第2話

「時間を戻す事が出来るのですよ? 名前と住所くらい分かりますとも」

 確かにそれが本当なら、それくらいは・・・いやいやありえないだろ。妙に説得力があったが、このまま丸め込まれるのは、釈然としない。

「まさか、ハッキングか?」

「そんなチープなものでは、ございません」

「じゃあ、なんだよ!? アンケートに答えただけで、個人情報が抜き取られたんだぞ! そんなもの聞いたこともない!」

「並川様が知っている事だけが、この世の全てではございません」

 少年は、駄々をこねる子供を諭すように優しく微笑んだ。少年は『さて』と、体の前で手を合わせた。

「無用な問答はこれくらいにして、本題に入りましょう。並川様は、『一億円で十年間時間を戻す事ができる権利』を獲得されました。勿論、権利を行使するも破棄するも、並川様の自由です。いかがなさいますか?」

「そ、そんな胡散臭いものに、手を出す訳ねえだろ!」

「そうですか。承知しました。それでは、失礼します」

 少年は、背筋を伸ばし、右手を胸に当て、お辞儀をした。顔を上げた少年は、微笑みながら俺の横を通り過ぎた。

「お、おい。ちょっと、待てよ」

「なんでございましょう?」

 少年は立ち止まり、振り返った。微笑みながら、顔を傾けている。なぜ呼び止めたのか分からず、茫然と少年の顔を眺めていた。こんな胡散臭い奴を、このまま帰しても良いのか。この十万円は、もらっても良いのか。その後、なにかトラブルに巻き込まれはしないのか。頭の中でグルグルと、疑問が浮かんだ。

「・・・本当に、時間が戻せるのか?」

「ええ、勿論でございます」

 あまりにも真顔で少年が見つめるから、俺は続く言葉が出てこなかった。

「並川様は、今幸せですか? 充実した日々を送っておいでですか?」

 宗教の勧誘じみた言葉に、心臓が高鳴った。俺は思わず、少年から目を逸らす。

「並川様の思考を察するに、『今よりも不幸になりたくない』という事でしょうか。すなわち、まだ下があるという事です。まだ地の底にはいないとお思いのようですね。では、今のままでもよろしいのではないでしょうか? では、私はこれで」

 軽く会釈をする少年は、背を向けた。奴の言った通り、俺が考えていた事は、『現状よりも状況を悪化させたくない』という事だ。詐欺に合ったり、トラブルに巻き込まれたり。

 今のままで良い? そんな訳あるか!

「・・・一億円なんていう大金ある訳ねえだろ」

「あ! これは、これは、大変失礼いたしました。私とした事が、肝心な事をお伝えする事を忘れ

ておりました」

 少年は、深々と頭を下げる。その態度が、わざとらしく見えた。

「今回は、キャンペーン中でして、二つの特典が与えられる事になっております」

「二つの特典?」

なぜ、それを先に言わなかった。俺の反応を見ていたのだろうか。少年は、人差し指を立てた。

「一つ、あなたの命を担保に、一億円をお貸しいたします」

「俺の命?」

「ええ、そうです。一億円は、十年後に返済して頂ければ結構です。つまり、十年前に戻り、一億円を稼いで、今日と同じ日に返して頂きます。その際、返金が不可能でしたら、担保を回収致します」

 もしも、返済できなかったら、俺を殺すという事なのか。少年は、思惑とは裏腹に、穏やかな笑みを見せる。

「十年で、一億円なんか、稼げる訳ねえだろうが」

「そこで、二つ目の特典です」

 少年は、中指を立てて、ピースサインを送った。

「現在の記憶をそのままで、十年前に戻します。これならば、一億円など容易いものです。この十年で流行したサービスや作品を思い浮かべれば、お金などいくらでも手に入るでしょう」

 確かに、こいつの言う通りだ。でも、本当に、そんな事が可能なのか。やはり、騙されているに決まっている。そもそも、時間を戻すなんて、あり得ないだろう。そんな事を考えていると、少年が深く溜息を吐いた。呆れたように、顔を左右に振っている。

「私は、どちらでも構いません。申し訳ありませんが、私も忙しい身です。並川様にご納得して頂けるまで、説得する気もございません。そんな時間、ありません。時は金なりとは、良く言ったものです。この権利を欲している方は、星の数ほどいらっしゃいます。そして、この権利に当選した以上の奇跡は、今後の人生では訪れません。死ぬまで、現状の姿をお送り下さい。もう一度、言います。私は、どちらでも構いません。今、この瞬間にお決めになって下さい」

 少年は、突き放すように、先ほどまでとは打って変わって、冷たい視線を送ってきた。こんな子供に・・・ちくしょう!

「ふざけんな! やれるもんなら、やってみやがれ! 本当に時間が戻せるなら、やってみろよ!」

 頭に血が上った俺は、見境なく怒鳴り散らした。すると少年は、満面の笑みを浮かべた。

「承知しました! それでは、並川様! ご案内ぃ!!」

 パチンと少年は指を鳴らし、俺は意識を失った。

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