vs " Z "(9)

 かつてモンターナは、俺にこんな疑問をした。


『……なんで、前作と変わらないんだ?』


 セドナの断崖絶壁から突き出した、白い台地。

 そこに降りたったときに、こんなことを言った。


『……フルダイブだろう、この世界は。

 動作一つをとっても、前作と同じようには、いかないだろう?

 カノンの思い切りが良いのは、まぁ、わからなくも、ないが……。

 フーガの動きが、前作と変わらないのは、おかしくないか?』


 あの時モンターナは、暗に俺のことを称賛してくれていたのだと思う。

 この世界でも、前作と同じように動けるなんてすごい、と。

 この世界では、前作と同じように動けないはずだ、と。


 でも、こうしてこの世界での痛みを得て、思う。

 たぶんそれは――逆なんだ。



 *────



 前作『犬』は、視覚と聴覚のみを同調させるVRゲームだった。

 俺たちが感覚できるのは、視覚と聴覚のみだった。


 この世界に来て、俺に新しく加わった、3つの感覚情報。

 嗅覚、味覚、そして触覚――痛覚。

 それは恩恵であって、決して制約ではない。

 なんなら、視覚と聴覚以外の同調を切ったっていいんだ。

 そうすれば、かつて『犬』でそうであったように動くことができるだろう。


 だが、俺はすべての同調を自分の意志で完全なものにした。

 それは決して縛りプレイをしようと思ってのことではない。

 そちらの方が、より多くの情報を得られるから。

 そちらの方が、より生き延びられると思ったから。

 そちらの方が、より愉しめると思ったから。

 かつて仮想端末から取り込むしかなかったそれらの情報を。

 今の俺は、この身体から直接受け取ることができる。

 モニターの数値を見て、自分のアバターを状態を鑑みて、周囲の状況を判断して、それから行動しなければならなかった前作に比べれば、対応にかかる時間は格段に減っているはずだ。

 つまりこの世界での俺は、あの時の俺よりも、もっと鋭く動けるはずなのだ。


 それなのに――なんだ、これまでの動きは。

 なにを常識にとらわれた動きをしているんだ。

 なにを戸惑っているフリをしているんだ。

 おまえは、そうじゃないだろう。

 そうじゃなかっただろう。

 人間の限界なんて、既に思い知っているはずだ。

 どこまでやればこの身体が壊れるかなんて、とっくに把握しているだろう。

 どこまでならこの身体が壊れないかなんて、とっくに把握しているだろう。


 わかったら、そら。

 五感が伝える身体の兆候バイタルサインに耳を澄ませてみろ。


(……。)


 痛いとか、苦しいとか。

 焼けるようだとか、抉られるようだとか。

 そうした心象という名のレッテルを剥がしてみろ。

 いま、お前の身体はどうなっている?

 骨は折れていない。関節は外れていない。

 臓器は破裂していない。腱は千切れていない。

 手足に力を籠める。軋みが返る。神経は潰れていない。

 心臓は動いている。血量もいまだ酸素を運ぶに足る。


 ――そら見ろ。

 今のおまえは、かつて幾千と墜ちた、あの死の淵に立ってさえいない。

 本当の正念場は、死の淵に立ってからだ。

 手足が壊れようが、血反吐を吐こうが。

 眼球が潰れようが、腱を切ろうが。

 皮膚が焼かれようが、破られようが、溶かされようが。

 死にさえしなければ、なんでもしてきたのがフーガだろう。

 それが、最期まで生き足掻くということだろう。

 それが、おまえのたった一つの矜持プライドだろう。

 おまえはいま、なんだ。


 俺は俺らしく、好きなようにやればいい。

 生きている限り、死ぬまで足掻けばいい。

 それが俺の、この世界の愉しみ方なのだから。



 *────



 ズールとカノンが相対している場所に、全力で駆ける。

 だが、ズールの様子が――どこかおかしい。

 カノンに飛び掛かることなく、なにか、躊躇っているような――


(……いや、あれはッ!!)


 それでもズールは、遂にカノンに躍りかかった。

 だがカノンは、まるでその場に縛り付けられたかのように動こうとしない。

 カノンの矮躯に唸りを上げて迫る、獣の剛腕。

 喘ぎ潰れた喉で、それでも叫びを吐き出す。

 

「――左に跳べッ!! カノンッ!!」


 その直後、カノンの立っていた地面が爆ぜ、その身体がこちらから見て右手に弾き跳ぶ。

 すわ、ズールの前脚で薙ぎ払われたのかと肝を冷やすが――


(……自分で跳ねた、のか?)


 平然と着地したカノンを見て、一つ安堵。

 カノンは、大丈夫そうだ。血に塗れている様子もない。

 俺が心配しなくても、カノンは一人で相対して見せた。

 ならばもう、なんの心配もない。

 心置きなく――やらせてもらおう。


「――ズールゥゥゥゥッ!!!」


 その巨体が、こちらを振り向こうとするが、構わない。

 そのまま、ズールに向かって【跳躍】する。


「行くぞォォォォ――!!!」


 爆ぜ散れと言わんばかりに地面を蹴り穿ち、宙へと身を跳ね踊らせ。

 曲芸めいた大跳躍で、ズールの頭上を取る。


  ――……ゥゥ、グルル、ルルルルァァ……ッ!!


 お前が予想外で俺に一撃くれたように、お前にもこの一撃は読めまい。

 それができるんなら、最初からやれってな話だからな。

 そうしなかったのは、単にそれが無茶過ぎたからだ。

 リスクを考えれば、後回しにされるべき選択だったからだ。

 だが――もう、躊躇いはない。

 この手足がぶっ壊れるくらい、本気でいかせてもらうッ!!


「喰らえ――」


 ズールの背に、身体ごと突き刺せと言わんばかりに降り立ち。

 血濡れた体毛に軸足を絡めて縫い留め、跳躍の勢いそのまま、振りかぶるは右脚。

 万感の思いを込めて、それを振りぬく。


「――っっしゃぁらぁぁぁっ!!!」


  バギィィィィイイイイン――!!!!


 耳をつんざくほどの、強烈な破壊音。

 右脚から伝わる衝撃、痛み、熱さ、痺れ。

 だが、それを代償として――


  ――……ゥゥ、ガッ、グルルルァァァァアッ!!


 ズールの背に刺さっていた、もう一本の鉄杭。

 赤く黒く錆び付いて、それでもなお、その傷口を塞いでいたもの。

 それが――根元から、叩き折れる。

 背から突き出した少し上のところで叩き折れた鉄杭は、パラパラと錆の破片を巻き散らせながら、宙へかっ飛んでいく。

 そして、その鉄杭が埋め込まれていた、ズールの身体も――


  ブチュ!! プシュッブシュ――


 まるで湧水のように、杭のまわりの傷口から血が噴出してくる。

 ……あと少しで、抜けるな。ならば――


「――ちょっと痛いぞっ、我慢しろッ!!」


 ズールの背中から突き出した、背の低くなった鉄杭を踏み台として、足を掛け、


「――ぅぉぉぉおおおッ!!」


 全体重を載せて全力で、そこから空へと【跳躍】。

 俺の足の下で、短くなった鉄杭が、開かれた貫通痕を抉りながら、ぞぶりとズールの身体に沈み込む。


  ――……ゥゥ、グギャッ、ギャャゥンッ!?


 だが――それでも、鉄杭は刺さったままだ。

 重く深く、鉄杭はズールの身を縛り付けている。


「ぉぉぉおおお――」


 ズールの背の上で、その身を宙に躍らせる。

 高く、高く、更に高く。

 頂点で、身体を縦に回転。

 あとは――墜ちるだけだ。


「――おおおおおッ!!」


 走馬灯のようにスローになった視界の先にある、折れた鉄杭。

 この杭を抜くことは、お前の死を早めるだろう。

 抜かない方が、長生きできたかもしれない。

 それでもお前は自分で、1本目の杭を抜いた。

 死の淵に立ってでも、生きようとする意志を見せた。

 俺はその覚悟に――魅せられたんだ。

 だから、残るもう一本については、俺に抜かせてくれ。

 かつてお前にこれを刺したのは、たぶん人間だろう。

 勝手に刺して、勝手に抜いて。なんて、罪深い。

 だけど俺は、この杭が刺さったまま倒れるお前を、見たくない。

 お前の本気を、お前の全力全開を、見せて欲しい。

 そうしてようやく、俺とお前は、対等になれるんだ。


 宙で回転した身体が、重力に引かれ、落下を始める。

 墜ちるその先には、踏み台にした、叩き折れた鉄杭――


「――抜けろォォォォッ!!」


 ――そこに、全体重を載せた蹴りを叩き込む。

 横からの強い衝撃で、既にぐらついていた鉄杭。

 そこに垂直方向の衝撃を叩き込まれ、その鉄杭は。

 ずるりと、周囲の肉を削ぎながら、ズールの身体に沈み込む。


  ――……ゥゥ、キャゥッ、ギャウゥゥンッ!?


「おわっと――」


 横倒しに倒れるズールの身体から、くるりと飛び退く。


「痛ッ――」


 着地した衝撃が右足を伝い、鈍い痛みを返す。

 左足に体重を預けながら、目の前に横たわる獣を見る。

 腹部から飛び出した鉄杭の周囲から、どくどくと血を流しながら、悶えるように身をよじらせるズールの身体から――


  ――ガランっ


 抜け落ちる――鉄の杭。

 荒い息を吐きながら、痛々しい悲鳴を漏らしながら、

 身体を痙攣させながら、血を巻き散らしながら、目の前で悶える一匹の獣。

 その姿を、その痛みを、目に焼き付ける。

 今の一撃が、こいつの命を奪ってしまうというのなら。

 このまま力尽きるというのなら、それもいい。

 そのときは、それで俺たちの勝ちだ。


「……手荒い真似して、すまんな」


 でも……なぁ、ズール。

 それ、重かっただろう。

 鬱陶しかっただろう。

 煩わしかっただろう。

 抜いても抜かなくても、お前の命運を縛り付ける、2本の楔。

 全力を出したくても、出せない。

 死にかけているのに、足掻ききれない。

 そんなのって――あんまりだろう。


「――でも、さ。これで、ようやく、はじまりなんだ」


 でも、もう大丈夫だ。

 もう、お前は自由なんだ。

 あと、数分も保たない命かもしれないけど。

 それでもお前は、いま、全力を出せるはずだ。

 なら、まだ、戦えるだろ?

 最期まで、戦いたいだろう?

 なぁ――師匠。


「……立てよ。立とうぜ、ズール。

 俺も、お前も。まだ――生きてるだろ?」



 *────



 俺の背後に立ち、俺とズールを見守っているカノンに声を掛ける。


「カノン」

「ひゃいっ!?」

「ひゃい?」

「……んっ、なんでも、ないっ。

 ……あの、フーガくん。あしとか、おなかとか、だいじょうぶ?」

「それがな、よくわからん。いまテンション最高潮でな」


 身体は煮え滾るように熱く、重い。

 思考はこの上なく透き通っている。

 ディープブルーも染み渡っている。

 脇腹や右足の焼けつくような痛みも、むしろ心地よくすらある。


「ごめん、カノン。相談せずに、好き勝手して」

「んん。ぜんぜん、いいよ? ……だって――」

「……だって?」

「フーガくん。……、だから」

「――っ」


 ……そうか。

 そうか、わかるのか。

 それを、わかってくれるのか。


 ならば、カノン。

 お前の変わりたいという願いは。

 もう、すぐそこにある。

 もう、お前の手の届く場所にあるんだ。


「カノン」

「んっ」

「カノンも、どう?」

「――っ」


 いつの間にか革グローブのすっぽ抜けていた、俺の右手。

 土くれと、擦り傷と、返り血で、血塗れのどろどろだが。

 それでもかまわず、カノンにその手を差し出す。

 それ以上の言葉は、掛けない。

 それは言葉で伝えるのではなく、カノン自身で見出さなければならない。

 だから俺は、ずっとこの機会を待っていたのだ。

 カノン自身が、自ら見出せるような、その機会を。


「……。」


 汚れた手を差し出したまま、正面からカノンの顔を見る。

 土くれに汚れ、汗の筋痕が残る、どこか憔悴した顔。

 こちらを見返すその瞳には、確かな意志の光がある。


「……んっ」


 果たして、カノンは――

 革グローブを外して、血で汚れた俺の手に、その手を重ねた。

 その血で自分の手を汚すように、指先を絡める。


「……。」

「……なに、か?」

「あったかい、かも」

「……その感想は、流石にちょっと猟奇的じゃ……――ッ!!」


   ぶわり

 

 周囲の大気が一変する。

 ぴりぴりと、大気が震えている。

 それは――前触れ。


 身を横たえ、血を流し、悶えていた獣。

 その獣が――立ちあがろうとしている。

 もがくように、よろめくように。

 血を吐きながら、血に塗れながら。

 それでも、雄々しく立ち上がる。


 そうして、それは、天を仰ぎ、



  ――……ゥゥ、ァオオオオォォォォ――――ンッ!!!



 天に響き渡るような。

 森を引き裂くような。

 地を揺るがすような。


 遠吠えを――放った。


(……ああ。)


 なんて――気高い。



「……んじゃ、行こうかカノン。当初の作戦通りに」

「んっ。……死なない、でね?」

「……ワンダラーだぞ?」

「ぁ……んっ……うんっ!」

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