僕だけの恋人
すえもり
僕だけの恋人
静かな雨音のBGMが、僕と彼女だけの空間を外から遮断し、包み込んでいる。
彼女は窓辺の椅子に座ったまま、微動だにせずに思索に耽っている。瞬きすらしていないみたいだ。僕は、ひたすら文庫本を読む。時々彼女のほうを見る。
日曜の夜は、大体いつもこんな感じだ。
彼女の横顔からは、何を考えているのかは分からない。睫毛は長いというより細かくて多い。一重で伏し目がち。猫みたいな大きめのツリ目。あまり個性のない鼻。薄い唇。背が高くないのがコンプレックスなのか、いつも五センチヒール。明るい茶髪はゆるく巻かれていて、ハーフアップのことが多い。アクセサリーにはこだわりがあるのか、会うたびに違う。手足は身長の割にすらりと長く、身体の曲線は、女性らしいというよりも少女のように細い。
およそ世間一般の『可愛い』イメージとは正反対の彼女は、しかし、僕の目には美しく映る。非現実的な完璧さだ。触れがたい、汚しがたい何かを内に抱えている。
そう伝えて、付き合って欲しいと言ったのが約三ヶ月前。
それから、こうして土日は互いの部屋を行き来するけれども、僕が期待するような甘いやり取りは一切無い。もちろん、触れたこともない。
それでも、彼女がいるだけで部屋には静謐さが広がる。少し涼やかな香りも。僕はその空気を愛おしく思う。
……とはいえ、やはり大学生ともなれば、そういうことに興味を抱くものだ。洗面所の引き出しには、いつそんな時が来てもいいようにストックしているのに、一度も役に立っていない。立ちそうな気配もない。
まず手を握ったこともないし、キスなんて無理じゃないかと思う。一人の夜には、そういうことを考えてしてしまうものだけれど、どうしても彼女を汚したくなくて、結局妄想をやめてしまう。
「玲那さん」
僕は彼女に、ソファの隣に座るようにと呼んでみた。
彼女は反応しない。僕は仕方なく、彼女の近くに椅子を持っていって座った。
目が一瞬だけ合ったような気がした。それから、優しい心落ち着く香りと、ほんのかすかに汗の香り。それが劣情を呼び覚まし震わせた。
そろそろキスくらいしてみたい。目をじっと見つめて、それから体を寄せて、髪に触れた。
彼女は何も言わない。瞳だけ動かして僕をじっと見つめている。薄い茶色の瞳の瞳孔は開いていて、自分の奥底にあるものをぎゅっと掴まれたかのような気がした。心臓がうるさい。
「玲那さん。好きだ」
彼女の瞳が一瞬揺れたような気がした。頬に指先で触れた。少し冷たい。唇に触れた。半開きになった赤い唇の間から、白い歯がのぞいた。
僕は唇を押し付けた。強引だということは分かっている。でも、いつかは思い切らないと、僕には永遠にこんなこと出来ない。嫌われるだろうか。やめてと言われるだろうか。二度と目を合わせてくれなくなるだろうか。
彼女の唇は柔らかくて、溶けてしまいそうだった。甘い香りが強くなって、僕は思わず、その唇を舐めてしまった。やってしまってから、ひどく後悔した。
目を開くと、至近距離で目が合った。溶けそうなくらいに体が熱い。きっと、僕の心臓の音は、彼女に聞こえてしまっている。
彼女の頬には、涙の跡が付いていた。
「い、嫌だった?」
彼女は悲しげな目をしていたけれども、肯定はしなかった。
僕は慌ててハンカチを出して、その頬を、そっと拭った。
「僕は、もう死んでもいいってくらいに幸せだった」
泣いている彼女は、光の加減か、微笑んだように見えた。
僕は彼女を、誰にも見せない。誰にも教えない。僕だけのものだ。
彼女が汚れてしまわないように、作り物めいた滑らかな肌に色移りしない素材でできたカバーをかけてから、僕はもう一度呟いた。
「おやすみ。愛してる、玲那さん」
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