都市伝説追跡File.「這う男」

加湿器

第1話

 民話、怪談、都市伝説……。

 人と人との間を回遊する一種の寓話には、時に不思議な合致を見せるモノがある。夜道に現れる高速移動系老婆ハイスピードババアの一群などが、その代表と言えるだろう。

 時にそれは、ヒトという種が持つ恐怖の根源を示す。追われることへの恐怖。への恐怖。

 無意識レベルで共有された心理が起こすシンクロニシティ。だからこそ、恐怖という生き物は、口々を渡り、進化を続ける。


 しかし。時にはそれだけでは説明のつかない一致を見せる恐怖もある。


 今回は、私が都市伝説ハンターとして出会った、とある都市伝説群についてお話しするとしよう。


 それは200X年の暮れのこと。本州と九州をつなぐ連絡橋で起きた大事故が世間を騒がす中、私のもとには一通の手紙が舞い込んでいた。

 それが、当時その連絡橋付近を騒がせていた「這う男」についての情報だ。


 簡単に概略を話せば、以下のようになる。午前零時からの30分間、特定の道路に白い服を着た「這う男」が出現する。男は道路を西へ、恨めしい形相で20メートルほどを進み、出現時と同様に突然消失する。次の日には消失地点から再び出現し、また20メートルほどを進み……というものだ。


 投稿者によれば、件の大事故もこの「這う男」が原因に違いないとのことだった。眉唾な話ではあるが、一応当たってみれば、確かに付近の事故率は、この数年でわずかに上昇している。それも、深夜に限ってだ。


 不謹慎な話だが、当時駆け出しだった私はこの投稿をチャンスととらえた。「這う男」そのものは大したことはないように見えても、大事故というフックは耳目を集める。当時懇意にしていた雑誌編集部にこの話題を持ち掛ければ、あれよという間に特集ページが組まれ、ハガキの山が舞い込んだ。


 特集に向けて送られてきたハガキは、どれも変わり映えはしなかったものの、この「這う男」が相当な規模で噂になっていることを裏付けた。

 男の服装や年齢などの細部は投稿者によってまちまちだったが、「午前零時」「西へ20メートル」といった骨子については、都市伝説には珍しくおおよその投稿で一致している。

 これ幸いと、再びの特集へ向けて執筆を始めた私だったが、そこでふと、他の投稿からは異彩を放つ一枚のはがきに目が留まった。


 投稿者の住所は、連絡橋から少し離れた中国地方の某県。投稿者によれば、今から20年ほど前にこの「這う男」とよく似た噂を地元で耳にしたのだという。

 同じく「午前零時」。「白い着物を着た」「這う男」が、「西へ20メートル」進むという都市伝説。奇しくも、この噂もまた当時巷で暴れていた暴走族の事故によって耳目を集めたのだという。


 私と編集部は、この投稿に大いに注目した。口伝であるはずの都市伝説が、地域的な隔たりを超えて全国的に伝播する現象については、皆さんもかの「口裂け女」等で覚えがあるだろう。

 しかし、今回はその間に20年というタイムラグが存在するのだ。なにゆえ、「這う男」の伝承はこの決して遠すぎるということはない距離を、20年の歳月をかけねばわたることができなかったのか?


そう、「20年」。私と編集部はこの歳月に着目した。とある若手の編集者が、ポツリと漏らしたのだ。

 ――この怪談の伝播する速度は、「這う男」の移動速度と奇妙な一致を見せていると。


 少々細かな計算が続くが、どうかお付き合い願いたい。まず、這う男の移動速度は20メートル/1日、年に直せば、7.3km/1Yの速度で移動することになる。これを20年、盆正月も欠かさず続けるのであれば、その移動距離はだいたい146kmだ。


 これは、件の連絡橋と、投稿者の住む中国地方H県とを直線で結んだ距離に、ほぼぴたりと一致するのだ。


 「這う男」は一過性のうわさ話などではない……私と編集部は、そう結論付けた。


 急遽、我々は情報収集の範囲を全国区へ広げた。のみならず、情報の年代についても、200年規模のものが必要であると判断した。

 相手は、一日に20メートルしか進むことのできない幽霊だ。どこから来て、どこへ行くのかもわからぬ亡霊だ。

 年代を遥か過去へ、地域を遠く東へ、我々は情報収集を続けた。


 1960年代、同じく中国地方のO市。深夜のラジオ番組へ向けられた視聴者からの投稿に我々はその姿を見た。「這いずる男」はかわらず、西へと進み続けている。


 1900年代、中部地方。「地方風土記」内に我々はその姿を見た。「這いよりさん」の名で呼ばれていた男は、かわらず西へ進み続けている。


 1860年代、江戸近辺。維新の風吹く時代の中心を、男は我関せずと横切っている。「ずりずり」は、かわらず西へ進み続けている。


 1840年代、東北地方。「ずりよるさん」は、南へ進んでいた。荒れる日本海を突っ切る選択肢は、亡霊の身にも堪えたのだろう。


 そして、我々の東へ、遠く過去への旅は、終着点へとたどり着く。


 時は1800年代初頭、徳川幕府治世の、東北地方I県。ようやく我々は、「這う男」のオリジンを垣間見ることとなる。


 それは、とある武家の存亡にまつわる、陰惨な歴史の1ページだ。


 古くから続くその武家には、いわゆる座敷牢というものがあったらしい。囚われていたのは、その家の長男。本来ならば嫡男であるはずの男である。

 彼は恵まれぬ生まれをしたのだという。その男は生まれついて体が弱く、当時の史跡から察するに、心臓に遺伝疾患のようなものを抱えていた。


 父親は、彼の生まれを恥じた。太平の世とは言え、面子がものをいう武家社会である。彼はその存在を隠され、二十年余りの歳月を暗い座敷牢で過ごすこととなる。

 ――足の健を切られ、簡素な白い着物だけを与えられて。


 やがて、彼に顔も知らぬ弟ができる。彼に代わって、家を継ぐことになる弟だ。

 この男こそが、悲劇の最大の元凶である。彼は、顔も知らぬ兄を非常に疎んでいた。継ぐはずの家の名に傷をつける目の上のたん瘤を、彼は秘密裏に排除しようと考えた。

 簡単な話だ。年ごろの女中をちょいと閨に引き込んで、彼はそっと囁いたのだ。、と。

 そうして男は、もともと少ない余生を、より苦しんで過ごすこととなった。素人仕事の服毒は、彼に重篤な症状を引き起こした。最悪だったのは、なかなかということだ。


 それはもう、見事に祟ったそうだ。愚かな弟は病に倒れ、高熱と意識混濁の中で、白い男の姿に怯えて死んだ。女中や家臣のことごとくが病に、火事に見舞われた。ついには、幻を見て井戸に身を投げる者も出た。


 男の祟りは、家中のことごとくを殺した。ただ一人を残して。


 彼にはまた、顔も知らぬ妹が一人いた。彼女は家の闇に触れることなく、11歳の春に嫁いでいった。参勤交代の折に見初められた、若い侍の故郷へと。

 ――そう、遠く長崎へ。


 私と編集部は、戦慄した。200年の時を超えて、男は……姿はついに辿り着いたのだ。恨めしき血筋を根絶やしにするために。


 我々は、悩んだ末にこの顛末を紙面に掲載した。当初の目論見通り、この記事は大きく耳目を集めたが、我々にはもう一つの懸念が生まれていた。

 当然、長崎に嫁いでいったという、妹の末裔である。とある人は言う。呪いとは祖先の罪であると。それは理不尽に襲い来て、彼らに不幸をもたらすだろう。


 紙面に乗せた電話番号には細々と情報が集ったが、彼らの安否につながるものはほぼなかったといっていいだろう。私は編集部にも独断で、地方行政等にも頼って、彼らの所在を追った。


 そうして、私はついに、本当に残酷な真実に出会うこととなったのだ。


「ええ、海外赴任になったそうですよ。たしか、オーストラリアだったかな。」


 地域の事情に詳しいというその女性は、電話口でそうおおらかに笑った。

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