「祭り」

libertas

「祭り」

「ねえ、次は射的したいな!」

 彼女は無邪気に言った。

「そうだね」

 僕は別のことを考えながら上の空で答えた。

「ねえ、なんか冷たくない? ちゃんと私を見てよ」

「見てるよ」

「うそだ、何か他のこと考えてるでしょ。わかるんだよ」

「どうして?」

「夕、嘘つくときはいつも右に目を逸らすんだよ。気づかなかった? 全くもう」

「ごめんごめん。次からは逸らさないように気をつけるよ」

「これからも嘘つく気かっ!」

 彼女は本当に楽しそうだった。

 射的の屋台まできた。

「ねえ、ジャンケンしようよ」

「ジャンケン? なんで?」

「いいからいいから。はいジャンケンポン!」

 僕はグーで彼女はパーだった。

「私の勝ち! 射的おごりね!」

「いきなり仕掛けてきて、ひどいな」

「じゃあよろしく〜! おっちゃん、あの人からお金受け取ってね!」

 彼女はもうすでに銃を構えていた。

「はあ、まあいいけどさ」

 僕は屋台のおっちゃんに二人分払った。

 結局彼女は一つも落とせなくて、僕はぬいぐるみを二つ手に入れた。

「うう......」

「人の金でやるからだよ」

「関係ないわ! くそ〜、いつも教室の隅で冴えない顔して本読んでる君にこんな特技があるなんて」

「冴えないとは心外な。凪、ほんとは僕のこと嫌いでしょ」

「あ、たこ焼き!」

「おい」

 彼女はたこ焼きを売ってる屋台に走っていった。

「ねえ、ジャンケンしようよ」

「また? また奢らせる気?」

「はいジャンケンポン!」

 僕はチョキで彼女はパーだった。

「うう……くそう……なんで……」

「凪が前に、『ジャンケンポンっていきなり言われると、人はグーを出しがちなんだよ!』って言ってたの思い出したんだ」

「覚えてたんだね……」

「はい奢りね」

「はい……うう……」

 彼女は二人分のたこ焼きを買った。それから僕たちは移動して座れる場所を見つけて腰を下ろした。彼女は悔しそうな顔をしながらたこ焼きを食べていた。僕はそんな彼女を見ているだけで、今にも泣きそうだった。彼女がふとこちらを見た。

「食べないの?」

「今はお腹いっぱいだからいいや」

「じゃあなんで奢らせたのさ!」

「射的の時の仕返し」

「うわー! ひどい! しつこい男は嫌われるんだあー!」

「ほんとに嫌いなのかな?」

「いただきっ!」

「あ、ちょっと」

 彼女は僕のたこ焼きを二つも一気に食べてしまった。

「あふっ!」

 どうやら熱かったらしい。そりゃそうだ。

「そりゃそうでしょ、二つも一気に食べて」

「みふ〜」

「水ね、はいはい」

 僕は冷たい水を渡した。

「ぷは、ありがと!」

「全く、気をつけなよ」

「えへ」

 時刻は8時半になろうとしていた。8時半からは花火があって、それが終わればこの祭りも終わる。

「そろそろ花火の時間だな、移動しようか」

「ええー、いいよ人多いし、一応ここからでも見えるでしょ?」

「人があんまりいない、花火よく見えるいい場所があるんだよ」

「人がいない……? そういうのは、もうちょっとこう、色々踏んでから……ね?」

 彼女は恥ずかしそうにしている。

「違うわ! いいから行くよ」

 僕たちは人混みから少し離れたところにきた。昔、家族と来た時はいつもこの場所で最後に花火を見てから帰ったものだ。

 しばらくして花火が上がった。昔見たものとは違って、色々なキャラクターや模様が宙に浮いている様は少し滑稽に思えた。

 正直、気が気でなかった。目の前の花火よりもずっと彼女を見ていた。彼女は口を開けて花火に見惚れていて僕の視線に気づきそうにない。彼女の瞳に反射する花火だけが僕には見えていた。彼女はどうしてそう平気そうにしているのだろうか。あるいは最後だから全力で楽しもうとしているのだろうか。僕には彼女が何を考えているのか分かれなかった。

 とうとう最後の花火が打ち上がった。

「綺麗だったねえ」

「……そうだね」

 僕は泣いてしまいたかった。でも、きっと彼女の方が泣き出したいんじゃないか。そんな彼女の前では泣けない。

「凪」

「なあに?」

 彼女は僕の方を向いてはいなかった。

「今日は楽しかった」

「そうだねえ。私も楽しかったよ」

 僕たちは花火の残滓を見ていた。

「凪」

「なあに?」

「好きだ、これからもきっと」

「……」

 彼女は黙ったままだった。

「凪」

「なあに?」

「こっち向いて」

 彼女は優しい顔をして、僕に向き直った。僕はそのまま彼女にキスをした。

「……凪、好きだ」

「……うん。知ってるよ」

 僕たちの間に沈黙が流れた。ふと、彼女が口を開いた。

「……ねえ、付き合い始めた時、二人で決めた約束、覚えてる?」

「うん」

「だったらそんなに泣きそうな顔しないで」

 彼女は微笑んでいるが、不安が明らかに顔に出ている。彼女と付き合う時、普通に扱うって約束させられたのだ。

「……凪は怖くないの? 忘れられるんだよ。寂しくないの?」

「……全然、寂しくなんてないよ。元々、夕が告白してきて、ノリで今まで付き合ってたんだもん。そんなことあるわけないでしょ」

「……」

 彼女は左に目を逸らしていた。彼女は嘘をつく時、必ず目を左に逸らす。彼女が嘘をついてるのは痛いほどよくわかった。

 彼女は今日消えてしまう。午前0時ぴったりに。それもただ消えるわけじゃなくて、この世界全ての人の記憶からきえてしまうそうだ。家族、親戚、友達、先生、みんな忘れてしまう。当然、僕も例外ではない。

「……そうだったんだ」

「そうだったんだよ」

 彼女は微笑んでいたが、悲しみなのか不安なのかわからないような色を浮かべていた。

「……もう遅いし帰ろうか。家まで送るよ」

「うん。ありがと」

 彼女を家まで送り届けている間、僕たちはずっと喋らなかった。僕は、彼女になんて言えばいいのかわからなかった。

「……着いたよ」

「うん。ありがとね」

「いいよこれくらい」

 また送るよ、と言いかけてやめた。

「じゃあね」

「うん。バイバイ」

 僕は来た道を引き返した。彼女が消えることを受け入れているなら、わざわざかき乱すようなことはしてはいけない。もうきっと、僕には想像できないくらい悩んで覚悟を決めたんだろう。それを壊してしまうようなことはできない。

 しばらくして、後ろから走ってくる足跡が聞こえた。僕は彼女に後ろから抱きつかれた。

「……嘘。さっきのは全部嘘」

「……うん、わかってるよ」

「……どうして?」

「凪、嘘つくときはいつも左に目を逸らすんだ。気づかなかった?」

「……そうなんだ。夕と逆だね」

 僕は居直って彼女を見た。彼女は泣いていた。

「私、本当は夕のことずっと好きだったの。それこそ、夕が私を好きになったときよりも前から。だから夕から私に告白してきてくれて本当に嬉しかったの。もっと一緒に過ごしたかった。学校から毎日一緒に帰って、テスト前には勉強会して、ハーゲンダッツを賭けて席順勝負して、待ち合わせして、映画見て、ショッピングして、夕を荷物持ちにして、そうやってデートして、そういうのをもっともっとしたかった。もっともっと。もっともっともっと……。でも、もう……。怖いよ、消えるのが怖い。覚悟決めてたのに、甘かった。夕、怖いよ。忘れないで……」

「……」

 僕は彼女を強く抱きしめた。彼女はずっと泣いていた。僕も静かに泣いた。

 しばらくして、彼女は落ち着いたようだった。

「……ごめんね。どうしようもないことだから夕に言ってもしょうがないのはわかってるんだけど」

「凪のことなんて忘れられないし、忘れたくない。絶対に忘れない。」

「ありがとね、優しいね」

 彼女は微笑んだ。

「ありがとう夕。私、夕に会えてよかった。もっともっと一緒に居たかった。自分の運命が憎くて憎くてしょうがないよ。でもそれと同時に、もし私がこうじゃなかったら間違いなく夕には会えてなかったと思ってる」

「……うん、僕もそう思うよ。きっと凪は僕とは全く違った世界に生きて、僕なんかとは一度として関わることがない美しい青春を送っていたと思うよ」

「そんな卑屈にならないでよ。そういう意味で言ったんじゃないよ」

 彼女は笑った。

「……じゃあね、もうこれで最後だね」

 彼女は泣きそうだった。

「最後にキスして欲しいな」

 彼女からキスしてほしいなんていうことは今まで一度もなかった。僕はまた泣きそうだった。

「言われなくてもするつもりだったよ」

「もう、ばか」

 彼女は嬉しそうだった。僕は2回キスをして、彼女からも2回キスされた。

「そうだ、ぬいぐるみあげるよ」

 僕は射的でもらったぬいぐるみを渡した。

「ありがと。夕だと思って大事にするね」

「それはちょっとなんか嫌だな」

「なんでよ」

 僕たちは笑った。

「……じゃあね、凪」

「うん、またいつか」

 またいつか、か。

 僕は駅に向かって歩き出した。

 と、後ろから凪の声がした。

「夕、愛してる」

 それだけ言って、彼女は家の中に入ってしまった。初めて、彼女から愛してると言われた。僕はまた泣いてしまった。

 彼女はこれから家族と最後のひとときを過ごす。父、母、姉、弟、みんなに囲まれながら彼女は消えていく。できれば僕もその中にいたかった。彼女の家族は暖かいし、僕も彼女と最後までいたいといえばきっと入れてくれるだろう。でも家族の団欒は壊したくなかった。僕と比べて彼女の家庭はずっと暖かい。優しい母、ひょうきんな父、面倒見のいい姉、ヤンチャな弟。毎日おじさんは午後7時に帰ってきて、おばさんは美味しい食事を作っている。弟は部活から帰ってきて、姉は仕事からぐったりして帰ってくる。そしてみんなで集まって食卓を囲むらしい。凪はよく弟の話をしているし、彼女の姉は、凪に僕の惚気話を家でしょっちゅうされて困っていると言っていた。そんな仲睦まじい家族が羨ましかった。その中に僕が入ってしまうのは申し訳なかったし、彼女には最後に家族に見守られて欲しかった。

 家についた。リビングはいつも通り酒とタバコの匂いでいっぱいだった。僕はソファーで寝ている母を起こさないようにそっと部屋に帰って、午前0時を待つことにした。彼女は今どうしているだろう。おばさんと生まれた時の話を聞いているんだろうか。あるいはおじさんからよくやる宴会ネタを披露されているんだろうか。あるいはお姉さんに僕の話をしたりしているのだろうか。あるいは弟に部活の先輩の愚痴を聞かされているんだろうか。

 そんなことを考えていたら、午後11時57分になっていた。僕はひたすら今日のことを書き留めることにした。忘れたくない。絶対に彼女を忘れてはいけないんだ。そう思いながら、ほとんど読むことのできない文字で書き殴った。時間がゆっくり進んでいくように感じた。彼女との会話の一字一句全てが鮮明に思い浮かんで、ただただ泣きながら書き綴った。

「夕、愛してる」

 彼女の最後の言葉を書いた時、日付が変わった。



 目が覚めると午前10時を回っていた。いつもは目覚ましをかけているのに、どうしてか今日はかけていなかった。昨日はいつ眠ってしまったんだろう。僕はいつも10時間ぐらい寝る体質だったから0時ぐらいに寝たんだろうか。とりあえず、急いで支度して学校に向かおう。今なら3限に間に合う。

 学校についたのはちょうど2限が終わったぐらいで、こっそり教室に入った。こっそり入らなくても別に誰かが声をかけるようなことはないが。

 3限は古典だった。古典は退屈だったからぼんやりと窓のそばの空席を見つめていた。空席にはなぜかいつも教科書が入っていた。誰のものかはわからない。それは入学した時からあって僕は不思議に思っていたが、他の誰も気にしていなかったようだし、特別気にすることはなかった。

「おい夕、聞いているのか」

 ぼんやりしてたら先生に釘を刺されてしまった。

「全く。夕、次はお前が音読する番だぞ。138ページだ」

 しょうがなく教科書を開く。

「はい。えーと、『うたたねに恋しき人を見てしより......』————」

はあ、いつまで僕は友達も恋人もできないでいるのだろうか。

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「祭り」 libertas @libertas

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