" ■■■■■ " (1)
ここは、惑星カレドの――とある場所。
それは音もなく、大気を寸分揺るがすこともなく。
そっと手のひらから零れ落とすように、行われた。
空間の宙に、どこからともなくふっと現れた無数微小の青白い粒子が、
くるくると渦巻きながら、人の形を形成する。
そんな二つの青白いヒトガタに、
ぱりぱりと、どこかホログラフィックなエフェクトが覆いかぶさり、
そこに現れたのは――
*────
視覚――仄かな光。
うす暗い空間。くらやみではない。
ここは闇夜の中ではないし、光射さぬ洞窟・地下空洞内部でもない。
ガラス化したコンクリートの建物の中でも――ない。
足元を見れば、濃い緑色の草地。
虫が集ってきたり、沼地に沈み込んでいくようなことはない。
周囲を見れば、鬱蒼とした森、のような。
だが、完全な自然の中でもない。
左右の森の遥か向こう側には、なにか暗い壁のようなものが見える。
右手側と左手側、そのどちらにも。
頭上を見れば、10mほどの高さにある、赤黒く錆び付いた格子。
その格子状の天井には無数の植物の蔦が絡みつき、空は見えない。
その緑の天井の向こう側からは薄明が漏れ込んでくる。
聴覚――際立った異音なし。
呼吸の音を止めれば、誰かの心音が聞こえる。
それ以外の音は――ない。
触覚――腕の中に熱。
誰かの身体を抱いている。
嗅覚――際立った異臭なし。
湿気のある、冷たい空気。
吸い込んでも、気道が焼けつくような感覚はない。
それらすべてを瞬時に統合し、目の前の世界を把捉する。
今やるべきことは――伏せることだ。
空気を揺らさないように声を殺して、低く囁く。
「……カノン?」
「……んっ」
「しゃがむぞ」
「んっ」
ゆっくりと、その場にしゃがみ込む。
周囲を警戒したまま、腕の中のカノンを見る。
戸惑ったような、怯えたような――カノンの顔。
……見たところは、問題ない。
なにかしら異常が起きているというようなことはなさそうに見える。
自分のアバターもざっと眺めてみるが、こちらも問題なさそうに見える。
テクスチャがバグったり、混ざったりはしていない。
「……フーガくん」
「ん」
「わたしたち、
「たぶん。……身体、放すぞ」
「……うん」
背後を見る。
数メートル先に、深緑色の蔦に覆われた垂直の壁がある。
その高さは10mほど。
壁は、蔦に這われたまま、格子状の天井まで聳えている。
その手前、俺たちと壁の間。
草地に埋もれるように散らばる、なにか金属のようなものの残骸がある。
透明な破片。錆び付いた大きな金属の円盤。赤茶色の針金。
それらはばらばらで、もはやそれがなんであったのかなどわからない。
だが――
「まともに、転移した、っぽいな」
「えっ」
「ポータルのある場所から、ポータルのある場所へ、だ。
後ろを見てみろ、ポータルの……残骸っぽいものがある。
だから、転移の処理自体は……たぶん、正常通りだ」
転移の処理自体は、正常に行われた。
俺たちは、正しく、転移させられた。
「でっ、でも……ポータル、壊れてた、よね?」
「……わからん。……
「処理って――」
「……悪い。もろもろの疑問は、あとで」
左右も、背後も、植物に覆われた壁で囲まれた、この場所。
深い森の一部を切り取ったかのような、緑の牢獄。
ばらばらに壊れたポータル。
音のない森。
――
「ここで悠長に話してるのは、危ない」
「えっ――」
ポータルの残骸の傍に落ちていたガラスのプレート。
そこに刻まれていた、解読できない文字列。
それは、かつて俺が獲得した、とある実績に刻まれていたもので。
恐らくはその実績は、俺がセドナに来る前に獲得したもので。
" ■■■■■ "
その文字列が、あのガラス化した廃墟の中にもあったということ。
隔離されたポータルの近くに落ちていたということ。
転移自体は、おそらく正常に行われたということ。
ならば、
(この場所に、あるのは――)
なぜ、とか。
どういう、とか。
そういうのは、すべて後回しだ。
声を潜めて、息を潜めて。
周囲を窺う。
「……。」
即座になにかが襲い掛かってくる、ということはない。
不気味なほど――静かだ。
「……カノン。できるだけ静かに。会話も最小限に。
なにかに気づいたら、俺の肩を叩いてくれ」
「……。」
傍らのカノンが、こくり、と頷く。
まずは状況の把握からだ。
*────
革グローブのまま、地面の草地に触れる。
細い葉を指先で千切る。
プチプチと繊維の千切れる感触。
この植物は、生きている。
形だけを留めているわけではない。
ゆえにここは、恐らくは、あの森では――ない。
あの森は、地表のすべてまで、朽ち果てていた。
背後にある、金属の残骸らしきもの。
地面に埋もれ、錆び付き、朽ち果てたそれは、かつてそれがなんであったかなど想像もできない。
足音を殺し、カノンとともに、そちらに這いよる。
そうして、その残骸のあたりで、しばし待つ。
1秒、2秒……5秒。
なにも、起こらない。
指先を擦り合わせ、仮想端末を起動する。
表示されている時刻は、23:50。
ここに転移する直前に確認した時刻と、ほぼ同一。
そして、時刻の左側に表示されているもの。
メッセージを受信したことを示す、ポップアップ。
それを開く。
『From:■■■■■■■■(■■■■■■)
件名:■■■■■■■■■■■■
内容:■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■.
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■ " ■■■■■ "
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■.
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■.
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■
…………
「……。」
俺の仮想端末を横から覗き込むカノンの身体が強張る。
その反応も当然だろう。
なにせ俺たちは、なんの前触れもなく突然、読めない言語で書かれた、得体のしれないメッセージを、得体のしれない方法で投げつけられたのだ。
しかも、ここに飛ばされたのは、このメッセージを受け取った直後。
このメッセージと俺たちの身に起きた転移の間に、なんの関係もないとは思えない。
だが――
このメッセージが送られてきたことが、俺たちの転移に関係があるにせよ、ないにせよ。
このメッセージの内容が、この場所に関係があるにせよ、ないにせよ。
というか恐らくはあるのだろうが、いまはどちらでもいい。
どうせ、読めないのだ。
考えるだけ無駄だろう。
……いや。
見るべきものがないわけでは、ない。
『…… " ■■■■■ " ……』
メッセージの文中にある、二重引用符らしき記号で囲まれた文字列。
この文字列は、見たことがある。
ガラス化した廃墟の中の、ポータルの残骸の傍に落ちていたプレート。
そこに刻まれていた文字列と同じだ。
仮想端末から、俺(フーガ)の生体情報の項目を開く。
そして、取得済みの実績の項目を確認する。
――――――――――――――――――
【 " ■■■■■ " との遭遇】
条件: " ■■■■■ " に遭遇する。
――――――――――――――――――
やはり、まちがいない。
ポータルの残骸の傍に落ちていたプレートに刻まれていた文字列。
送られてきたメッセージの中で、強調されている文字列。
それらは、かつて俺が取得した実績に記されていた、謎の文字列と同じものだ。
予想通り、この文字列は、文字化け、ではない。
なんらかの意味を持つ、ほかの言語の文字だ。
この世界に遺されていた、なんらかの遺失言語――
(――ん?)
仮想端末に、この文字列が表示されているということ。
文字化けではない、
それって、おかしくないか。
だって、それって、この仮想端末が、この言語に――
(――いや、その手の考察はあと、だ)
とにかく、このメッセージは読めない。
このメッセージが持つ情報を利用することはできない。
俺たちがいま、このメッセージから読み取ることができる情報は、ただ一つ。
『…… " ■■■■■ " ……』
俺がかつて遭遇したという " ■■■■■ " 。
恐らくは、セドナに死に戻る前、テレポバグ先で遭遇したもの。
それが、おそらくはここにもいるということだ。
あるいは、そのモノが、ここにも在るということだ。
それが、なんなのかは、わからない。
わからないが――
生態情報の項目を閉じ、今度はマップを開く。
ザザッ――ザッ――
―― LOST ――
灰色の横線が入った砂嵐が表示されるのみ。
やはり、ここは、セドナではないのだ。
きゅっ、と、俺の袖をつかむカノンに、一つ頷く。
ある程度、覚悟していたことだ。
俺たちは、セドナではない、どこか遠い場所へ転移させられた。
その転移がポータルによるものだとすれば、その距離は、惑星カレド上であれば不問だ。
ここがどこかなど、わかりようがない。
(……。)
仮想端末のメイン画面の右下に表示されている、
それをちらりと一瞥し、仮想端末を閉じる。
*────
現在地、不明。
帰還手段、同じく不明。
――か、どうかは、まだわからない。
俺たちの目の前に散乱している、なにかの――恐らくはポータルの残骸。
俺たちを転移させた残骸のように、こちら側の残骸にも、ポータルの処理が遺っている可能性はある。
目の前の残骸は、あの廃墟の中にあったものにも増して原形を留めておらず、近寄ってみてもなんら反応はない。
だが、なにかのきっかけで、従来の転移処理を引き起こせる可能性はある。
そのためには、考察と検証が必要だ。
だが、その前に――
(……まずは、周囲状況の確認から、だな)
散らばる残骸を踏み越え、忍び寄るように、背後の壁に近づく。
その全面を覆う植物の蔦を、掻き分ける。
その下にあったのは、なにか、白い建材。
その白さを、俺は見たことがある気がする。
(……コンクリート、か?)
平らで、ざらざらしていて、硬い。
押し込んでみても、ビクともしない。
地面から垂直に、遥か上まで聳える一枚壁。
それはまるで城壁のような――なにかの隔壁のような。
その壁は、まっすぐ左右へと延び、左右の森の中へ続いている。
恐らくは、森の向こうに見える、暗い壁まで続いている。
この場所は、少なくとも三方を、このコンクリートの隔壁で囲われている。
その隔壁に綻びは――ない。
壁を離れ、再び壁の反対側を見る。
そこに広がる――まばらな樹々と、果ての見えない森。
樹々に遮られ、遠くまでの視界は利かない。
だが、左右のように、見える範囲で壁に行き当たるということはなさそうだ。
もう一度、周囲に五感を走らせる。
――異常なものは、ない。
目を瞑り、聴覚を研ぎ澄ませる。
――なにも、聞こえない。
俺たちを殺しうる、なにものかの動作音は。
「……カノン、ちょっと周囲を調べてみよう。
警戒は最大限保ったままで」
「んっ」
背筋がぞわぞわする。
首筋がちりちりする。
胸がきゅっと締め付けられる。
なんの根拠もなく確信させられる。
この場所には、恐らく、いる。
" ■■■■■ "
未だ名も知らぬ、なにものか。
俺たちを殺しうる、なにものか。
かつて俺を殺したそれが、この近くにいる。
――そんな、気がする。
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