私だけの恋人(後編)

 崇志は、それから一ヶ月後に私を迎えにきてくれた。アルバイトで稼いだお金だろうか、紙の封筒に入ったお札の束を取り出して、迷いなくカウンターに置いた。学生がたった一ヶ月でこれだけ稼ぐのは、きっと大変だったろうと思う。店主さんは、つらい目に遭った子だから今度は幸せにしてあげてねと言って、笑顔で私を送り出してくれた。


 崇志は私に玲那という名前をつけた。そして古い下宿の、使っていない小部屋に私を置いた。彼はあまり口数が多いほうではないけれど、誰もいない二人きりの部屋で名前を呼んで好きだと言ってくれると、とても幸せな気持ちになった。お金がないくせに、骨董品店やネットで可愛い服を探してきて着せてくれたし、しょっちゅうアクセサリーをくれた。意外とセンスがいいことには驚いた。

 けれど、彼は痩せ我慢をするタイプで、換気する時を除いて週末にしか私がいる部屋に来ない。それに部屋に来ても指一本触れようとしない。バカなのかなと思った。私は、そういう目的で作られた存在なのに。そうじゃなくても毎日好きだって言われたいし、触れられたいのに。私は拗ねて、彼が名前を呼んでも時々無視した。でも結局、見つめられると見つめ返してしまうのだった。


 私が彼のものになってから三ヶ月ほど経った頃、雨の日、初めてキスしてくれた日は天にも登りそうな心地だった。勢いだけの下手なキスだったけれど、とても優しかった。彼の身体は私の身体の代わりに熱くて、その身体のうちでは心臓が壊れそうなくらいの速さで打っていた。

 私は人間に生まれられなかったことを心の底から呪った。人間だったら、あなたの頰に触れて、好きだと口にできて、自分からキスもできる。嬉しい時は笑って、寂しい時は泣ける。彼の舌が唇をなぞった時、一つになりたいと思った。めちゃくちゃにしてくれていいって。でも、そんなことは言えないし、彼はキスするだけでも真っ赤になる人だから、それ以上は何もしてくれなかった。


 でも、今夜。出会ってから半年、クリスマスの夜。彼はこれから私を抱く。私はこのために生まれてきたのだから、遠慮なく好きにしてくれたらいいのに、彼は私が壊れてしまわないか、いちいち心配していて笑ってしまいそうになる。

 色移りしないよう慎重に選んでくれた白い下着が脱がされる。暖かい大きな手で全身の輪郭をなぞられて、そっと脚を開かれる。

 私達はその間もずっと見つめ合っていた。彼は、何度も繰り返してきたありふれた言葉を惜しげなく何度もくれて、名前を呼んでくれる。私は何も返せない。けれども、せめて私とこうしている間くらいは、日々のつらいことが全部消えてくれますように。

 こんな風に、ただの人形を大切に愛せる彼の前に、どうか、優しくて芯の強い素敵な女の子が現れますように。私なんか要らなくなってしまいますように。土に還ることのできない私は、バラバラに壊れたあとも永遠に彼を想い続けることができる。だから、人形に生まれて、良かった。




 僕はキーボードを叩く手を止めた。玲那さんは、出会ってから半世紀近く経った今も変わらぬ美しさのまま、僕の前に腰掛けて微笑んでくれている。定期的にに連れて行って、少しでも具合が悪ければ治してもらっている。

 は言葉を話せないし血も通っていない。人が僕らのことを知ったら、バカにするだろう。けれども、時々こう思うのだ――そう思いたいだけだと笑ってくれてもいい。

 今夜のように、特に月の光が強い夜。情熱的な瞳で彼女が僕を見つめている気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る