「今はやめておこう」

 ベルゼが現れてから数ヶ月後。カクリは真夜中に目を覚まし、なぜか周りを見回した。


「またあの悪魔──ではなさそうか」


 今は真夜中なため、森の中には月明かりすらなく、人間の目では先まで見通すことができないだろう。

 唯一の光源である月は、蜘蛛に隠れてしまっている。だが、狐であるカクリには、周りの暗さなど関係ない。

 鼻をひくつかせ、周りの気配を感じ取ろうとしている。


「………人の、気配?」


 首を傾げるカクリの横では、レーツェルが座りながら木に寄りかかり、瞳を閉じていた。

 カクリはそんなレーツェルに近づき、前足を膝に乗せる。


「レーツェル様」

「あぁカクリよ。今回は悪魔ではなく普通の──いや、普通ではないな。少し見て回ってみるとしよう」


 寝ていた訳では無いらしく、すぐに赤い瞳をカクリに見せ、余裕そうに笑みを浮かべる。

 その場から立ち上がるのと同時に、彼はカクリを自身の肩に乗せた。

 カクリは少し驚いた表情を浮かべるも、安心しているのか直ぐに体勢を楽に、彼に甘えるように寄り添っている。


「普通ではないとは、どういうことでしょうか」

「そのままの意味だ。おそらく、普通の人間が悪魔と契約、又は呪いを受けた可能性がある」


 その言葉にカクリは目を閉じる。周りの気配に集中しているのか、目を閉じてからピクリとも動かなくなった。


「…………」

「そんな苦い顔をするものでは無い。カクリはまだ知らない気配だ」


 レーツェルが言ったような気配を感じ取ることが出来なかったらしく、悔しそうに眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべた。


「さて、気配の感じる所にでも行こうか」


 そう口にし、2人はそのまま歩き出した。





 歩き始めてから数分後、いきなりレーツェルは立ち止まり周囲を見回した。


「どうしたのですかレーツェル様」

「…………いや。この闇夜では探すのは難しいと思ってな。やはり、今はやめておこう」


 そう言うと、何故かいきなり来た道を戻り始めた。

 レーツェルは気配を感じとっているため道に迷ったり、見つけられないと言うことは無いだろう。なぜ引き返そうとしているのか、カクリには分からなかった。


「何かあったのですか?」

「いや、ただ見つけられそうにないなと思っただけだ」


 いつもの笑みを浮かべながらそう返すレーツェルに、カクリはもう何も言い返すことはせず、小さく頷き目を閉じた。



 次の日の朝。

 カクリは目を覚まし、いつもの湖で水を飲もうと伸びをしていた。

 昨日の夜は雲が空を覆っていたため暗かったが、今は太陽が元気そうに森を照らししている。風もそよそよと吹いており、木が葉音を鳴らしながら揺れ、心地よさそうにしている。

 風を楽しみながら毛ずくろいをしているカクリの隣には、レーツェルの姿がない。


 毛ずくろいが終わり、カクリは周りを見回し始める。


「夜のレーツェル様、少しおかしかったような気がする」


 そう口にするのと同時にカクリは、いつも朝に向かっている湖へと歩き始める。

 目的にへとたどり着いたカクリだったが、なにかに気づいたらしくその場に立ち止まる。

 そこには先約がいたようで、太陽の光を反射している湖の隣に、横になっている人がいた。


「…………人?」


 湖の近くでは、人が倒れていた。

 うつ伏せに倒れているため、表情などを確認することが出来ない。

 苦しんでいる様子がないのが救いだが、それでも、なぜこんなところで倒れているのか分からない。


 カクリは警戒しながら倒れている人に近づき、周りをウロウロとしている。


「………生きておるのか?」


 前足でちょんちょんと押してみるが反応がない。

 カクリは、誰かに助けを求めるように周りを見回しているが、ここにはカクリと倒れている青年しか居ない。


「…………生きておるのかお主」


 どうすればいいのか分からないらしく、とりあえず声をかけている。だが、返答がないため、またしても倒れている人の周りをウロウロ歩き始めた。すると、突然突風が吹き荒れカクリの体毛を揺らす。


「カクリよ。そんなに周りを歩いていても起きることは無いぞ」

「あ、レーツェル様」


 その突風からレーツェルが現れ、何かを手に持ち、カクリに声をかけた。


「それはタオルですか?」

「あぁ、その人間は熱があるからな。少し冷やそうと思ったまでだ」


 そう言って、レーツェルはタオルを湖の水で濡らし、倒れている人をうつ伏せから仰向けに体勢を変えた。

 おでこに濡らしたタオルを置き、近くに座る。


 カクリもレーツェルの隣に座り、倒れている人を確認した。


 その人は男性で、少し薄汚れているが、それでも綺麗な顔立ちをしているように見える。

 肌は白く、藍色の髪はサラサラで風になびいている。

 少し泥のついたTシャツに、ジーンズを履いていた。


「────なぜここに」

「おそらく、夜。この森に捨てられたのだろう」


 レーツェルの説明で、カクリは少し悲しげな表情を浮かべた。


 子供を捨てたり、暴力を振るったりと。

 人間の中でそのような行いをする人が存在するのは、ずっと森の中で過ごしてきたカクリでも知っていた。


「そんな悲しげな表情をするものでは無い。見たところ、この男性は高校生くらいだろう。何か理由があるのかもしれん」


 レーツェルがカクリの頭を撫でるが、彼はそれでも男性から目を離さずに見続けていた。


 その視線を感じたのか、倒れている男性は、ピクっと体を動かし、ゆっくりと瞼を開き、漆黒の瞳を露にした。

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