11月2週目 前編
「はぁ……疲れた……」
いつもの癖で鞄から鍵を取り出し鍵穴にさすが空回りしてしまう。
「ん?鍵のかけ忘れか……?」
不審に思ってドアノブに手をかけると扉が開く。
「あっ!おかえりなさい先輩!
今週もお疲れさまでした!今日もお料理つくりに来ましたよ!」
と仕事着にエプロンをした千咲がキッチンに立っていた。
見慣れない状況にぼーっとしていた頭がとたんにクリアになる。
そして、先週交わした約束を思い出す。
「ああ。そういえば今日は金曜日か……今週はハードスケジュールで曜日感覚なくなってた……」
「えー!?曜日感覚なくなるって……どんな働き方してるんですか先輩。
他の人に任せられる仕事は任せたほうがいいじゃないですか?」
と言いスルリと俺の手から鞄を受け取る。
「ご飯もう少しお時間いただきたいので、先にお風呂はいちゃってください!
ご飯はお風呂あがったらすぐ食べられるようにしておきますので」
「風呂までわかしてくれたのか。すまんな、助かる」
「いえいえ!こちらこそ勝手にすみません!」
「いや。助かったよ。じゃ、ありがたく入らさせてもらうことにしよう」
「はーい!ごゆっくりー」
☆☆☆
「はぁぁぁ……」
湯船に沈み込むように浸かる。
なかなか一人暮らしだと湯船につかることが少なく、久しぶりの湯船は一週間のつかれが吹き飛ぶようだった。
心地よい温かさに包まれながらウトウトしているといろいろなことが脳裏に浮かぶ
(こうやって、家に帰ると風呂が沸かしてあって温かい夕飯がでてくるなんて本当に贅沢なはなしだよな……少し仕事を手伝っただけなのにこんなにいろいろしてもらって何かお返ししないと……社内でも人気の千咲とこんなことになってるなんて会社の男連中に知れたらどうなることか……)
そんなことを考えていると突然脱衣所から千咲の声が聞こえてくる。
「せんぱーい!お湯加減どうですか?」
「ああ、ちょうどいいぞー」
ウトウトしていたからかすこし気の抜けた返事になる。
「そうですか、それならよかったです。
ご飯ができそうなのでそろそろあがってきてもらえませんかー?」
「ああ、わかった。もうそんなに時間が経ったのか……」
とふと時計を見ると、入浴し始めて既に30分ほど経過していたようだった。
「はい。あまりにも先輩が静かなので気になって声かけちゃいました」
「そうだったのか、待たせてすまない。今あがるから少し待っててくれ」
「はーい!じゃあ私そろそろ盛り付けてきますね」
そう言いパタパタとキッチンへと戻っていったのだった。
☆☆☆
風呂からあがり居間をみるとすでに千咲が夕食の準備をし終え、俺のことを待っていてくれた。
「先輩遅いですよー!もう待ちくたびれちゃいました」
そう言い足をばたつかせる。
「すまんすまん。久しぶりの湯船でウトウトしてしまってな」
「えー!?湯船浸かってないんですか!?先輩ただでさえお仕事忙しいんですからお風呂に浸からないと疲れとれないですよ?」
「そうだな。それをさっき実感していたよ……まあその話はおいといて、さっそく食べてもいいか?」
「ほんと気を付けてくださいよ!はい!温かいうちにどうぞー」
そう言われ料理に視線を移す。今日の献立は”ごはん”・”生姜焼き”・”しじみの味噌汁”・”トマトのサラダ”だ。
普段ここまで料理の並ぶことのない小さな机がより小さく感じる。
まずは生姜焼きを……と箸を伸ばそうとしたところ
「あ、忘れてました。じゃじゃーん!これもどうぞ!」
とテーブルの下から千咲が取り出しのは有名な銀色のビール。
「お、お前それをどこで……?」
普段お酒はさほど飲まない俺でも、仕事で疲れた体+風呂上り+生姜焼き。ここまで条件がそろっていておいしくないわけがないことくらいわかる。
千咲からビールを受け取り、プルタブを引き上げる。
プシュッ!と心地よい音が鳴り、いっきにビールを流し込む。
「う、うまい……」
この世にこんなうまい飲み物があるのか……とビールが体に染み渡るような感覚を覚えながら生姜焼きに箸をのばし頬張る。
この生姜焼きも絶品で浸けダレとショウガが絶妙に絡みこれまたご飯とビールが進む。
無言でバクバクと生姜焼きビールご飯と食べている俺のことを見て千咲が小声で何か話す。
「ふふっ。そんな風においしそうに食べてもらえてうれしいです!」
何か聞こえたような気がして聞き返したが
「ん?何か言ったか?」
にっこりとほほ笑んだ千咲は
「いえ、なんでもないでーす!」
とはぐらかすのだった。
しばらく無言で食べ進めているとおもむろに千咲が口を開く。
「あのー。ちょっと提案したいんですけど」
「なんだ?」
「あんまりこういうことは言わないほうがいいとは思うんですけど……この机二人で使うには狭くないですかね……?」
と控えめな声で提案してくる。
確かにそれは俺も先ほど考えていたことでもある。3~4品が二人分ともなるとこの机ではさすがに皿の置き場に困ってしまう。
「あー。まあ、一人用のものだからな。それは俺も思っていた……」
「やっぱりそうですよね!そこで提案なんですけど、新しい机を買いませんか?私お金半分出しますし!」
「いや、俺の家で使うのにそこまでしてもらうのは悪い……ちょうど買い替えようかと考えていたところだから自分で買うよ」
「ふーん、そうですか。じゃあお金の件は先輩にお願いします。それと、もう一つ提案です。その買い出し私もついて行っていいですか?」
「いや、それはちょっと……」
「えー!なんでですか!?私だって使うんですから選ぶ権利ぐらいありますよね!」
「ま、まぁ……そういわれるとそうなんだが」
「ですよねですよね!じゃあ私がついていってもいいですよね?」
「うーん。そうか……分かった」
こんなにもあっさり折れてしまっている自分自身の行動に違和感を感じたが、言ってしまったものは戻らない。
「ほんとですか!?やったー!いつならお時間あります?今週でしたら私は土日どっちでも大丈夫ですよ!」
予定がとんとん拍子で進んでいく
「俺も大丈夫だぞ」
「そうですか!では日曜の午後とかどうでしょう?」
「ああ。まあその時間帯なら大丈夫だ」
「りょーかいです!では、14時に前回と同じ駅前に集合でお願いします!」
「ん?家の前で集合じゃだめなのか?」
「ダメでーす!ダメダメです!先輩はわかってません!」
胸の前で腕をクロスさせてばってんマークをつくり抗議してくる。
正直そう言われても何がわかっていないのかはわからない。
「そうかよ。とりあえず14時に前の場所にだな。遅れるなよ……」
「遅れませんよ!ていうか、先輩こそ遅れないでくださいよ!それじゃあ、私そろそろ帰りますね。洗い物だけお願いします」
千咲はそう言い残し嵐のようにドタバタと帰っていったのだった。
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