第2話 荒垣紅蓮という男

 退屈していた。


 この世の中に、周りのすべてに、そして何よりも自分自身に、彼は退屈していた。




 紅蓮の父、荒垣鋼一郎。彼は超実践派空手「相克会」の二代目を自称する筋金入りの格闘家だった。


 自称、というのはそのままの意味だ。「相克会」の初代会長、大石一達が死去し、弟子たちは誰が正統な後継者なのかと争い始めた。鋼一郎もまさにその一人であり、自分こそが大石の一番弟子であると言って憚らなかった。


 だが、彼の苛烈な性格も災いして、彼に着いてくる者は少なかった。


 そこで目を付けたのが自身の息子である紅蓮だった。


 幼いころから運動神経の良さを発揮していた紅蓮を徹底的に鍛え上げ、最強の格闘家に仕上げる。そして有名になったのちに紅蓮と自分こそが「相克会」の正当な後継者であると名乗りを上げる。まさに空手バカここに極まれりといった愚策であった。


 父は語った。「最強になれ」と。そして紅蓮は答えた。「わかった」と。


 空手バカ二代目、ここに爆誕である。


 そんなわけで、紅蓮は徹底的に己の武術の腕を磨き上げた。


 愛想を尽くした母親が家を出て行っても、トレーニングだけは続けた。


 小学3年生のころには6年生も混ざる大会で優勝した。


 中学に上がったころには1年で中学生大会では敵なしだった。


 だが、このころになって父親と自分の抱く理想にズレが見え始めていた。


 ただ純粋に「最強」を目指す紅蓮と、「相克会」の会長を目指す鋼一郎。


 目的と手段。そこに生まれる齟齬。紅蓮と鋼一郎は何度も言い争いをしたが、結局折り合いがつくことはなかった。


 中学3年の時、鋼一郎が倒れた。理由は癌だった。


 このころには紅蓮は空手界では有名な存在であったが、世間一般にはまだ認知されていない。鋼一郎の頭の中にはこれから紅蓮が卒業し、格闘家としてデビューして華々しい結果を残すビジョンが描かれていたのだろう。


「紅蓮、俺は、口惜しいっ……!! お前のこれからを見られないのがたまらなく口惜しい!!」


 涙ながらにベッドに横たわりながらそう語る父の姿が頭から離れなかった。


 父の死後、中学卒業と同時に紅蓮は総合格闘家としてデビューした。


 早熟だった彼は、そのころには身長180cm、体重80kg。格闘家として申し分のない体格となっていた。


 デビューと同時に1勝を挙げた後、10連勝。世間は「若き天才」と紅蓮を担ぎ上げた。


 だが、有名になればなるほど、彼の中には虚しさともいうべき空虚が大きくなっていった。


 俺が目指していた「最強」とは、いったい何だったのか。


 道を示してくれる存在がいなくなり、目標も風前の灯火であった。

 

 ある日、紅蓮がいつものように一人自宅のトレーニング場で鍛錬をしていると、サンドバッグが彼の蹴りに耐え切れず裂けてしまった。


 紅蓮が10歳のころに誕生日プレゼントとして買ってもらったサンドバッグ。あの時は見上げるほどに大きかったが、今では紅蓮の身長と変わらない。


「ありがとう」


 紅蓮はサンドバッグに手を置き、感謝の言葉を述べる。


 そのとき、ふと、サンドバッグの裂け目に、何か黒いものが見えた。


 なんだろうと思い覗き込むと、そこには「穴」としか見えない何かが砂に交じって顔を覗かせていた。


 気になって触れてみた、その瞬間だった。


 一瞬で視界が暗転し、紅蓮は見覚えのない部屋の中へ放り出された。


「!? 誰!?」


 声がした方へ振り替えると、猫耳を生やしたメイド服姿の女性が剣呑な表情で箒を突き出していた。


「……コスプレか?」

「こすぷれ? よくわかりませんが、侵入者であれば容赦はしません!」

「ちょっと待ってくれ。俺にも事情が呑み込めていないんだ。まずはここがどこだか教えてほしい」


 紅蓮が冷静にそう返すと、猫耳女はいぶかしげな表情を浮かべる。


「貴方、ここが何処だか解らずに入ってきたのですか?」

「随分と騒がしいけど、どうかしたのかい? ミーシア」


 ドアの外から歌うような男性の声が聞こえる。


「バーラット様! 入ってきてはいけません! 侵入者です!」


 慌ててミーシアと呼ばれた猫耳女が答える。


「そうは言ってもねぇ、当主として事情は把握しないとだろう?」


 ミーシアの制止を聞かず、ガチャリとドアが開かれる。


 身長は紅蓮よりもやや高いか。蜘蛛のように細い手足に、無駄に大きなシルクハット、右手には青い宝石を埋め込んだ杖を突いた、やせ細った顔の男が顔を覗かせた。


「……これはこれは、随分と珍妙なお客様がいらっしゃったことだ」


 珍妙が服を着て歩いているような男が、紅蓮を見て興味深げに目を見開いていた。




「つまり、君はと呼ばれる国に住んでいて、そこで戦うことを生業にしていた、と?」

「おっしゃる通りです」


 バーラットの話では、ここはウルティアと呼ばれる国らしい。もちろん紅蓮は聞いたこともない地名だった。


 蜘蛛男、もとい、この屋敷の主であるバーラットは髭も生えていないのに顎をなぞりながら、紅蓮を嘗め回すように観察している。ちなみにミーシアはバーラットの後ろから静かだが凄みのある形相で紅蓮のことを睨んでいる。警戒心と敵対心が目で見えそうなくらいだった。


「ということは、君は魔闘士なのかな?」

「魔闘士?」

「おや、知らないのかい?」


 バーラットが驚いたように問い返す。


「君と同じように闘いを糧にして生きている者のことだよ。彼らは奴隷の身分でありながら、自身の力と技術を極限まで高めて競い合う。生きるか死ぬかの世界で戦う生粋の戦士たちのことさ。せっかくだ、私たちもちょうどこれから見に行くところだったのだよ。よかったら来るかい?」


 まるでコンビニでも誘うかのように軽い調子で紅蓮に声をかけるバーラット。


「!? バーラット様!? 正気ですか!?」

「是非見てみたい」

「貴方厚かまし過ぎませんか!?」


 ミーシアが突っ込みでパニックになっていた。


 だが、紅蓮は気にした様子もなくバーラットに頭を下げる。


 紅蓮の興味は「魔闘士」というものに惹き込まれていた。


 異世界の戦い。果たしてどんなものなのか、自分の焦がれるに足るものか、否か。


「……いいねぇ、その眼。ゾクゾクしてくる。どれ、そろそろ時間になる。ミーシア。馬車を手配しておくれ」

「………………………………わかりました。ですが私も着いていきます。その男と二人きりなど、心配で気が狂いそうですから」

「君より私の方が強いだろう?」

「それでも! 着いていくんです!!」


 どたどたと足音を響かせながら乱暴にドアを閉めて出ていくミーシア。


「やれやれ、すまないね。マナーはまだ教えている最中なんだ」

「いえ、構いません。それよりも、魔闘士、というものについてもっと教えてください」

「君も、そう焦らないことだよ。百聞は一見に如かず。とりあえず見てみてからでも遅くはないだろう?」


 バーラットはそう言ってにやりと不気味に笑う。


「きっと君も楽しめるはずさ。さあ、行こうじゃないか。最強の戦士たちの楽園へ」

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