第2話

 何もかもうんざりしていた。

 仕事がうまくいかないのも一因だ。取引先からクレームを付けられ、上司からチームリーダーからの降格を言い渡された。

 そしてその直後、婚約していたトオルさんに「責任感のない女とは結婚できない」と別れを告げられた。

 ここまでなら何とか耐えられた。

 しかし、後日知ってしまったのだ。トオルさんは私の後輩のナナセと浮気していて、ナナセを贔屓するために私のミスをでっちあげたのだ。

 トオルさんは仕事もできてイケメンで人望があったし、ナナセはアイドル顔負けの美人だった。私が騒いでも奴らを糾弾できるとは思えなかった。


 もう、死んでしまおう。


 夜の亜羅川沿いを歩いていたら、月がきれいだったので、私はそう決意した。

 幸い、周りには誰もいなかった。

 こういう綺麗な日に、誰にも看取られず、静かに死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。



 ――ひがーしー


 遠くから声が聞こえてきた。


 ――にーしー


 ザッザッザ。何かが集団で近付いてくる。


 ――はっき よい――


 足音が大きい。百人くらいの集団かもしれない。

 こんなに綺麗な夜なのに邪魔されたくない。早く飛び込んでしまおう。

 私は持っていたすずらんテープで足にかばんをくくりつけ、自分の手首を固定した。

 欄干から身を乗り出して、一瞬だけ躊躇して――飛び込んだ。


 鼻から一気に水が入ってくる。精神的には死にたくてたまらないのに、本能が水を吐き出そう、上に上がろうとして藻掻く。こんなに苦しいなんて思わなかった、こんな、こんなに――



「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「どっせえええええええい!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」




 ものすごい衝撃で私の体は宙に浮いた。空がとても近く見える。やっぱり月は綺麗だ――などと悠長に考えている暇はなく、私の体は投げ出され、このままだと地面に激突するところだった。

 しかしそうはならなかった。分厚い脂肪と、その奥に確かにある密な筋肉が私を抱きとめたのだ。


 力士。力士。力士力士力士力士――二十人もいる。力士が二十人、私のことを取り囲んでいた。

 私は自分の置かれている状態が呑み込めず、パニックになり、強い口調で喚き散らした。


「な、なによ、こっちは死のうと思ってたんだから、助けるなんて……有難迷惑よ!」


 ――助けたわけではごわしゃん――


 頭にびりびりと響いた。力士たちは微動だにしないが、これは力士たちの声なのだろうか――


 ――お前さんは新しい力士二十人ミサキになるのでごわす――


「り、力士二十人ミサキ?!」


 ――これで解放される、あんたもがんばってね――


 右端にいた力士の体がみるみるうちに形を変え、太め、というにはあまりにもマイルドだがとにかく太めの若い女性になった。

 女性はそのまま踵を返し、どこかへ去ってしまう。


「待ってよ」


 追いかけようとして――体が動かない。必死に手足をばたつかせても、10mも進まないうちに力士のところに戻ってきてしまう。


「なんなのよ、これ!」


 ――要は自殺未遂したものたちの魂、それが力士二十人ミサキでごわす――


 ――力士二十人ミサキは常に二十人。次の自殺未遂の人間を救うと一人抜けて一人力士ミサキが補充される、そういうシステムでごっつぁんです――



「ごっつぁんです、じゃないわよ!嫌よこんなの、今すぐ死なせてよ!」


 ――本当でごわすか?――


「どういう意味」


 ――復讐したくないでごわすか、と聞いているのでごわす――


 ハッとした。復讐なんて絶対に無駄だと思っていた。相手は私より頭もよくお金もあって人望もある。


 ――結局は体重でごわす――


「そう、なのかな」


 ――そうでごわす。どんなに金があってもぶちかませば相手は死ぬでごわす――


 ――どんなに可愛くても張り手一発で整形外科送りでごわす――


 ――なんならビール瓶でも――


 ――それはちとネタが古いでごわすよガハハ――


 力士ミサキたちは相変わらず無表情なままだ。しかし、なんともいえない暖かさと頼もしさがあった。


「私……やってみる。力士ミサキになる。どうしたらいいか、教えてください」


 ――まずはきちんと寝て、ちゃんこを食べる。起きたらちゃんこを食べる。稽古をして、ちゃんこを食べる。体重を増やすのでごわす、結局――


「体重でごわす」


 私がそう言うと力士十九人ミサキ、いえ、私を含め力士二十人ミサキが笑ったのでごわす。

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