第10話 始まり(2)
「本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったらいいのか…。」
あの後しばらくしてデイジーは目を覚ました。祓魔部屋を後にし、礼拝堂で神へ感謝の祈りを捧げた二人は今教会の扉の前に居た。終わるころには日が暮れていると思っていたが、まだ日中、おやつ時だ。
それでも相変わらずフォルテミアの空は曇っており。どんよりと暗い。しかし、子どもたちが教会前の広場ではしゃいでおり、悪魔祓いも無事終えた二人の気持ちは明るかった。
「いや、大した悪魔じゃなかったしな。そんなかしこまるな。」
「いえ。きっと他の方ならもっと時間がかかったのだと思います。」
「……で?あんたはこれからどうすんだ?今日のうちにアダゴ村に帰るのか?」
「あ、はい…。まだ汽車もあるでしょうし、とりあえず今から駅に向かってみます。」
「…そうか…。…たまにルミテスに来い。あんたのおじいさんが言っていた言葉も気になるからな…。」
そう伝えるときょとんとしたデイジーと目があった。
「…なんだよ…。」
「いえ…、悪魔祓いが終わったら関係は終了なのかと思っていたので…。意外と面倒見がいいんですね。」
「……悪いか…。」
「ふふっ。いえ。素敵です。」
「悪いが俺に…――」
「大丈夫ですよ。惚れません。約束ですからね。」
「…。」
ワンワンワンッ!!
カーッカーッ!
ヴァウッヴァウッ!!
ニャーッ!!!
その時だ。
犬やカラス、猫の鳴き声が一斉に広場に響きだす。
「……なんだ…?」
先ほどよりも空が急に暗くなり、風も強くなってきた。動物たちの激しい鳴き声が辺りに響く。なぜか先ほどまで走り回っていた子どもたちの姿も見当たらなく、空気が重い。
「…ぁ…。」
「…?…おい…、どうした…?」
横から微かな声が聞こえ、エリオットはデイジーを見やる。すると、デイジーは一点を見つめたまま目を見開き、固まっている。その表情は青褪めており、先ほど悪魔祓いをしていた時よりも顔色が悪い。
「…っおい!?どうしたっ!?」
明らかにこの空間は異様だ。ヴルカンからの警告が身体の中で響く。周りの動物たちの鳴き声がさらに激しくなる。
「…おい!デイジーッ!!」
デイジーの顔色はますます悪くなり、見開いたまま瞬き一つしない目から涙が零れ落ちた。
胸騒ぎがする。エリオットは自身の声に全く反応しないデイジーの肩をぐっとつかんだ。すると、エリオットとデイジーの目の前。いや、正確にはデイジーの目の前に、デイジーを見下ろす形で薄汚れた黒いローブを纏った大男が姿を現す。
「…っ!?」
いや、現したのではなく、エリオットが見えなかっただけで、ずっと居たのかもしれない。デイジーの視線は男の顔から離れない。
ローブを被っているため全貌は見えないが、昆虫の様な大きな目。複眼だ。目の集合体が二つに、羊の角の様な
「…お前…っ」
エリオットは昔、この姿を見たことがある。
――忘れるわけがない…――
「――…ベルゼ、ブブ…」
『―― じゃ ま す る な …』
かすれた声が羽音のノイズと共に聞こえたその時、強い魔力でエリオットは弾き飛ばされた。身体が大きな教会扉に叩きつけられ一瞬息が止まる。
「…かはっ!」
頭も打ったのか、目がちかちかとして視界がぼやけ、前が見えない。
きゃー!あははは!
やーだー!!きゃはは!
「…!?」
子どもたちのはしゃぐ声が響く。空は相変わらずどんよりしているが、先ほどの様な暗さはない。一瞬にして空気も軽くなり、動物たちの鳴き声など聞こえない。
「…デイジー…?」
先ほどの出来事など夢か妄想か。動物たちが鳴き始める前と周りの様子は変わらない。あたかも何もなかった様だ。しかし先ほどまで隣に居たデイジーが見当たらず、デイジーが居た場所には、見覚えのあるロザリオが落ちていた。
「…おい!デイジーッ!!」
エリオットは痛む頭と背中を無視してそのロザリオを拾い上げ、教会前の階段を駆け下りる。
(――どこだッ…!?どこに行った…!?)
広場を駆けまわる子どもたち
ベンチで横になっているお年寄り
寒い中、ジェラートをほおばっている若者――
「おーい、エリオ神父。悪魔祓いは終わったんですか?」
「…!?」
「うお!そんな勢いよく振り向くなよ…。…どうしたんだ?そんな怖い顔して。」
「…デイジーが連れ去られた…。」
「は?…あ、おい!」
あたりを見渡していたエリオットに、どこからかの帰りか、同期のジャック・ベイクが声をかけてきた。しかし、エリオットは飄々と声をかけてくるジャックを無視して教会へ走る。
(…間違いない、あいつだ。)
教会内の会議室へ入るとエリオットはチェストを漁りだした。無造作に漁っているため、チェストに仕舞われていた本が音を立て落ちていくが、気にしてられない。目的の物が無いため隣のチェストへ移り、同じように本を漁る。そこへジャックが落ちた本を拾い上げながら声をかけてきた。
「おいおい、どうしたんだよ…。一応、歴代の聖職者の書物だぞ…?こんな雑にしてると大司様がどれほど怒るか…。」
「デイジーが悪魔にさらわれた。」
「…は?」
「お前、さっきあのあたりに居たんだろ?動物たちの鳴き声聞いたか?」
目的の物を見つけたエリオットはジャックを振り返る。ジャックの表情は訳が分からないとでも言うような戸惑った表情だ。
「は…?いや、何の鳴き声…?…ていうか、悪魔にさらわれたって…、悪魔祓いが失敗したってことか?」
「…いや、あいつに憑いていたのは祓った…。多分、新たに憑かれたんだと思う…。」
「いやいや…、そんなことがあるかよ…。祓って早々新しい悪魔に憑かれるなんて…。悪魔に憑かれるなんて、人生一度だけでもそう体験する話じゃないぞ?…それに、それだと憑依してすぐに身体を操れるほど序列の高い悪魔ってことになるぞ?」
「いや…、あれは憑依じゃない…。」
「は…?」
「憑依じゃなくて、
「…え…、何言ってんの…?」
「お前、あのけたたましい動物たちの鳴き声が聞こえなかったんだろ…?」
「…えーっと…。…ごめんだけど、何のことか分からん。」
「…一瞬、どこか別の世界に居た。」
「…は?」
自分でもおかしなことを言っているとは分かっているが、エリオット自身そうとしか考えららえない。それに、エリオットには既視感があったのだ。
「…同じようなことがあった…。」
「は…?」
「…昔、妹が悪魔に殺されたって言ったよな…。」
「…あぁ…、それでお前、
「…詳しくは言ってなかったが、その日、妹が急に目の前から姿を消したんだ…。」
「……。」
「本当に急だった。いきなり周りが暗くなって、妹が何かに怯えだしたと思えば目の前で消えたんだ。消えた途端、明るくなって音も聞こえだした…。音が聞こえだしたことで、音がなくなっていたことに気づいたんだ…。それで、みんなで探して、俺が一番早く見つけた…。そこで悪魔も見た。」
「…見たってお前、よく無事だったな…。」
「…その悪魔は、昆虫の様な目に、羊の角の様な
そう言ってエリオットはチェストから取り出した一冊の本を広げる。エリオットが昔付箋をつけてたためすぐにそのページを開くことが出来た。
『序列2位 悪魔:ベルゼブブ』
そのページには、まさに先ほどエリオットが見た容貌の悪魔が描かれている。
「…おい、序列2位って…、魔王サタンの次にやばい奴じゃん…!?」
「あぁ…。でも、間違いない。こいつなら人間一人攫うことぐらいどうってことないだろう…。」
「…俺、フォルテミア教会に連絡してくるっ!お前、一人で動くなよ!序列10位以内は団体祓魔が基本だからなっ!」
部屋から飛び出す勢いでドアへ向かったジャックを無視して、先ほどチェストから取り出した地図を机の上に広げる。
「おい!エリオット!」
「あぁ…、なんだ、まだ居たのか…。」
ジャックが部屋から出て行ったと思っていたエリオットは素で驚く。
「まだ居たのかじゃないだろっ!流石のお前でも一人では無理だ!応援を呼ばないと!」
「それじゃ遅い。デイジーが助からない。」
「…っ!でも、それじゃぁお前も危険だ!」
「分かってる…。でも、俺はあいつを葬るためにこの世界に足を入れたんだ。早く行かないとデイジーが危ないし、ベルゼブブの犠牲者が増えるだけであいつを仕留めきれない。お前は教会へ連絡してくれ。俺は先に行く。」
エリオットは地図の上の丁度自身が居る場所。ルミテス教会にコインを置く。そしてキャソックの内側のポケットに仕舞っていたナイフを取り出し、人差し指を切る。そこから滲んできた自身の血液をコインに垂らし、その次に聖油を一滴落とすと精霊に合図を送った。
「ヴルカン。」
「…おいおい…、嘘だろ…。」
すると地図が淡く発光し、コインの上に垂らした血液と聖油がインクのように地図の上で伸びていく。その伸びた先…。
『旧ベルカストロ男爵邸』
「…お前、何なの…?教皇様にでもなる気?」
「そんなもん興味ない。クソっ…、よりにもよってベルカストロの館か…。」
「…本当にそこに居るのか?」
「間違いない。俺の人探しは100発100中だ。」
「あぁ…、そうかよ…。」
「俺は先に行く。お前はフォルテミア教会に行って応援を頼む。」
エリオットは再びチェストを漁り、鉄の弾丸をポケットにしまう。その人差し指は先ほどナイフで切ったはずが、傷一つ見当たらない。
「――待てよ。」
部屋から出ようとしたエリオットにジャックが声をかけた。
「俺も行く。」
「…は?お前何言ってんの…?」
「お前こそ何言ってんの?俺がお前を一人で行かせると思うか?しかも、お前悪魔祓ったばっかりだろ…?」
「行かせろよ…。別に俺が死んだところでお前を呪ったりしねぇよ。」
「縁起悪いこと言うなよな!…俺ら同期だろ…?それに、攫われたのは俺の
「…お前の女神ではないけど…。…死んでも知らねぇぞ…?」
「俺だって
「……はぁ、…行くぞ。時間が惜しい。」
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