「どうやったら戻んだよ」

 二人が困惑して声が出せない間、明人は楽し気に微笑みを崩さず見続けた。


「あの、心の中にある匣って言うのは、一体……」

「そうですね。閉じ込めている想い、と言うのが一番簡単でしょうか」


 朱里の質問に明人は顎に手を当て、考える素振りを見せながら答える。すると、何故か彼は突然口を閉じ、目を細め二人を見た。その視線は何かを見定めているように鋭く、二人は身を縮こませてしまう。


「──貴方達にはまだ、少し早いかもしれませんね」


 一度目を閉じ、困ったような表情を浮かべた明人は椅子から立ち上がりドアへと向かう。その姿を、二人は唖然とした表情で追いかける。


「今日はこの辺でおかえり願えますか?」

「「え」」


 ドアを開け、外の風が明人の髪を揺らした。涼しく、気持ちがいい。

 明人は手を自身の胸に添え、二人を外に促すように腰を折った。

 

「また、この場所を思い出した時に来てください。その時は、しっかり名乗りますので」


 腰覆った明人を目の前に何も言えず、二人は言われた通り外へと出る。そのままドアは閉じられ、季津がドアノブをひねって開けようとするも無理だった。


「一体…………」

「なんだったの」


 明人が何を考えているのか分からない二人は、この場にいても仕方がないと思い、そのまま林の外へと歩き出した。


 ☆


 二人を小屋から出した後、明人はため息を吐いた。


「ふぅ、疲れたな……」


 依頼人が林の外へ向かった事を確認し、明人はすぐにソファーに寝っ転がる。タイミングを見て、奥の部屋にいたカクリが出てきた。

 明人の横に移動し、呆れたような目線を送りながら声をかける。


「よくあんな直ぐに猫をかぶれるものだ。感心するよ」


 カクリがため息混じりに言った。その言葉の通り、明人は依頼人が来る直前まで奥の部屋で爆睡しており、依頼人が小屋のドアを開けた瞬間、慌てて飛び起き出迎えたのだ。

 普通なら少しでも欠伸をしたり、体がだるそうだったりするはずだが、そこはさすがと言うべきか。

 明人は完ぺきに猫をかぶり、その場を乗り切る事に成功した。


「つーか、依頼人が入ってくる前に起こせや、ギリギリだったろーが。依頼人が来る事を察知するのがてめぇの仕事だろーが」

「意味がわからない。そもそも、私の契約内容は明人の。生活管理では無い」

「ここに住んでんだからそれくらいはしろよ」

「……もう良い。それより、返して良かったのかい?」


 カクリは埒が明かないと思い、無理やり話を本題に移した。


「仕方がねぇだろ。まだ弱いんだよ、つまんねぇ」


 寝っ転がった明人だが、上体を起こしソファーに座り直す。テーブルの下に置いてある本を手に取りながら、彼は面倒くさそうに返した。


 明人は基本、依頼人の頼みはしっかり聞き、ちゃんと匣を開けてあげる。だが、相手が迷っていたり、まだ自身の感情に気づいていなければ帰してしまう。

 理由は開けにくいのと、つまらないからの二つ。


「明人、記憶を取り戻す意思はまだあるのかい?」

「当たり前だろ。ふざけた事聞いてんじゃねぇよ」

「なら、良い。私は奥の部屋にいる」


 カクリの言葉に返答はない。だが、そんな事はいつもの事なため気にせず、奥へと進み姿を消した。

 本を読んでいた明人は、カクリが行った方を見据え小さく呟く。


「俺の記憶は、どうしたら戻んだよ……」


 明人の不安げで弱々しい独り言は、誰の耳にも届かずに宙へと消えてしまった。


 ☆


 朱里と李津は学校の教室で、昨日の小屋について一つの机を挟みながら話していた。


「昨日のは一体なんだったんだろう」

「噂が曲がって伝わったって感じ?」

「う〜ん。でも、嘘とも言いきれないよね。実際いたんだし」

「そうなのよね」


 明人が何故自分達を帰してしまったのか、二人は今も理解できず悩ませていた。

 明人の説明はまるで都市伝説のような話だったため、二人は自分達の目で見たにもかかわらず信じきれていない。


「結局は自分で何とかしろって事なのかねぇ」

「…………李津、私!!」


 朱里は季津の言葉に、今までの自分の光景を思い浮かべ、拳を握りはっきりと言葉を放とうと口を大きく開く。


 その時、朱里の後ろから男性の声が聞こえた。


「なんの話してんだ?」

「──あ」

「がんばっ──えっ。せっ、青夏先輩?!」


 朱里が決意を声に出そうとしたのと同時に、青夏が後ろから声をかける。その声に彼女は思いっきり驚き、思わず椅子をガタッと動かし大きな音を出してしまった。


「なっ、なんだよ」


 椅子の音だけでなく朱里の声も結構大きく出てしまい、その声に青夏は酷く驚いていた。朱里自身も目を見開きその場に固まっている。


「ど、どうしたんですか? ここは二年の教室ですよ」

「あぁ、知ってる。これを渡すように頼まれたんだ」


 李津が青夏に尋ねると、右手を前に出し朱里に一つの資料を渡す。

 その資料には、様々な水彩画の絵や文字がポイントのように書かれている。先日美術部の顧問にお願いしていた、水彩画の資料。それを「ほれ」と言いながら手渡す。


「あっ、ありがとうございます」


 表紙を見ただけで喜び、嬉しそうに頬を染めながら彼の目を見てしっかりとお礼を伝えた。


「いや、偶然ここの近くを通りかかったら頼まれたんだよ」

「あ、そうだったんですね!」


 朱里は渡された資料をぺらぺらと捲りながら目を輝かせ楽しげに見始めた。まるで、新しいおもちゃをもらった子供のように無邪気な顔を浮かべている。その姿を青夏は、愛おしそうに優しく微笑みながら見下ろしていた。


「そんなに水彩画好きなんか?」

「え? いえ、そういう訳では無いんですけど……」


 朱里は恥ずかしいそうに資料で顔を隠した。それを青夏は、優しい笑みからイタズラっ子のような笑みに切りかえ、彼女を見続ける。


「おいおい、久しぶりに先輩が会いに来てやったんだからよ。顔上げろって」

「いえ、すいません。あの……」


 戸惑いながらも彼女は、何とか顔を出さないように資料で隠している。すると、青夏が次にムスッとした表情を浮かべ資料を取り上げた。


「なんなんだそれ。俺の顔はもう見たくないって事かよ」


 わざとらしく不貞腐れたような声を出す青夏に、朱里はハッとなり咄嗟に手を離し彼を見上げた。


「見たくない訳じゃなっ……い……」


 咄嗟の事とはいえ、朱里は勢いよく真っ赤な顔を向かせてしまう。

 青夏はしてやったりと言うような表情で笑い、その表情を目の当たりにして、彼女の元々赤かった顔がゆでダコのようにさらに真っ赤になった。


「ほんと、意地悪ですよね!!」

「騙されるお前が悪いんだろ」

「酷いです!」


 仲良く話している光景を見せられている李津は、ジト目で朱里を睨んでいた。


「李津。顔が、怖い」

「気にしなくていいよ? もう全然気にしないでイチャついてていいよ」


 見た目は笑顔だが、どす黒い何かを纏い二人を見ている。

 これは誰もが怒っていると分かるほど黒いオーラを放っているため、青夏も顔を青くし身震いしていた。


「ところで青夏先輩。今噂になってる事なんですけど事実なんですか?」

「ちょっ、李津!!」


 李津の表情が戻ったと思った瞬間、朱里の悩みである噂について突然問いかけた。

 急いで李津の口を塞ごうと手を伸ばしたが遅く、今の質問はしっかりと彼の耳に届いてしまう。


「噂? あぁ、あいつとはなんもねぇよ」


 その時の表情は少し複雑そうで、何か思い悩んでいるように影が差す。


「じゃ、あの噂は嘘ですって逆に流せば万事解決じゃないんですか?」

「簡単にいかねぇだろ。つーか、どうでもいい」

「そうなんですねぇ」


 二人の会話はそこで終わり、青夏は自分の教室へと戻って行く。


「良かったじゃん。これで何も考えずに先輩と話せるし」

「うん……」

「どうしたの? まだ何か不安なの?」


 心配そうに顔を伺う李津だったが、朱里は青夏の背中を悲しげな表情で見続けるばかりだった。

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