ネコ(液状)
陸棲アメフラシ
ネコ(液状)
世界中のネコが液状になった。
ネコは水と混じり蒸発し、雲になった。
六月のネコ雲は梅雨ネコ前線になって子ネコをまき散らした。
この一大事に世界中の人間は喜んだけれど、飲み水が自由に動き回って死んだ。
人間の六割が水であるように、地球の七割も水でネコになった。
しょっぱいネコたちが飛び回って大陸は沈むし、北極と南極のネコも昼寝に飽きて勝手に移動した。
文明は跡形もなくなった。沢山の生物が死に絶えた。
地球はネコのものだ。
「……という夢を見たよ」
「随分と愉快だ」
「愉快じゃない。とても深刻な問題だ。人間社会はほんの少しの取り違えで瓦解する、僕はそんな警鐘を告げているのさ」
「その例えがネコの液状化なのかい」
「そうだ」
「可愛らしいね」
「けど恐ろしいだろ」
「うん」
いつもの光景だ。僕が語り、ヨシダが頷く。僕らが同じ電車に乗り合わせるようになってからなんとなく続けている様式美みたいなものだ。
「でもさ。その世界じゃ、砂漠は随分と寂しいだろうね」
「どういうことだい」
「数少ない水も歩き去ってさ。砂漠はきっとなんにもいなくなって、本当に砂だけになる」
「確かに悲しいかも」
電車が止まった。窓はいつも黒く塗りつぶされ、外を見ることは出来ない。僕が手渡したペットボトルを飲み干しながら、ヨシダは変な顔をしていた。
「ねぇ、その世界でネコは死ななかったの?」
「水はなくならないから……きっと死ななかったと思う」
「そっか。それはいいことだ」
「他の生物はみんな死んだのに?」
「無責任だけど、ネコが死ぬのはかわいそうだろう」
「人も死んだよ」
「でもネコは死ななかったんだろう」
「あぁ」
「ならいいじゃないか。人は長く生き過ぎたんだ、そろそろ終わってもいいよ」
「お前は変な奴だ」
「よく言われる」
電車の扉が開いた。暖かい風が流れ込む。僕はリュックサックを背負い、勢いよく立ち上がった。
「それじゃ、もう行く」
「うん。またね」
「またね」
電車を降りると足が砂に沈んだ。赤褐色の砂は草原のようにさざ波立ち、山脈と盆地を形成していた。遥か彼方に白い遠影が瞬く。夜に閉ざされた砂の世界で、白い遠影は月のように輝いていた。
「また話の種が増えたな」
はたしてあの遠影はなんなのだろう。翼を畳んだ竜、眠らないワーム、それとも巨人の骨だろうか。この砂の世界はあの遠影を中心に回っているのだろうか。
なんだかワクワクする。
早くあの遠影に会いたい。
電車はとうに夜空の向こうへ消え去り、後ろ姿も見えやしない。もう二度とヨシダと話せないかもしれないし、元の世界に帰れないかもしれない。けれどそんな些細なことはどうでもよくなっていた。心が体を囃し立て、僕は赤褐色の砂を踏む。足跡は風に吹かれ消えていく。
そうだ。辿り着いたら木でも植えよう。きっと寂しいだろうから。
〈了〉
ネコ(液状) 陸棲アメフラシ @rikusei-amehurasi
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