスミン…?」




カーッカーッ



 急に辺りが暗くなった。不思議に思ったエリオットは周辺を見渡す。なぜか先ほどまで傍にいたはずの侍女のハンナが見当たらない。妹のジャスミンは一点を見たまま怯えたように動かない。



「あれ?ハンナ…?ジャスミン?…どうした?…何かあるのか?」

「…ぁ…。」


 妹と同じ場所を見つめるも、見慣れた庭の景色が見えるだけ。ただ様子がいつもと違うのは、先ほどまでの冬の朝独特のどんよりとした暗さから、もう日が暮れたとでも言うような闇の近い暗さへと変わっているのだ。


「…ぁ、お、…お兄様…、逃げて…。」

「…え…?」



カーッ!カーッ!





「え…?…ジャスミンお嬢様…?」




 侍女のハンナの声と共に視界が一気に晴れる。

 霧も立ち込めていたのか、辺りが明るくはっきりと見えだした。それと共に、妹の姿が忽然と消えたのだ。辺りを見渡しても妹らしい姿は見つからない。それどころか、ジャスミンがどこかへ向かった痕跡さえ見あたらない。あるのは、先ほど自分らがこの場所に来る際に付けた足跡のみ。

 ふと鳥の鳴き声が聞こえる。草木の揺れる音、屋敷の中での人の気配。日常の音がやけに真新しいもののように聞こえ、ハッと先ほどまで無音の中に居たことに気がついた。


「…ジャ、…ジャスミンっ?」

「た、大変…、ジャスミンお嬢様が…、誰か!誰かー!!」


 


(…今、さっきの空間は、何だったんだ…?)

 ハンナが血相を変えて屋敷へ向かって叫ぶが、ハンナの声が耳元で遮断されたように聞こえづらい。心臓が嫌な音で鳴った。こめかみを冷や汗が伝う。


「………逃げて…?」

「と、とりあえず、お坊ちゃま、ここは危険かもしれませんので屋敷に戻りましょう…!こんな、一瞬にして目の前から消えてしまうなんて…、もし、誘拐だとしたらかなり手練れの…――」


(は…?)


「…誘拐じゃない…。」

「え?」

「誘拐なんかじゃないっ!急に目の前から消えることなんてありえないじゃないかっ!ハンナも見ていただろうっ!?ジャスミンは何かに怯えてたっ!何かあいつには見えてたんだよ!!それに、さっきのあの空間はなんだよっ!?絶対普通じゃない!」

「お、怯える…?空間…?」

「さっきの空間だよ!急に暗くなって、音も消えてっ!」

「エ…エリオットお坊ちゃま…?」

「急に俺らだけの空間になったじゃないかっ!ハンナも見えなくなって、音もない暗い変な空間になって――」

「っ!…エリオットお坊ちゃまっ!」


 急に膝を折り、目線を合わせて肩をぎゅっとつかんできた侍女にエリオットは言葉が詰まった。彼女の顔が真っ青になりこわばっているからだ。心臓が先ほどよりもうるさい。嫌な予感がする。瞳に涙の膜が張った。


「…今の話は、本当ですか…?」

「…え?」

「今、お坊ちゃまが仰っていた…、暗くなって、…音のない空間で、ジャスミンお嬢様がおびえていたというのは…、本当のお話ですか…?」


 声を震わせながらも、ゆっくりと、しっかり言葉を紡いでいる侍女に返事をするのが怖い。瞳が揺れているのは侍女か、自分か…。











「…うん…。気づけばその空間に居て…、元に戻った時には、ジャスミンが消えてた…。」


























「エクソシストはまだ来ないのか!?」

「フォルテミア大教会からの連絡は!?」


 急にあわただしくなる屋敷内。エリオットは大人たちの指示に従って部屋にこもっていた。

「にいさま?…みんなどうしたの?ねえさまは?」

「…分かんない…。」


 エリオットも10歳と言えど、大人たちがあわただしく動いている様子を見れば、なにか重大なことが起こったのだと察しがつく。そして出てくるワード…――


「…エクソシスト…。」

「?…エクソ…?」

「…なんでもない…。」




(…ジャスミンは、悪魔に連れていかれたのか…?さっきのあの空間は悪魔の仕業…?…ジャスミンは大丈夫なのか…?)









「来られたぞっ!!」


 突如部屋の外から大声が聞こえざわめきが増した。エリオットは部屋のドアを少しだけ開き、外の様子を覗く。アレクシスがたしなめるような発言をしているが、それは無視だ。真っ黒なロングコートの様な服を着て、ロザリオを首から下げた服装の人々が複数、執事に先導され、客間に向かっている。


(…あれがエクソシスト…?)



「…アレクシス、お前はここで待ってろ。」

「え?にいさま、どこに行くの…?ダメだよ、部屋から出ちゃだめって言ってたのに…。」

「大丈夫。でも、お前は出るな。」









 エリオットはこっそりと客間のドアの前に移動し、ドアに耳を当てる。大人らの会話が聞こえてきた。




『…お子さんが悪魔に連れ攫われたと…?』

『そうなんですっ!娘が急にっ…!』

『しかし、なぜ悪魔だと?失礼ながら大商会の主、ロアン家のお子さんでしたら誘拐の可能性も大いにあり得るかと…。』

『それも、考えなくはなかったですが…、その時、長男とメイドが一緒に居たのです。しかし、二人の目の前で、一瞬のうちにして姿を消してしまったと言うのです!…それに、長男は急に辺りが暗くなり、音がなくなったとっ…!これは、悪魔の仕業ではありませんかっ!?…お願いしますっ!どうかっ、どうか娘をっ…!』

『………魔力の強い悪魔は、闇を引き連れ、音を失くす…、か…。しかし、…おたくのお子さんが、悪魔が現れた際の兆候をご存じで、それを大人へ伝えたという可能性は?悪魔の仕業かと思えば、子どもたちが大人を騙して遊んでいるということも度々ありますゆえ。』

『なっ!…そんな子たちではありませんっ!』

『ちょっと、レフラー神父…、依頼者に対してご無礼ですよ…。』


 エリオットはエクソシストの発言に耳を疑った。

(何なんだよっ、あいつっ!)

 端から話を信用してない態度に、エリオットは無意識に唇を噛む。


『これは失礼…。いろいろな可能性を消去するために言ったまでですよ。不快に思わないでください。』

『…うちの子たちは教会についての知識はほとんどありません…。そんな子がいきなり暗くなって音が消えたと言ったのです…。私だって…、悪魔に攫われたなど、信じたくはありません…。』


 父親の涙をこらえたような声色にエリオットの胸は一層締め付けられる。そして、あまりにも冷たく、親身に対応しようとしないエクソシストに対して焦りと苛立ちが募った。握った拳が白くなる。


(…なんだんだよ、この偉そうに話している奴…。エクソシストってこんな嫌な奴なのかよ…。)


――その時廊下を歩く音が聞こえ、エリオットは焦って物陰に隠れた。話し声も聞こえだす。





「坊ちゃまたちへどう伝える?」

「…うーん、とりあえず、お菓子とお茶でしばらくごまかして、あとでマーカスさんにでも確認しよう…?」

「そうね…、下手に伝えない方がいいわね…。」



 茶器セットを乗せたカートを押しながら侍女が二人、アレクシスを残した子ども部屋の方角へ向かっていく。


(…やばい…、俺がいないのがばれるっ!アレクシスっ!ごまかしてくれっ!)







 

「…どうしますか?レフラー神父…?一度教皇様に連絡を…。」

「いや、そんなことをしたら間に合わない。何のために複数で来たんだ?」

「は…?いや、しかし…。」

「…はぁ…。…悪魔にさらわれたということで間違いないだろう。…カーライト君、君はフォルテミア教会に応援を要請しろ。他の者は俺の指示に従って罠を張れ。俺は悪魔を追う。」

「なっ、何を仰っているのですか…!話を聞く限り、序列がかなり高い悪魔です!規律を破るような勝手な行動はいけません!」

「応援をちんたら待ってたらその子の生存率がどんどん下がるだろう。少人数でも出来ることを進めているべきだ。」

「しかしっ!場所も分からないではないですかっ!」

「場所なんて探せばいい。」

「はい!?何をっ…!」

「ロアン当主様、このあたりの地図はお持ちですか?」

「えっ…、地図…ですか…?」

「はい。出来るだけ詳しく書かれている地図が良いですね。それと、お嬢さんの私物をなんでもいいので一つお貸しいただけませんか?」

「…マーカス…、レフラー神父に地図を…。それと、ジャスミンのリボンを持ってきてくれ…。」

「か…かしこまりました…。」








――バタンッ!!!


 物陰に隠れたまま侍女らの後ろ姿を見送っていると、今度は客間から執事長のマーカスが焦った様子で出てきた。そろそろ物陰から出てもよいかなと様子をうかがっていたエリオットは焦って身体を縮こませる。

 

(今盗み聞きを続行したとしても、きっとマーカスがすぐに帰ってくるし、子ども部屋に行った侍女らが捜しに来るかもしれない…。子ども部屋に戻るべきか、このまま聞き耳を立てるべきか…、…それとも一人ジャスミンを探しに行くか…――)









 マーカスは思った通りすぐに客間に戻ってきた。未だ子ども部屋から侍女らがエリオットを探しに来る気配はない。エリオットはマーカスが客間へ入った際、ドアが閉まりきる前に足を軽く挟んで中の様子を覗きこむ。 

 机に広げられた地図。地図の前に立っている男が、黒い服の懐の部分に手を入れ、中から実践では使えそうにもない装飾の細かいナイフを取り出した。


「今私たちがいる場所はこの地図の中のどこですか?」

「あ…、ここです。このロアン邸と示されたところです…。」

 父親の返答を聞くと、男はコインをそこに置き、自身の指をそのナイフで切った。


(…!?)


 血液が地図の上に落ちる。そこへインク壺のような瓶の中に入っていた透明な液体を同じ位置へ垂らす。


「なっ!?」

「おぉ!」

「これはっ!?」


 エリオットの位置からは何が起こっているのか分からない。しかし、なにかすごい現象が起きているようだ。


「…おや?…」

「…これは…どういう意味で…?」

「……お嬢さんは、…すごく近くに居ますね…。」


(…っ!?)


「…裏の雑木林を東へ進んだところにいるようですよ…。丁度、この場所ですね…。では、…――。」



 エリオットはジャスミンの居場所を聞くや否や、男の話を最後まで聞かずに走り出した。途中、使用人たちに声をかけられたが、なんと言っているのか耳に入ってこない。

 正門から出て裏の雑木林まで走る。裏庭から出たかったが、ロアン邸の屋敷の塀は高すぎて大人でも出られないほどだ。はやり、一瞬にして雑木林へ移動するなど、人間離れしている。悪魔の仕業か――

 恐怖心はもちろんある。しかし、エリオットにとっては妹を失ってしまうことの方が怖かった。


 

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