" ■■■■■ " (2)

 ガラス化した廃墟の中に遺されていた、ポータルの残骸。

 その突然の起動によって、カノンと二人飛ばされた、静まり返った森の中。

 だが、この場所は自然の森の中ではないように見える。

 背後と左右の三方は、植物の蔦に覆われたコンクリートの隔壁。

 鎖されていないのは、視界を樹々に遮られた前方のみ――だ。


 周囲に警戒を張り巡らせたまま、手近なところに生えている、1本の樹木に触れる。

 年老いた焦茶色の樹皮を持つ、その木肌は、


(――堅い、な)


 軽く押し込んでみるが、くしゃりと陥没したりはしない。

 革グローブ越しにぺちぺちと叩いてみるが、見た目相応に堅い。

 垂れ下がる枝についた葉を掴んで擦ってみれば、ざりざりと堅い感触を返す。

 つまり、脆くはない。

 つまり、死んではいない。

 このあたりの樹々は、あのテレポバグ先の森のようなことにはなっていない。

 通常の、樹木だ。


(……。)


 ならばあの時のように、このあたりの樹々が、突然襲い掛かってくるようなことはない、か?

 しなる蔦が、地中の根が、俺たちを刺し殺さんと迫ってくるようなことはない、か。


 ……いや、そう判断するのは早計だろう。

 そもそも、俺が最初にあの森に転移テレポバグした直後は、周囲の樹々が襲い掛かってくるようなことはなかったのだ。

 俺が、あの森の中を進み、あの奇妙なうごめきに近寄ってしまってから、あの森は俺に襲い掛かり始めたのだ。

 であれば、あの森自体は、狂っていなかったということもありうる。

 俺があのうごめきに近寄りさえしなければ、なにも起こらなかった、と。


(……。)


 実績に刻まれた、奇妙な文字列。

 " ■■■■■ " とは、なんだ?

 俺が転移した、あの森、あの場所自体が、それなのか?

 それとも、死に果てていた樹々が、それなのか?

 それとも、あのとき俺が見た、うごめきがそれか?

 あるいは、それらのどれでもなく。

 あのときの俺が気づかなかっただけで、俺はなにか、もっと奇妙なものに出逢っていたのか?

 俺は既にそれを見ているのに、出逢ったことに気づいていないだけなのか?


(……わからない、か)


 いまは、わからない。

 あるいはこの場所で、なにか見覚えのあるものを見るかもしれない。

 そのとき、はじめて考えを進めることができるだろう。

 " ■■■■■ " の正体についての、考えを。


(……。)


 あのとき見たものと、同じようなものを見るということは。

 あのときと似たような経験をするかもしれないということだ。

 あのときは、あの森から脱出するために、必死で逃げたけど。


 背後。高くそびえるコンクリートの隔壁。

 右手に広がる樹々の奥を見る。

 20mほど離れたところに、同様の壁らしきものが見える。

 左手も同じだ。

 背後と左右は、コンクリートの壁によって遮断されている。

 頭上。10mほどの高さの、格子状の天井。

 赤く黒く錆び果て、植物が絡みついたそれは――鉄格子、に見える。


(……。)


 上下と、背後と、左右。

 その方向に、逃げ場はない。

 残るは、前方のみだ。

 だが――そちら側にも、壁はあるのではないか。

 三方を囲っておいて、残りの一方を囲わないようなことがあるだろうか。


 ならば、この場所は、隔離されている。

 世界から――隔絶されている。


 ……なんのために?



 *────



 背後も、左右の森のなかも。

 見える範囲で、なにか気になるものは見当たらない。

 なにも、動くものは見当たらない。

 ただの、森に見える。

 だから、あとは前方だけだ。

 じりじりという、森の地面を擦るブーツの足音すら殺して、前方へ進む。


 頭上も、左右も、背後も。

 全身全霊で警戒しながら、前方の森の中へ。

 まばらに生える樹々に身を隠すようにして、けれどその樹々こそが自分を殺すかもしれないと思いつつ、樹々の合間を縫っていく。


 そして。

 転移地点から、数本の樹々を挟んだ向こう、距離にして20mほどを歩いた先。

 そこで、俺たちは、見た。


「――っ!!」


 傍らのカノンが息を呑む。

 俺は、息を呑むのも忘れた。


 目の前には、開けた空間がある。

 森の中にぽっかりと開いた、空き地。

 視界が通ったことで、その空き地の先が見える。


 ここから更に20mほど先、まばらな樹々の向こう側に、高くそびえる緑の壁がある。

 植物の蔦で隙間なく覆われたその壁も、高さは10mを超えているだろう。

 綻びも瑕疵もなく、前方を垂直に遮っている。

 森の樹々の高さはせいぜいが4mほど。

 やはりこの空間は、コンクリートの隔壁で四方を囲われているのだ。

 森の中に、あるいは森を模して造られた、およそ40m四方の箱庭。


 ならば、天井に見える鉄格子。

 あれもかつては、隙間なく塞がれていたのではないか。

 そう、たとえば――鉄筋コンクリート、として。

 天井を塞いでしまえば、この空間は密閉されている。

 完全に隔離されている。


 ……なんのために?


 その答えは、たぶん、俺たちの目の前にある。

 目の前に――いる。


「……ぁ、れ……って……」


 カノンの問いかけに、答えることができない。

 答えられるはずなのに、答えることができない。


 なんで。

 なんでだ。

 なんで、お前が、ここにいる。

 なんで、そんなことになっている。


「あ、あ――」


 俺は、その存在を、知っている。

 その存在の名前を、知っている。


 だって、そいつの名前は。

 俺たちプレイヤーが、与えたものだから。

 想いを込めて、誰かが名付けたものだから。


 口から漏れ出るように。

 目の前に横たわる、その獣の名を呼ぶ。



「…………?」



 *────



 森の中にぽっかりと開いた空き地にその身を横たえる、一匹の獣。

 体高1m、全長4mはあろうかという、巨大な体躯。

 白い灰のような体毛に、力なく地面に下がる大きな尾。

 狐のように前方に伸びた三角の耳は、ぺたりと伏せられたまま。

 投げ出された太い四つ足は、地面を掴むこともなく。

 閉じられた瞳は体毛に埋もれ、口吻は緩く閉じられたまま。

 まるで眠るように、腹ばいで横たわる、その獣は、しかし――


 ――眠っているのでは、ない、だろう。


「そん、な……」


 なぜなら、その獣には、楔が穿たれているから。

 まるで大地に縫い留めるように、錆び付いた巨大な鉄杭が2本、その胴体に穿たれている。

 それぞれが広げた手のひらほどの太さのそれは、もはや鉄の柱と呼ぶべきかもしれない。

 そんな鉄杭が、位置と角度を変えて、背中側からその獣の胴体を刺し貫いている。

 どちらの杭の先端も、地面に突き刺さり、その胴体を地に繋ぎとめている。

 その楔から伸びる、錆び果てた鉄の鎖が、その獣の身体に巻き付いている。

 目を凝らせば、その獣の右前足にも、なにか金属の棒のようなものが穿たれている。

 それは地面から引き抜かれ、しかしいまだに獣の身体に刺さったまま。

 その獣の周囲には、鉄杭のような大小無数の金属片が散らばっていて。

 それらもまた、きっと、かつてその獣に絡みついていた。


「あ、あ……」


 目の前の光景。

 その意味を考えると、吐き気がする。


 ――むごい。


 なんて。

 なんてことを。


 なんで。

 そんなことを。


 かつて " アミー " の名を与えられた、獣の成れ果て。

 ふらふらと歩み寄りそうになる足を、理性で縫い留める。


 落ち着け。冷静になれ。

 まだ、駄目だ。

 迂闊に近寄っては、駄目だ。


 まさか、この場所は。

 場所なのか。

 そのための、場所なのか。

 そのために作られた、檻なのか。


「――ふっ、フーガくんっ!!

 あれっ、あれって、アミー……っ!!」


 叫ぶようなカノンの声が、静寂を突く。

 先ほども問われた、先ほどは答えられなかった問い。

 断定はできないかもしれない。

 ちゃんと確かめるべきかもしれない。

 だが、もうどうしようもなく、悟ってしまった。

 目の前の獣が、かつて出逢った獣であることに。

 この星の上で共に生きた、人類の同胞であることに。



「ああ、まちがいない。……こいつは、『犬』にいた、ア――」



(……あ?)



 ぞくっ、と。

 背筋を、なにかが駆け抜ける。


 ぶわっ、と。

 二の腕に、鳥肌が立つ。


 なんだ。

 ――なんだ?


 なにか、おかしいぞ。

 ――なにが、おかしいんだ?


 そうだ、おかしい。

 ――目の前の光景は、おかしい。


 だって、ここは、あの世界だけど。

 アミーがいても、おかしくないけれど。

 でもここは、あの世界の、遥か後の世界なんだ。


 ガラス化した、コンクリートの建物。

 セドナの断崖絶壁に呑まれたそれ。

 セドナが高地になる前に、ガラス化した廃墟。

 ならば、放棄されたのも、セドナが高地になる前だ。


 あの廃墟の中のポータルの残骸も、

 そこから転移したこの場所も。

 きっと、数万年前に、放棄されている。


 海抜付近にあったセドナが、遥か高地まで持ち上げられて。

 それほどの火山活動が起こり、しかし地表からはその痕跡がなくなるほど。

 溶岩台地が緑で覆われ、植物が繁茂し、生態系を構築し、穏やかな樹林になるほど。

 湧出した地下水が大地を削り、大きな川を形成するほど。


 この場所が放棄された、そのあとで。

 長い、長い年月が経っているはずなのだ。

 目の前の獣に穿たれている楔も、錆び果てている。

 絡みついている鎖も、バラバラに千切れてしまっている。

 なにもかもが朽ち果て、錆び付き、形を失うほどの。

 悠久の時間を、経ているはずなのだ。




 じゃあ


   なんで


 めのまえの


   けものは


 あみーの


   かたちを


 たもって


   いるんだ?



「――カノン。……。なにか、やばいぞ……ッ!!」

「えっ」


 先ほどは前へと歩み寄りそうになった足が、じりじりと後ろに退く。

 足を退かせるのは、未知への恐怖と――記憶に刻まれた既知への恐怖。


「退くぞ。駄目だ。……あれは――駄目だ……ッ!!」

「ふっ、フーガくんっ……?」


 理解できない。

 わからない。

 目の前の光景の意味が、説明できない。

 そして――


 なのだ。



「――ッ!!?」


 わからない。

 理解できない。

 目の前で、いったいなにが起こっているのか。


 ――いったい、なにがきっかけだったのか。


「――ぁ」


 森の空き地に横たわる、1匹の獣。

 体毛に埋もれたその瞳が、ゆっくりと開かれる。

 そこにあるのは、アミー種特有の、金色の瞳。


 ――では、ない。


「ひっ……っ!!」


 落ち窪んだ、暗い眼窩。

 そこに、瞳はない。

 そこに、眼球はない。

 そこに、光はない。

 虚空が、ゆっくりと、開かれる。


 そうして、ゆらりと、その獣が、


 こちらを、見た。



  ――



「――っ!! カノンッ!! 退くぞッ!!」

「えっ、あっ……うんっ!!」


 引きつる喉から漏れ出たのは、嗚咽か、悲鳴か。

 カノンを先行させ、きびすを返す。

 背後から、聞こえるはずのない音が聞こえる。


 それは、じゃりじゃりと、なにか金属が擦れ合う音。

 それは、ばらばらと、なにかが細かいものが地面に落ちる音。

 それは、ざりざりと、なにかが森の地面を擦る音。

 それは、ぼごりと、なにかが地面から引き抜かれる音。


 聞こえてくるそれらの音が、幻聴であって欲しいと願いながら。

 ちらり、と、背後を振り返る。

 しかし、それは――都合のいい願望に過ぎなかった。


 おかしい。

 おかしいだろ。

 なんでそうなる。

 なんでそんなことが起こる。

 なにがどうなると、そうなるんだ。


 いったいなにが、どうなっているッ!?



 そこには、巨大な、1匹の獣が、立っていた。

 その身を穿つ2本の鉄杭を、その身に刺したまま。

 身体中に絡みついていた鉄鎖は、とうに錆び果て、ばらばらと零れ落ち。

 細い杭の刺さったままの右前足は、しかしその巨大な体躯を支える。

 その暗い眼窩で、こちらを見る。


 こちらを――視る。


「ぃぎっ――」


 思い出す。

 思い出す。

 かつての恐怖を、思い出し、漏れ出る叫びを噛み殺す。


 それは、今から8年前。

 『犬』のはじめてのイベントで刻まれた、はじめてのトラウマ。

 所詮視覚と聴覚限定の同調だと、たかをくくっていた俺に刻まれた、はじめての記憶。

 鋭い爪で顔面を抉られ、首をねじ切られた記憶。


 死ぬということ。

 殺されるということ。

 はじめて味わった――死の恐怖。

 人間の根源に根差す、自己喪失の恐怖。

 現実に戻った後でも、震えて立てなくなるほどの、どうしようもない衝動。

 俺にそれを刻み込んだ、1匹の獣。

 その獣がいま、目の前にいる。



  ――……



 獣が、にわかに鼻先を高く持ち上げる。

 遠吠えすることもなく、鼻先を引くつかせることもなく。

 ただ天を仰ぐように。


 だが、俺は知っている。

 その仕草の意味を知っている。


 だから俺は、もはや振り返らず、駆け出した。

 これから起こる惨劇を回避するために。




 ――狩りが、はじまる。

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