力士二十人ミサキ
芦花公園
第1話
皆さんは、力士二十人ミサキをご存じだろうか。
怪談などに詳しい読者は「七人ミサキ」という怪異ならご存知かもしれない。牧歌的なところの多い日本の怪談において随一の凶悪性をみせる怪異だ。この言葉はどうしてもそれを連想させる。
ご存じない読者のために七人ミサキの話をいくつか紹介しよう。
①吉良親実とその家臣が七人ミサキであるという話
山ノ端町にある若一王子宮の境内に、吉良神社はある。祭神は吉良親実である。
親実は、土佐の戦国大名・長宗我部元親の甥にあたり、義理の息子でもある有力一門衆であった。しかし元親の長男、信親討死をきっかけに、当然順当に三男の津野忠親が世継ぎとなる(次男はその前年に死亡している)ところを、元親の意によって四男の盛親を世継ぎとし、その上信親の妻であった女を娶らせるということになった。それは不倫の甚だしきことであったため、心あるものは誰もが眉を顰めたが、元親の不興を買うのを恐れ意見する家臣はいなかった。唯一諫言をおこない、自害を命ぜられたのが吉良左京之進親実その人である。その自害した場所が、親実の屋敷であった。
現在、吉良神社の祠の前には、自害した親実の首級を洗った手水鉢が残されている。そして恨みを持って死んだ親実と、その後を追い殉死した七名の家臣、永吉飛騨守、宗安寺信西、勝賀野次郎兵衛、吉良彦太夫、城内大守坊、日和田与三衛門、小島甚四郎は祟り神となって長宗我部家に災いしたとされる。
高知では今なおその伝説は“七人みさき”として生きており、大きな事故が起こると「七人みさき様の祟り」とまことしやかに噂されるという。
②事故の犠牲者が七人ミサキであるという話
中国・四国地方で、土地の神をミサキと呼び、同じように、死者の魂をもミサキと表現する。
中でも海難事故の犠牲者の霊を主にミサキと呼び、ミサキに出会って、災いに遭うのを「イキアイ」と呼び、大いに恐れた。
ミサキは祟り神で、「ミサキが食い付く」などとも表現する人もいる。祀られることのない「迷い仏」とも言われていた。
高知や福岡では、ミサキは船幽霊の一種とも考えられ、海で死んだ者の霊がミサキに変化するとした。漁船に取り憑くと船がまったく動かなくなる。この現象も、七人ミサキと呼び、飯を炊いた後の灰を、船から海へ捨てると、ミサキが離れるという。
忌むべき場所もまた、ミサキと呼んでいる。川や崖などの事故の多い場所もミサキと呼ぶこともある。
山口では、ミサキは偉い人が海で死んで、その魂が「モーノモーリ」と浮遊しているもので、人に憑くという。ミサキに憑かれると体のあちこちが腫れ、最後には命を落とす。また「フルイ」が来ることもあるといい、これは何もないのに身体が震えることを指す。祓うには「オガムヒト」に「シホー」という儀式を執り行ってもらった。
また、どの地方でも、ミサキに「イキア」うと、不幸が起こるだとか、七人一組のうち一人が抜け、代わりに「イキア」った人間が補充され、また七人になるとか言われている。
③ミサキは蛇神であるという話
ミサキは御先と書き、神のお使いの動物もまた、ミサキと呼ぶ。
岡山に、トウビョウというヘビにまつわる民間信仰がある。トウビョウの森から谷間を隔てた、南の尾根に七人ミサキの森と呼ばれる場所がある。近隣では三十年に1度、ミサキが憑いて死ぬ者が出ると言われていた。七人ミサキが憑いたら、祓い落とす方法はなく、鎮める方法もない。
茅刈のミサキ様は蛇を祀ったものと言われる。雨が降らないときには「センバタキ」という名の儀式が行われる。
ヘビは、水神のミサキであるといわれている。苫田では、蛇を祀り雨乞いをすることもあった。さらに旧家には白蛇の伝説が伝わる家が多かった。トウビョウの正体も、白蛇と言われる場合もあった。
今回はこんなことはどうでもいい。これは私がイキアった力士二十人ミサキの話であるのだから。
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