地獄で待ってる
佐藤ムニエル
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真っ白いレースのカーテンが、開け放った窓から入る微風を受けて揺れる。射し込む陽光が音もなく、窓辺の領域を拡大しては、元に戻る。
白い花瓶に刺さった白い花。何という種類なのかは知らない。ピンと伸びた茎の頂点からほぼ直角に花弁が開いている。私はそこから拡声器を思い起こす。街中や学校の校庭なんかにある、電柱の先に付けられた白いプラスチック製のそれを。
一体何を呼び掛けるつもりだろう。早く身体を治して生きろ、とでも言うのだろうか。
「大丈夫?」傍らから彼に呼び掛けられる。「寒くない? 窓、閉めようか?」
私は首を振る。
「花を見ていたの」
「シロクシナダだよ。花屋で見かけて、君を思い出したからつい買ってしまったんだ。人工花だから枯れないし虫も湧かないけど、迷惑だったかな」
「全然」私は言う。「綺麗な花。ありがとう」
すると彼は顔を綻ばせ、
「シロクシナダの花言葉はね、〈顔を上げて歩き続ける〉なんだ。明日へ向かって進む今の君にぴったりじゃないかな」
私は小さく頷く。それからシーツ越しに、己の腹部に手を充てる。その皮膚の下で着々と私の内蔵を蝕み続ける悪性の腫瘍を掴むように。掴んでちぎり取って、窓の外へ投げ捨ててやりたいと心の底から願いながら。
痛みがないから、そんなものが本当に腹の中にあるのか時々信じられなくなる。しかし確かに〈ある〉のだ。私はレントゲンでその影を、ナノ内視鏡でその姿をはっきりと見た。ピンク色の肉の壁に根を張った白い塊。元は私の細胞の一部だったそれは、まるで私に恨みを持つ色々な人の怨念が寄り集まっているかのように、しっかりと濃かった。そして怨念は、今も着実に増え続けている。私と同じ時間を歩き続けている。
私の右手に、彼の骨張った手が添えられる。
「大丈夫」今度は断定的だ。「君は一人じゃない。僕が隣にいる」
私はまた、小さく頷く。
帰って行く彼の姿を窓から見下ろしながら息を吐く。すると後ろから声が掛かる。
「よく真面目な顔してあんなこと言えるね、あんたの旦那」
視界の端に影が現れる。隣のバンガローで暮らすカガミさんだ。手元で何か光ってると思ったら、チタン製のスキットルが握られている。
「俳優もしくは詩人?」
「違います。飲食店経営者です。それから旦那じゃなくてまだ恋人です。たぶん恋人のままだけど。ってか、覗かないでもらえます?」
「ドアを開けっぱなしにしてる方が悪い」
「立ち聞きしないでくださいよ」
私が手を出すと、カガミさんはスキットルを渡してくれる。既に開いている蓋に口を付け、呷る。口腔内に入ってきたウイスキーが舌や喉を焼きながら食道を胃まで下っていくのが感じられる。
「地獄へ墜ちるぞ、不良」
「悪魔がそれを言いますか」
カガミさんは笑う。
「天気良いし山でも登らない? 身体、動くでしょ?」
私はシーツを撥ね除け、ベッドから下りる。身体はまだ動く。〈辛うじて〉ではなく〈今まで通り〉に。来年の今頃には動かなくなっているなどとは、やはり上手く想像できない。
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