「帰るぞ」

「んじゃ、行くぞ」

「あぁ」


 次の日の朝、明人は先日と同じように、黒いスーツを身にまとい、ビジネスバッグを片手小屋を出る。


 今はネクタイを緩め、ワイシャツを出した姿だが、依頼人に会う時にはしっかりと整え、猫を何重にも被る。


「それで、今回は私が本当にやるのかい?」

「てめぇ以外に誰がいる。俺は無理だからな」

「昨日の惨状を忘れた訳ではあるまいな」

「だが、操る事は出来た。それだけで十分だろう」


 カクリはそれ以上口を開かず、明人も黙ったまま歩き続ける。そして、歩き続ける事数十分後。無事に依頼人である夏恵の家に辿り着いた。


 明人は記憶力が良いため、一度見た道などは迷わず行ける。

 相手の言葉なども自分が興味ある事のみ、一言一句覚えていられるのだ。だが、興味無い事は一日で忘れてしまうため、単純に記憶力が良いとも言えない。


「んじゃ、行くぞ」


 ドアの前に立ち、しっかりとスーツを直したあとインターホンを鳴らす。

 直ぐにドアが開き、私服姿の夏恵が顔を覗かせた。


「あ、筺鍵さん。すいません、今行きます」

「慌てなくて大丈夫ですよ」


 明人を見た瞬間、驚いた表情浮かべ早口に言い、慌てて家の中へと戻って行った。


「ちっ、準備しとけよ……」

「相変わらずだな」


 夏恵がドアを閉じた瞬間、笑顔を消し文句をこぼす。

 俺様系の彼にとって、待たされるのは何よりも嫌で、今尚ブツブツと死んだ目をドアに向けて呟いていた。


 中からドタドタと足音が聞こえ始め、勢いよくドアが開き夏恵が姿を現す。


「お待たせしました!」

「いえ、急がせてしまい申し訳ありません」


「では行きましょう」と、革靴をコツコツと鳴らし明人は歩き始める。


 夏恵が勢いよくドアを開けると、一瞬にして表情は笑顔へと変わり、口調も優しく紳士的なものへと戻った。


「あの、道。覚えているのですか?」


 明人の後ろを離れないように付いて行きながら、夏恵は問いかける。


「一度お伺いした道なら覚える事が出来ますので」

「凄いです。私は一度では覚える事が出来ませんので……」

「そうなのですね。ですが、それが普通かも知れませんよ」

「普通ですか?」

「はい」


 ずっと笑顔のまま明人は彼女と会話を続けている。


 そんな中、カクリは人の姿のままついて行く訳にはいかないので、狐の姿で二人の後ろを気付かれないように歩いていた。


 ※


「何度もお伺いしてしまい申し訳ございません」

「いえ、少しでも望みがあるのなら……」


 挨拶を交わし、明人と夏恵は美由紀の部屋へと歩き出す。


 美由紀の母は前と同じように、リビングでお休みくださいと彼が笑顔で言ったため、その言葉に甘えるように美由紀の母はリビングへと歩いていった。


「前とお変わりがないようですね」


 部屋の隅に座っている美由紀。

 その姿は明人が前回来た時と全く変わっておらず、目は虚ろでどこを見ているのか分からない。


「あの、お願いします」

「何とかやってみますね。では、今回、貴方は部屋の外でお待ち頂いてよろしいですか?」

「え、 ここに居ては駄目なんですか?」

「ここからは企業秘密なので」


 右の人指し指を口元に持っていき、明人は表で待って頂くようにお願いした。


 逆らえない雰囲気に、夏恵は頬を染めながらも頷き、ドアの外へと姿を消した。


「さてと……。おい、カクリ。出てこい」


 明人の言葉に反応するよう、右側の何も無い空間からいきなり子狐姿のカクリが現れた。


「本当に良いのかい?」

「構わん。それに、もうあの方法しかない」


 カクリは準備を進める明人を見据え、少年の姿へと変える。


 ビジネスバッグから、彼は美由紀の記憶が入った小瓶を取り出し本人の前に置いた。

 その後は美由紀の隣へと移動し、膝をつく。


「いいか?」

「努力しよう」


 カクリと明人はお互いに頷き、彼はいつも通り隠していた右目を露わにした。

 どこを見ているか分からない美由紀の目を見て、右目は開けたまま眠りにつく。


 明人の今回の役割は、意思を取り戻すため美由紀の中に入り、記憶のを見つける事。


 いつもはカクリが依頼人に直接話しかけ記憶を見せているため、明人自身への負担はそこまで無い。


 しかし、今回は補助役であるカクリがいない。それにより、彼への負担はいつもの倍になる。だが、出来ないのではないかという不安はカクリ中には芽生えなかった。


 明人なら必ずやり遂げるとわかっており、カクリは彼の準備が整うまで、美由紀の前に座り待っていた。


 

 明人が瞳を閉じてから数十分後、額に汗を滲み出しながら彼はカクリに声をかけた。


「……っ、カクリ。今だ」

「!! 了解」


 カクリは明人からの指示に従い、小瓶を開け"美由紀の匣"を操り始める。

 だがやはり、前回同様操るのは難しく、険しい顔を浮かべ不安げに漆黒の瞳を揺らしていた。

 

 集中を切らさないため、一定の呼吸を意識し、美由紀の前に置かれた小瓶の中にある想いを操る。


 額から汗が出始め、眉間に皺が寄る。それでも、なんとか小瓶から想いを取り出す事が出来た。だが、ここからが問題だ。

 ちゃんと元の場所に戻さなければならない。


「カクリ、時間はないぞ」

「わかっている」


 明人は未だ五芒星が刻まれた目を美由紀へ向けながら、急かすようにカクリに声をかける。


 匣を美由紀の中にしっかりと戻さなければ、明人も力を解く事が出来ない。もし、途中で解いてしまえば、もう一度最初からやらなければならない事になってしまう。

 そうなれば二人の体力が底を尽き、成功確率が格段に下がってしまうため、それだけは必ず避けなければならない。


 カクリは狙いを定め、小瓶から出した想いを美由紀の心臓部分に向けて操った。


 最初は上手く操れており、揺れる事なくスムーズに美由紀の心臓に入っていくのだが、それは長く続かなかった。


「っ、おい!! 何やってやがる!」

「わかっている!!」


 明人は美由紀と目線を合わせながらも、視界の端に映っている匣を見ていた。


 匣を半分まで美由紀の心臓部分に入れる事は出来たが、もう半分が突如として天井へと上がってしまい離れた。


 その時、彼は焦りのあまり声を荒らげた。

 このまま長く続けてしまうとカクリの体にも負担がかかり、前回の二の舞となってしまう。


「────頭だ、今真上に匣がある。そのまま落とせ」

「何を言っている! そんな乱雑に……」

「匣は人の想い、想いは感情。感情は脳から来ているものだ。だったら脳に戻してもさほど問題は無いはず……。戻せないよりマシだ。早くしろ!」


 カクリは自分の置かれている状況を考えるように、そっと目を閉じた。

 このまま明人の指示に従っても良いか考える。


「おい、聞いているのかカクリ!!」


 明人はなんの行動も起こさなくなったカクリに苛立ちながら、怒鳴るように声をかけた。

 すると、カクリの予想外の言葉に明人は思わず固まってしまう。


「今回は、従えない」

「──は?」


 明人はカクリの返答に驚き、一瞬手を緩めそうになってしまうが、すぐに気を取り直し集中した。


 このような依頼について、カクリは明人の指示には必ず従っていた。

 それが一番最適だとカクリ自身もわかっていたから。だが、今回は"仕方がない"が入っている。つまり──……


 ではない。と、判断した。


「絶対に心臓へと戻す」

「ふざけるな。お前の意地でこいつを殺すつもりか?! 今回が最初で最後なんだぞ!!」

「それでも戻す!」


 お互いの意思がぶつかり合い空気が揺れる。

 二人の言葉はどちらかが合っている訳でも、間違えている訳でもない。そのため、明人自身も判断に迷っていた。


 カクリからの今まで感じた事の無い強い意志に、明人は眉を顰めつつそれ以上何も話さない。


 いきなり黙ってしまった明人にカクリは、強気な口調から弱々しい口調になり、彼に謝罪した。


「……すまない。だが、今回は──」

「なら、集中しろ」


 カクリの言葉を遮り、明人は肯定の言葉を言う。

 その言葉にカクリは彼の方へちらっと目線を向けた。


 明人自身も消耗している様子だが、目線は美由紀と合わせたまま、力を使い続けている。


「ありがとう、明人よ」


 カクリは呟き、記憶を戻す事に集中するため強く目を閉じた。


 匣が高い所まで移動してしまい上手くコントロールが出来なかったが、少しずつ操る事が出来るようになってきたらしく、美由紀に近付いていく。


 このまま上手く心臓辺りに持って行くが……。


「くっ……」


 突如としてカクリは膝から崩れてしまった。それでもなお、匣を落とさずに操作をし続ける。


 慣れていない力を昨日と今日連続で使ったため、まだ子狐であるカクリの体には負担が大きかった。

 だが、諦める訳にはいかないと自分を奮い立たせ、カクリは再度立ち上がり力を込め直す。

 すると、先程よりはスムーズに美由紀の胸に移動する事が出来た。


「そのまま入れろ」


 明人が言うように、カクリは場所を確認するため、スっと目を開き漆黒の瞳を現せた。


 その瞳は揺れており、不安や心配などといった感情が見て取れる。だか、それでも最後まで諦めず、人差し指と中指を立て操り続けた。


 残ってしまった匣はどんどん美由紀の体の中へと入って行き、全ての光り輝く想いを元に戻す事に成功。


 想いで照らされていた部屋内は、薄暗さを取り戻した。


「……はぁっ。はぁ……」


 カクリは匣が全部美由紀の体に戻った事を確認すると、安心しそのまま床へと倒れ込んでしまった。


「よし。はぁ、これでこいつが目を覚ませば今回の依頼は達成だ……」


 明人はカクリの横に座り直し、美由紀の様子を確認する。

 カクリも何とか体を起こし、顔を上げたのだが───


「変化──なし。と、言う事はあるまいな?」

「わからん。今回はこれしか思いつかんかったし、これが正解なのかも知らん。間違っていたら、もうどうする事も出来ん」


 額の汗を拭きながら、明人は真剣な表情で言う。

 声色も表情もいつも通りだが、明人が纏う空気感がアンバランスで、いつ崩れてしまっておかしくない状態だ。


 美由紀の様子は先程と同じで、目は虚ろでどこを見ているのか分からない。

 やはり戻すだけではダメだったのか……。


 そう、二人が諦めかけた時────


 ──────ピクッ


「あ?」


 美由紀の体が少し動いた気がした。

 すると、虚ろな目には生気が宿り、口元が動き出す。


 顔を少しだけ上げ、疑惑の目を向けながら口を開け呆然としていた。


「……あれ。私……」


 やっと意識が浮上し、周りを見回したあと。明人達の存在に気付き、甲高い声を上げ叫んでしまった。


「──え? えぇぇぇぇえ!! どちら様ですか?!」


 何となく予想していた二人は、その声に備えジト目で両耳を抑えていた。


「これだけの声が出せたら、問題無さそうだな」

「結界はもう解いても良さそうかい?」

「だな」


 カクリは明人が美由紀の中に入っていた時、この中の音が外に漏れないように結界も張っていた。


 カクリは明人の言葉を聞いたあと、右手で指をパチンと鳴らす。

 瞬間、部屋の中を覆っていた結界が弾けるように解けた。


 それを確認すると、明人は驚きで慌てている美由紀と目を合わせ、これからについて簡単に説明し始めた。


「そんなに驚くな。お前のこの時の記憶は外にいる奴らと同じように抜き取る。安心しろ」

「き、記憶を? 何を言って──」

「話は以上だ。会う事はもうないだろうが──会えたらその時、詳しく話してやるよ」


 それだけを言い残し、明人は美由紀の顎に手を添え、目を逸らさせないように固定した。


 明人の整った顔が近付き、顎も固定されてしまっているため、美由紀は変な妄想が頭の中を巡り、頭から煙が出そうなほど顔が真っ赤になった。


 そのような反応など明人は全く気にせず、明人は五芒星の刻まれた右目と彼女の瞳を合わせた。


「────えっ……」


 ────ガクン


「──帰るぞ」

「あぁ」


 明人と目を合わせた瞬間、美由紀は突如として意識を失い、彼へと寄り掛かるように倒れる。


 美由紀の様子を確認したあと、明人はベットに彼女を寝かせ、カクリはその場から立ち上がりビジネスバッグを渡す。


 同時に部屋のドアが開き、夏恵が血相を変えて部屋の中へと飛び込んできた。


 すれ違いざまに明人は夏恵の頭に手を添え、そのままカクリと共に姿を消した。


「えっ。一体──なんだったの?」


 夏恵は、明人とカクリが歩いて行った方向を見て、困惑しながら呟く。

 何が起きたのか理解出来ず、頭に手を置きながらその場に立ち尽くしていた。


「んっ……」

「!! 美由紀」


 美由紀が目を覚まし、夏恵は直ぐに駆け寄り、声をかけた。


「美由紀、大丈夫? 私の事わかる?」

「……あれ? 夏恵?」

「っ。良かった。本当に良かった」


 夏恵はやっと美由紀と会話出来た事に、喜びと嬉しさで目に涙を浮かべ勢いよく抱きついた。


 美由紀は何が起こったのか全く分からず、キョトンとした顔を浮かべるが、すぐに夏恵の背中に手を回す。


 明人が教えたらしく、ドアの向こうには美由紀の母が声を出さずに、口元を手で抑えながら泣いていた。


 なぜみんなこんなに悲しく、嬉しいのか。

 記憶がすっぽりと抜けているみたいで三人は思い出せない。それでも、今この瞬間が奇跡である事は、ここにいる三人は、何故か感じ取る事が出来た。


 ※


 奇跡が起きてから数日後、美由紀は大きな声で宣言した。


「私、今日告白する!」

「……そう、頑張って」

「冷たい!!」


 美由紀はずっと体を動かしていなかったため、体力が平均以下になっており病院でリハビリをしていた。

 

 今はリハビリの休憩中、先程の言葉には少し驚き、一瞬固まってしまう。だが、それを悟られないようにすぐに返事をした。

 

「それじゃ、頑張って」

「えっ! ちょっと、なに他人事のように言ってんのさ」

「え? いや、他人でしょ」


 夏恵はその場から去ろうとしたか、それを美由紀が腕を掴み止める。

 美由紀の顔はリンゴみたいに真っ赤になっており、その表情を見た彼女は、悲しげな目を浮かべ見下ろしていた。


「他人なんかじゃないよ。これからカレカノになるんだから! いや、カノカノ? まいっか!」

「……え? いやどういう意味?」


 美由紀の突拍子のない言葉に、悲しげな表情から驚きの表情へと切り替わり、夏恵は目をぱちぱちとしていた。


「だっ、だから……。私が今日告白する相手は──夏恵だよ!」

「──え?」


 夏恵は驚きのあまりその場で停止してしまった。


「いや、海斗先輩は?」

「失恋したの」

「そ、うなの? てか、失恋したから私?」

「違うよ! 何故かわからなかったけど、海斗先輩に告白した時に言われた言葉があるの」

「言われた言葉?」


 美由紀は力強く頷く。


「海斗先輩は『俺なんかより、君の事をずっと近くで見てきた人がいると思うよ』って言ってたの。だから、私少し考えてみたら、何故か頭の中に夏恵が出てきた」


 夏恵は静かに美由紀の話に耳を傾けている。


「そして、考えているうちにわかったの。私は夏恵じゃないとダメかもしれない。いや、ダメなんだって。今回も記憶は曖昧で覚えてないけど、一つだけ分かった事がある」


 美由紀は夏恵の手を握り力強く言い切る。

 目には力が込められており、迷いがない。


「今回助けてくれたのは夏恵。貴方なんでしょ? 私を地獄から救い出してくれた。リハビリも、何度も何度も諦めよう思った。でも、いつも応援してくれて励ましてくれたのは夏恵だった。私はそれが何よりも嬉しかったの。すごく嬉しかったの。だから──お願い。これからもずっと夏恵の傍にいたい。夏恵を誰にも取られたくないの!」


 徐々に目には涙が浮かび、美由紀は震える口で最後まで言い切った。


 夏恵も美由紀も女性。同性愛は世間から認められないかもしれない。

 ここでいいよと言ってしまうのは夏恵に取っては簡単だ。でも、夏恵はすぐに頷く事が出来なかった。


 これからの人生に関わってくるため、夏恵はここで選択肢を間違える訳にはいかないと考え、断ろうと揺れる瞳で口を開いた。


「美由紀、ごめ──」



『ごめんなさい』



 そう夏恵が言おうとした瞬間、誰かも分からない声が頭の中に響き、思わず言葉を止める。



 ────欲しいのなら手に入れろ。想いのままに動き出せ



 聞いた事のない声、身勝手な言葉。だが、何故かすごく安心する、心地の良い声だった。


「夏恵……?」


 不安そうに伺う美由紀。

 そんな彼女を見て、夏恵は拳を握り、決意を胸に口を開いた。


「ごめん、美由紀。私、ずっと……」



  ────貴方が好きだったよ。


 ※


 小屋の中、明人は無表情のままカクリに話しかけていた。


「あの二人は、これからどうなっていくのかねぇ」

「考えた所で意味はないと思うがね」

「ま、そうだわなぁ」


 明人はいつも通りソファーに寝っ転がり、お代として頂いた記憶を眺めていた。


 カクリも今回は大分力を使ってしまったため、狐の姿で休んでいる。


「今回のは、一体なんだったのだ」

「それを今考えたところでわかる訳ねぇだろ」

「それもそうだな」


 そんな会話が小屋の中で、ポツポツと交わされた。


 ※


「次は必ず奪い尽くしてやるからな"相想"。いや、"筺鍵明人"」


 憎しみに満ちた声が月明かりすら届かない暗闇に響き渡り、そのまま。足音と共に闇の中へと消えていった。

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