七日目

 9月5日。木曜日。平日。


 ぱちりと目を覚ます。

 枕もとの時計を見れば、まだ――6時前。


 明かりのついていない部屋は、どこかまだうす暗い。

 だがそのうす暗さは、黎明のそれではなく、黄昏のそれ。

 茜色の西日が、窓から差し込んでいる

 つまり、この時計が示しているのは、午前6時ではなく、午後6時ということで――


(……あぶねぇ)


 ひりつくような危機感で、一気に覚醒する。

 流石に今回ばかりは目覚まし時計をセットしておいた方がよかったかもしれない。

 起きることができたのはたまたまだろう。

 ライフサイクルも疲労度合いも滅茶苦茶だったから。


 いまは、午後6時前。

 寝たのは、正午近くだったはず。

 そこから6時間ほど眠ったかたちだ。

 念のため日付も確認するが、9月5日で問題ない。

 脳は……うん、すっきりしている。

 これなら、また酷使しても大丈夫だろう。

 すまんな、俺の脳。

 でも社会生活で燻ぶってるよりは働き甲斐があるだろ?


 端末を確認すれば、いくつかメッセージが来ている。

 仕事先の人間からの、欠勤報告に対する応答と……心配の声。

 昨日出勤したときの様子がおかしかったとかで、心配してくれている人がいる。

 また昨日の出勤時に俺が手を回して置いたこともあり、ある程度は対応しておいたと。

 ありがたい。俺はたくさんの人に支えられている。

 メッセージを返してくれた人に、再度の感謝を返しておく。


 そして、来ているメッセージは仕事先からだけではない。


『From:カノン(『ワンダリング・ワンダラーズ!!』)(09-05-12:52)

 件名:フーガくんへ

 内容:ありがとう。おやすみなさい。』


 言葉というのは、ただ尽くせばいいというものではない。

 たった一言に集約される、想いというものがある。

 やはりカノンは、そういうメッセージが上手いと思う。


 ……『新生セドナにて君を待つ』、か。


 あれも、小気味いいメッセージだったけれど。

 あれはたぶん、カノンが考えたメッセージじゃないと思うんだよな。


 あのメッセージを受け取ったとき、俺が最初に送り手に想像したのは小夜だった。

 ちょっとカッコつけてる感じが、いかにも小夜っぽいのだ。

 そしてその感じは、カノンらしくはないし、デューオらしくもない。

 だからこそ、セドナで俺を待っているのも小夜だと思っていた。

 だが、実際に待っていたのはカノンだった。

 俺があのメッセージを褒めたとき、カノンは慌てた反応をしていたけれど。

 あれは、照れていたんじゃなくて、そのメッセージを書いたのが小夜だってことを誤魔化したかったのかもしれない。


『……んっ! 置いたの、わたしっ、です』


 カノンは、メッセージを置いたのが自分だとは言ったが、そのメッセージを作ったのが自分だとは、言っていなかったからな。

 そして誤魔化したってことは、今回の俺とカノンの再会が、3人ぐるみの企み事で、なにかしらの意図をもって企画された可能性が高い。

 カノンと小夜とデューオの交友が生きているなら、カノンを介して俺に連絡を取ることもできるはずなのに、あのデューオが俺になんの接触してこないのも気になるし……。


 その辺は完全に俺の推測というか、妄想だが……。

 ま、今後あいつらと逢えたら、聞いてみるか。

 ちょっと面貸せ、と。


 そして言おう。

 ありがとう、と。



 *────



 今日で『ワンダリング・ワンダラーズ!!』の発売から1週間が経つ。

 発売から7日目、俺のプレイも7日目だ。

 ここまで、激動の――そして実り多き1週間だった。

 カノンと再会できたことがその最たるものだが、それ以外の感動もいっぱいあった。

 味覚と嗅覚と触覚が備わったことによる、フルダイブゲームの感動。

 マキノさんとの新たな出逢い、モンターナやりんねるとの久しき出逢い。

 いろんなところを歩き、いろんなものを見た。

 普通のゲームなら、とっくにゲームクリアしているほどの時間を注ぎ込み、それに勝る満足感を得た。

 7日目を迎えた今日、とくになにかイベントが起こるわけではないだろうが、今日までが一つの区切り、一つの節目と言っていいだろう。


 ……いや、モンターナのお誘いはイベントみたいなものか。

 むしろ、かれの誘いに勝るイベントなんてほとんどないだろう。

 恒常のイベントに併設して『冒険家・モンターナからの招待』みたいなイベントがあったら、ほとんどのプレイヤーはモンターナの方を優先するんじゃないだろうか。

 少なくとも俺は、そっちを優先する。


 それに、別に今日でなにか終わるわけでもない。

 明日からも普通にプレイするだろうし、特になにかが変わるわけでもないだろう。

 敢えて言うなら、そろそろ他のプレイヤーとの交流を活発化させたいところだ。


 それに、いい加減検証スレも覗きたい。

 俺、どのくらいはネットでの情報収集を我慢するって言ったっけ。

 2週間だっけ、1週間だっけ。

 ここまでよく我慢していると思う。

 カノンがいなかったら、たぶん持たなかっただろう。

 逆に言えば、カノンと一緒にプレイしている限り、俺はそうした他プレイヤーとの情報交換を行わずとも、無限にあの世界を楽しめる気もする。

 いまのカノンとなら、なおのこと。



 *────



 夕食、おーけー。

 風呂、おーけー。

 歯磨き、おーけー。

 仮眠したから、今夜は寝なくても明日の出勤には問題ない。

 つまり夜更かしの準備は万端だ。

 カノンも夏季休暇中とのことだし、後顧の憂いはないだろう。

 モンターナのお誘いが長引くとしても、俺の冒険の第一次タイムリミットは明日の朝6時まで、つまりたっぷり10時間程度は確保できるということだ。

 それでも終わっていなかったら、流石に一度休憩を挟ませてもらおう。

 明日が終われば休日になるし、時間も使い放題になる。


 モンターナが、休日を控えた明日ではなく、敢えて平日の今日を指定して誘ってきたのは、たぶん今日のセドナが昼時間だからだ。

 明日になると、セドナは夜。冒険にはやや不向きだろう。

 逆に言えば、今回モンターナが見せたいものは、恐らくは昼時間に見せたいものということになる。

 普通は昼に見たほうが良いものの方が多いから、あまり絞り込めないけれど。

 次の昼時間となる土曜日を指定しなかったのは、早く見せたかったからだろうか。

 よほど面白いものを見つけたのかもしれない。


 しかし――『ワンダラーとしての君たちの力を借りたい』……ね。


 さすがモンターナだ。

 人の惹きつけ方というか、火の点け方をよくわかっている。

 そう言われたからには、応えざるを得ない。

 昨日から連日のフルパワーとなるが、本日も本気で行こう。


 いや、ゲームやってるときはつねに本気なんだけども。

 本気に加えて、今回はワンダラーとしての執念と覚悟と矜持もブレンドだ。

 なにが待っているのかは知らんが、愉しませて貰おうじゃないか……っ!


 ニューロノーツを起動する前に、冷蔵庫から、冷えた180ml缶を一本取り出す。

 深い海の底から立ち上る泡がデザインされた、黒から青への美しいグラデーションのラベル。

 それは、昨夜も1本開けた『ディープ・ブルー』。

 俺の愛するカフェイン飲料。

 この飲み物は、べつにヤバい代物ではない。

 コンビニでも普通に売られている――さすがにケースでは売っていないが――エナジードリンクだ。

 潜在能力を開花させたり、脳のはたらきを限界突破させたりはしない。

 正しい用法用量は存在するが、それも常識の範囲内に収まっている。

 栄養ドリンクですらない、清涼飲料水カテゴリの嗜好品。

 だが、かつて俺がテレポバグをする前にはいつも飲んでいたし、その後のパフォーマンスも普段より高めることができた。

 その理由の大半は、プリショット・ルーティンのようなものだ。

「俺はディープ・ブルーを飲むと本気を出せる」と心の底から信じているから、俺はディープ・ブルーを飲むと本気を出すことができる。

「ディープ・ブルーを飲んだのだから、ここで力尽きるはずがない」と奮起することができる。

 かたちとして残る成果を求めているわけではないから、飲んだ後で失敗してもこのルーティンの効果が薄れることはない。

 カフェインの摂取にまったく効果がないわけではないから、本当に効果があるのか疑念を抱くこともない。


 人間の思い込みの力というのは、案外馬鹿にならないものだ。

 少なくとも、限界付近でもう一押し頑張る動機にはなる。


  カシュッ


  ゴクッ


 ……っぁあ、効くよなァ……


 ……これは合法だよ? テレポバグは脱法だったけど。



 *────



 さて、そろそろ午後7時になる。

 窓の外を見れば、既に夜が降りてきている。

 秋の日はつるべ落とし。

 もう秋なのか。暑さはまだまだ、続きそうだけれど。

 カノンにメッセージを飛ばして、ダイブインと行こうか。


 セドナはいま、午前9時半と言ったところ。

 朝から昼へ、夜から朝へとめまぐるしい。

 フルダイブゲームに馴染んでいないと、日照感覚が壊れそうだ。


 だが、やはり一日が長いというのはいいことだと思う。

 一日たっぷり探索したい場合でも、朝早くにゲームを始める必要がない。

 たとえば今回のように夜8時から探索をはじめても、向こうでは午前10時から始まり、そこから日没までの16時間は日中として活動できる。

 この社会には、いろんなライフサイクルの人がいる。

 夜しかプレイできない人、昼しかプレイできない人。

 まとまった時間が取れる人、取れない人。

 取れるけど、週に1回か2回しか取れない人。

 惑星カレドの時間は、そういう人でも、時間に縛られずに存分に探索できるようになっている。

 あの世界には、緩やかな時間が流れているのだ。

 なにかを急ぐ必要も、時間に追われる心配もない。

 そこには、やさしさがあると、そう感じる。

 それが、あの世界の時間が長い理由の一つだろう。



 さ、準備はとっくにできている。

 ツンドラメイドのニューロノーツ先生、今日も俺をあの世界へ送ってくれ。


 えっ、前回ダイブアウト時はちょっとバイタルが乱れてた?

 行ってもいいけど、いまの体調がほんとに大丈夫か心配だって?


 不意打ちでそういうやさしさを見せるのは卑怯だぞ。

 どうしよ、ニューロノーツに最近流行ってるらしい学習型AIとかインストールしてみようかな、ツンドラメイド設定で。


 ……なんか致命的に道を踏み外しそうだし、やめとくか。




 そして、意識は暗転する。

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