第2話 動き出す運命の歯車
「うわぁ、居る」
干からびた死人のようにやせ細った灰色の体。細い左腕には鎖が巻きついている。問題は右腕だ。腐った肉の柱のようなそれは、自身の体よりも大きく肥大している。こんなものを振り回されたら、ただでは済まないだろう。その魔物は、背後にある部屋を守るようにして立っていた。
「確かに、あの奥にゲートがあるようですね」
「そうなの。あの光は絶対そうだと思ってたんだけど……」
そう言って、リーヴはフレイアに意味深な視線を向けるが。
「では、私がアドバイスをしますので、戦ってみてください」
「えっ、フレイアが倒してくれるんじゃないの?」
「残念ですが、私はラグナロクの際に、力のほとんどを消耗してしまったので……」
リーヴを包むように、青い光の球体が発生する。
「残っている力は、最大限あなたを守るために使わせてもらいます」
「そ、そういうことなら……」
「ではまず、前回戦った時と同じように魔法を使ってみてください」
フレイアに促されたリーヴは、魔物を指さし、唱える。
「燃えて!」
空気が揺らめいてぼんやりとする。その直後、ぼっ、という音とともに、魔物の全身から炎が上がり始めた。
「グ、ググ」
魔物が呻き声を発し、こちらへ向かってくる。炎は少しの間、魔物を焼いていたが、魔物が動き出すと同時に消えた。
「きゃああ、やっぱり効いてない!」
悲鳴を上げるリーヴ。魔物は既に、その肥大した腕をリーヴに向かって振り下ろしている。リーヴはとっさに回避の構えを取るが。ぱんっ。電気の流れるような音と共に、魔物の攻撃は弾かれた。ぱんっ。フレイアの盾の魔法は、続けて繰り出された攻撃も簡単に弾いた。
「そうですね……まずは、『魔力』に形を与え、『魔法』にすることを意識してみましょう」
フレイアは魔物に手のひらを向ける。すると、魔物は縛り付けられたかのように動きを止めた。
「両手を広げ、両手の人差し指と親指で三角形を作るようにしてみてください。これが『収束』のシジルです」
「こんな感じ?」
「はい。その三角形の内側に標的を収め、指から標的に向かって魔力が流れるのをイメージしてみてください。魔力に『形』を感じるはずです」
この『形』を伴わない、すなわち先ほどリーヴが放っていたものは、『魔法』ではなくただの『魔力』である。とフレイアは述べた。
「あ、何か感じるかも」
「では、唱えてみましょうか」
「うん! ――燃えて!」
しゅんっ。辺りの空間が歪み、魔物の中心に陽炎のような揺らめきが集まる。そして一瞬、敵の体が痙攣したかと思うと――どん。爆発とともに、魔物の体内から光の帯が拡散し、消えた時には魔物の姿も無くなっていた。
「え、怖っ」
「これがリーヴさんの『魔法』です。形を伴うだけで、こんなにも威力が変わるのですよ」
「へえ……っていうか、私、強くない?」
「ふふっ、リーヴさんの力は、まだこんなものではありませんよ」
こうして、二人は魔物が塞いでいた奥の部屋へと進入する。部屋の真ん中には大きく円が描かれていて、その中に奇妙な記号が浮かんでいる。これがゲートだ。七色の光を放つそれは、見た者に危険な好奇心を与える。
「今度はどこに繋がってるのかな?」
「念のため、調べてみましょう」
フレイアがゲートに手をかざす。ゲートの土台となっている円が、ゆっくりと回転しているように見える。同時に、奇妙な記号が何かの情報を映すかのように、並んでは消えてゆく。
「どこかの洞窟のようですね。飛んだ直後に死んでしまうようなことはないはずですよ」
「へえ、神族ってそんなこともできるんだ! 便利!」
「では、行きましょうか」
ふわっ。小さな風と共に、二人は消えた。
「先の方に何かがありますね」
フレイアが目を閉じながら言う。
「それはなんていう魔法なの?」
「これですか? これは、望遠の魔法です」
あらゆる壁を越え、その者が望むものを視ることができる魔法。フレイアは壁の向こうが視えるくらいだが、相手の心や、未来を視ることができる者も存在するらしい。
「きゃあ! 上から何か……なんだ、水か」
天井から水が滴り、地面がぬかるんでいる。リーヴはぬかるみを避けながら歩くが、フレイアは全く気にしていない様子だ。そんな彼女を不思議に思い、ふと、足元を見ると。
「あれ、フレイア、なんで浮いてるの……?」
フレイアは地面より少しばかり浮いていて、空気の上を歩いていた。
「羽の生えた靴の魔法ですよ。普通に歩いていては、ドレスが汚れてしまいますからね」
「ま、まあ、そうだけど……」
そんなことのために魔力を消耗していいのか、と思ったリーヴだが、そのことは敢えて口にしなかった。そのまましばらく歩き続けると、向こう側に何か、広い空間が見えてくる。
「祭壇のようですね」
「え、何か居る……?」
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