傀儡とイシの蜃気楼
遠野月
プロローグ
巨大な手が、頭上からせまってくる。
人の身体などたやすく叩きつぶせるほどの、巨大な四つの手が。
頬に傷のある男はせまりくる巨腕を見据え、歯を食いしばった。赤黒い毛と黒い鱗におおわれた巨腕が、男の頭上にさらなる圧を加えていく。毛の一本一本がうねり、殺意をほとばしらせているようだった。
二振りの短剣をかまえる。
せまる巨腕をすんでのところまで引きよせ、後ろに飛び退いた。
黒い石畳に、巨腕が叩きつけられる。
一瞬前まで男が立っていた場所が、割れ、砕け、砂塵が立ちあがった。同時に轟音がひびきわたり、空気がはじけた。
「さあ行くぞ、ラトス。びびるなよ」
自らラトスと名乗った男は、言い聞かせるように声をこぼした。
左腕で砂塵をはらう。塵の切れ目へ分け入るように飛び、前方へ走りだした。
身体が重い。
背負っている女性が重いからか。体力が尽きかけているからか。どちらにせよ、これが最後の反撃だった。
ラトスは石畳に叩きつけられた腕のひとつに飛び乗った。
革靴の底から、ざらりとした怪物の感触が伝わってくる。ラトスは右手ににぎる短剣の切っ先を下に向けた。力をこめると、剣身と柄を自在に伸ばすことができる奇妙な剣だ。
ラトスは力を強くこめ、一気に剣身を伸ばした。
空気を切りさくような音が鳴る。足元の巨大な手に、刃が深々と突きささった。短剣をにぎる手に、肉をつらぬいた感覚が伝わってくる。つらぬきとおし、剣先が黒い石畳に当たった。ガチリと鈍い感触が手から伝わり、肩までひびく。
直後、ラトスの身体はいきおいよく飛びあがった。伸びつづける剣身の力を利用して飛んだのだ。
上へ飛びながら、ラトスは左手ににぎる黒い短剣をかまえなおした。
剣身も柄も真っ黒な短剣は、じわりと熱を帯びている。チリチリと手のひらを焼くような感覚が、とうに気力の尽きはてた精神をつなぎとめていた。
両腕がふるえている。叱咤するように、短剣をにぎる両手に力をこめた。
あと少しだ。
飛びあがりつづけるラトスの目に、怪物の顔が映った。ラトスの身体と同じ大きさはある、狼のような獣の頭だった。怪物は黒い涙を流しながら、ラトスを見ていた。その大きな瞳に、頬に傷のある男が映っている。歯を食いしばり、必死の形相だった。
そうもなるだろう。
自らの姿を見て、傷のある頬を引きつらせた。
三日前まで、こんなことになろうとは夢にも思わなかったのだ。
いや、一瞬前ですら、そうだった。
自らの運命に、ラトスは顔をゆがめた。
その瞳にも、獣のゆがんだ顔が映っていた。
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