挿話 向日葵を背負う者たち(蕾)(本編第47話既読推奨)

 本編連載前に「こんな場面あるかな」で書いた原稿のリメイク版です。

 こうなるかもしれないし、ならないかもしれない。そんなお話ですので、あくまでその心算でお楽しみください。

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(前略)……

「んだよ、話って」

 風月ふうげつは怪訝になっていた。菊乃の『要件』に、どうやら心当たりがないらしい。

 腹立たしい。生来この男には業を煮やしてきたが、そのどれよりも気分が悪い。文字通りだった。

 満月島の社の夜は、秋の模様に染まり切り、鈴虫がうるさいほどだ。色取月ながつきは去り、初霜月かんなづきはこの瞬間にも刻一刻と冬という名のついを運び込んでいるのだろう。そのうち、霜が降りる。そうなったら最期だ——この男の季節だ。白雪はくせつに固く閉ざされし銀の瞳が、最も冷酷になる季節だ。

 春は桜、夏は向日葵、秋は菊——冬はゆき。雪だって蕾む。咲く、枯れる。溶ける。消えてなくなる。


 東の小霊堂は、まるでしんしんと雪が降っているような肌寒さだった。菊と月。二人きりの影。重陽の節句——長寿を祀る色取月ながつきの祭祀はとっくに過ぎた、皮肉にも。赤い満月は障子の隙間から覗いている。星の灯火は砂つぶのような儚さだった。足袋くつしたの先から、冷気が上がってくる。

 菊乃は風月を下から睨んだ。彼は、いつの間にこんなに生命の輪郭が薄くなり果てた。

「なんで黙ってたんです」

「何が」

 風月は鼻で笑った。この男は、昔からこういう笑い方をする男だった。諦観を、都合の良い見栄にすげ替えて、物分かりの良いふりで下手くそな道化になる。だから、腹が立つと言っているのだ。

「目どうしたんです」

「目ぇ? はっ、何の……」


「その左目ッ! なんで見えなくなってんだっつってんだ、この野郎ッツ!」


 菊乃の『色』は彼の左後方から『氷塊こおり』飛ばしていたが、彼の反射は間に合わない。彼が差し迫ったそれを視認したのは、菊乃の瞳がそれを彼の鼻頭の前でぴたりと止めたときだった。証明。とっくに見えてなどいない、彼の片方のいのち失明んでいる。

「ねえ、嘘ですよね? 笑えない冗談ですよね?」

「ねえってばっ!」菊乃は風月の胸ぐらを掴んだ。みしりと古い床板が軋む。風月の曇った左目の瞳孔に、菊乃が映っているのが見えた。

 徒花病——『銀』の義家族かぞくを悉く蝕んだ病。菊乃が須く気づくべき機会は何度もあった。舞元ぶげんは幼くして伏せた、銀麗ぎんれいをもその身を虚しくした。紫苑しおん伊吹いぶきも無関係ではなかったが、ここに本質はたったの一つだけであったのに、菊乃は不覚にもこの男をしきって、気づかなかったのだ——どちらが先ということもない。彼も、その師従も、大晦日おわりの徒花を咲かせんと蕾んでいる。

「あなた、あなたまで……、風月さんまで、私より先に死ぬんですか? そ、そんなの——!」

 ——絶対許さない。

 菊乃は喉奥に出掛かった大きすぎる言葉を、息を止め、飲み込んだ。菊乃に限って、それを口に出すことは許されない。『金』の血に流れる禁忌のろいつみふかいのだと、ここでも思い知る。

 絆されてはいけない、自分勝手に言葉を紡いではいけない。同情してはいけない。この瞳は、『言呪まじない』の禁忌をつよく割り当てられた瞳。一語一句漏らさず、他者を呪縛しばる唇だと忘れてはならない。

 あの男が遺した「言葉に気をつけなさい」の意味は——敬語を使うこと、婉曲すること。而して、敵対すること、嫌われること、常に反感を買うよう振る舞うこと。素直に受け取らせては、彼らは為す術もなく、それでいて我知らず、菊乃の言葉に呪縛しばられる。義家族かぞくが傀儡に成り下がる様を、呵呵かかと笑って見下せるほど、菊乃はよくできた『神』ではない。そもそも、わかりきった結末に彼らを巻き込みたくないと言ったのは、菊乃で違いなかった。


「……最後まで言呪ってよ。俺にどうして欲しいの」

 風月の唇は小さく動いた。ここが二人きりの霊堂でなければ、とても聞こえないような、春の残火のようなつぶやきだった。

「ちゃんと俺のこと呪縛しばって、見えなくなっても見失わないように、きつく縛りつけてくれればいいのにってさ、俺は思っちゃうわけ」

 風月は自嘲気味に片頬を緩ませた。はらわたが煮えくりかえるほどの、ひどく耳に残る声だ。彼は、菊乃のからだ烙印された禁忌のろいって、こんな戯言を抜かす。

「だから言わなかった、黙ってて悪かったとも思わない。もちろんできる限りの仕事はするけどさ、まああんまり手伝ってやれないかもってことで。もういいだろ。あの喰魅クウビも、こればっかりはお手上げとくる。どうにもならねえよ」

「話はおわり」風月は言う。菊乃は風月を見つめたが、彼は視線に縛られてはくれなかった。もう見えてないからか、もう見ようとも思わないからか。彼の影が一歩ずつ、薄くなってゆく。菊乃はそれをじっと眺めて、不意に震えた。

 今更、滝のように溢れるものがあった。積年にこびり着いて凝り固まった、世辞にもとっくに綺麗と称せぬほどにまで肥大した賤しい感情が、どっと込み上げてきて、菊乃は堪らず震えたのだ。

「許さない!」

 怒声。菊乃は肩で息をする。咄嗟に掴んだ彼の袖口を、力一杯に握りしめた。胸のよろめきに呼応するように、声までもがぐらぐらと震えている。

「……許さない、許さないから。私より先に死なないって、今ここで誓え」

 気づけば、かの満月は叢雲に隠れていた。まるで、この醜い誓いを交わす二人きりを見ないふりをしてくれているかのようだった。振り返った影は暗い闇の一部。彼の親指が探し当てる唇の形、甘い悪夢のような口づけ。ひたりとした柔らかい感覚に縛られたいと願っていたのは、菊乃の方だったのかもしれない。

 誰も祝福しない、強制された誓いの儀式。彼はこんな、蕩けそうになる甘ったるい笑い方で囁いて、進んで菊乃に縛られる。きっと彼もとっくに狂ってる。

 風月はようやく菊乃を見、涙に濡れた頬を見た。再び射し込む月光は、異常。赤は予感する結末の色。じわじわと蝕む憂いが、照らし出されていった。

「ごめんな」

 ——もう遅いですよ。

 菊乃は彼の胸に頬を当てる。耳を心臓の上に置く。あと何度この、哀しい鼓動を聴けるだろう。爛れた月明りに曝されぬようにと思ったか、彼は菊乃の腰を寄せて、抱き締めた。



 ***



「……蓬閃ほうせん? 泣いているの?」

 蓬閃は、背後から覗かれるまで、白銀の存在に気づかなかった。彼女は大きな眼鏡の奥で、眉をきゅっと縮こませている。蓬閃は慌てて目を擦った。

「ううん。目にごみが入っちゃったんだ。大丈夫だよ」

 一度叢雲に隠れた月は再び、まるで太陽のように煌々と頭上の高くで燃えている。こんな夜更けだ。こうして月明かりに赤く照らされる彼女は、本来とっくに床に就いていたはずだし、この廊下の先には、今や祭祀でしか使用されなくなった霊堂しかない。

「どうしたの、白銀。眠れないの? 今日は雷さんが怖い日じゃないだろ」

 白銀は少し恥ずかしそうにして、人差し指を唇の前に立てた。「もう、それはしーなの!」

 すると、彼女は眠た気に目を擦りながら、廊下の先をじぃっと見つめる。

「お師様にね、おやすみなさいのご挨拶がしたかったの。おトイレにね、行ったら、声がしたの。もう、あれは絶ーっ対お師様ったら」

 廊下の先——霊堂からは、微かに啜り泣く声が、枯れた秋風に乗って聞こえる。蓬閃は白銀の手を取り、まるで風月が彼女に言い聞かせるときみたいを真似て、

「風月様はね、いま菊乃様と大切なお話をしてるんだ。だから、お邪魔しちゃいけないよ。今日はもう寝ようね」

「えー……、それなら白銀もお師様とタイセツなオハナシするから、待ってる。会いたいもん……」

 ——僕だって。

 白銀は——眠た気に、泣きがちに、悪い夢から醒めたいみたいに——その全部の理由で左目を擦った。眼鏡の金具が、かちゃかちゃと音を立てる。

「ほら、白銀は。僕が手を繋いであげる。一緒にお部屋に行こう」

「おんぶがいいもん。今日は蓬閃がお師様の代わりにおんぶしてよぅ……」

 白銀は言った。彼女は、寂しくてたまらないのだ。わからないようで、きっとわかっているから。蓬閃が知るよりも前に。


 蓬閃の背中で、白銀は眠ってしまったようだ。全身にのしかかる彼女の体はずいぶん重たい。耳を澄ませると、規則正しい寝息が聞こえた。蓬閃は起こさないように、それでいて、転んでしまわないように、ふらふらと廊下みちを歩いた。

『ごめんな』。風月の言葉が、蓬閃の脳内で幾度も反芻された。蓬閃は、ずり落ちそうになる白銀の熱じみた体を、腹に力を入れ、持ち上げる。

 ——重いですよ、風月様。

 とても、重くて、重たくて。この『命』は重すぎて。耐えられない。どうしたら良いのだろう。

 蓬閃は泣いていた。起こすものか。転ぶものか——声だけは漏らすものか、と食い縛り、腹に力を入れ、目からぽろぽろと大粒を落とした。それはまるで、彼らが『行き着く先』への道しるべのように、廊下に転がった。


 ——みんな、死んじゃうんだ。



(出典:『〈新訳〉十草物語』第三巻 —しかばねの追憶編— より)

 ※内容を一部省略したものを掲載。

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