ガスマスクの男(2)

「ここが俺の拠点だ」

 河津の言う拠点は通路の中に突如現れた扉のことであった。

「何でこんなところに……」

 前の通路にはなかったはずだが。とシゲルは思ったが、今考えていても仕方がない。とりあえず中に入れさせてもらおう。

 河津が扉を開けると、そこには簡易ベッドに飾り気のないランプ、そうして山積みになった段ボールのある薄暗い空間であった。

「狭くて申し訳ないな」

 河津がそう言いながら奥へと進んでいく。かなり狭い部屋だが彼にとっては尚更であろう。

「お邪魔します」

 シゲルもマミと共に部屋の中へ入る。通路が広かったことも相まってか、より地下の閉塞感を覚える。

「ちょっと待っててくれ」

 河津はそう言うと、積み上げられた段ボールを漁り始めた。

 シゲルは改めて部屋を見渡した。生活するのに必要最低限の物しか置かれていないこの部屋はまるで独房のようだ。質素な造りであるベッドもそれを肯定している。

「おお、あったあった」

 シゲルが思ったよりも早く、河津は救急箱を見つけ出した。彼はそれを持ってこちらに来ると、マミの前でしゃがんだ。そうして救急箱から必要なものを即座に選び出すと、手慣れた手つきで彼女の腕に付いていた乾いた血を拭った。

綺麗になった彼女の腕であったが、彼は不審そうにその腕をしっと見つめていた。

「あの、どうかしましたか?」

あまりにも見つめているのでマミは恐る恐る河津に聞いた。

「ない」

 しかし依然として腕を見つめたまま、一言だけ彼は答えた。

「ないってどういう……」

「傷口がない」

 顎に手を添えて彼は言い放った。シゲルもつられて彼女の腕を見る。

 シゲルも見た通り、彼女の腕の出血は生半可なものではなかったし、その証拠につい先ほどぬぐい取ったガーゼは赤く染まっている。

 だが彼女の腕には大きな傷口どころか、傷一つない白い肌があるだけだった。

 もしかしたら。いや、ほぼ確実に彼女、機械人形の機能であることは間違いない。だがこの話を河津にしてよいのだろうか。

「あの、とりあえず傷口がなかったのでこれで大丈夫かと……」

 河津の集中力を乱さないよう、そっとシゲルは彼に話しかけた。そりゃあスキンヘッドの大男相手では慄いてしまうのも仕方がないことだろう。

「…………」

 だが、彼はなおもじっと見つめた。そうして暫くの間沈黙が流れた後、勢いよく立ち上がった。

「まあ、それもそうだな!」

 「ガハハハハ!」と笑う河津に、何故か胸を撫で下ろすシゲル。マミは「本当にこんな笑い方する人っているんだ」などというありきたりな感想を抱いていた。


 湯気の立つコップを二つ持って、河津はこちらにやって来た。

「おもてなし、と言ってもこれくらいしかできないが……」

 社交辞令よろしく「いえいえ」と言いながら、シゲルはありがたくそのコーヒーを頂戴した。

 久方ぶりに飲むあたたかい飲み物。砂糖は入っていないが、むしろそのシンプルさが身に染みる。

 隣に腰かけるマミも同じくコップの飲み物を戴いていた。そこには彼女がいつの日にか望んでいた紅茶が湯気を立てて波立てている。

 河津自身も目の前の段ボールに腰かけて何やら飲んでいた。ステンレス製のコップには黒い液体が見え隠れしている。

「たまにはこういう贅沢も必要だよな」

 そう言って彼はまた、コップを口に運んでいた。その目はどこか遠くを見ている。

 そうしてしばらくブレークタイムを堪能した後、河津がおもむろに話し始めた。

「そういや、そっちの自己紹介がまだ済んでいなかったな」

「ああ、そうでしたね」

 眠気とカフェインが混在する頭でシゲルはそう返した。そしてすっかり気の緩んだ彼は、自身の名前とかつての肩書について話した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る