ママ!今日はこんな夢を見たよ!

ノタマゴ

ママ!今日はこんな夢を見たよ!

「ママ!今日はこんな夢を見たよ!」


 この一言で、私の朝は始まる。

 声の主は4歳の娘。

 私の愛する娘、ゆきはいつも楽しそうに見た夢を話してくれる。

 私は幸の夢の話がいつも楽しみだ。


「待ってました!ママはいつも楽しみです!」


 私たちは閑静な街に建つ団地に住んでいる。

 特に贅沢もなく、質素な生活だ。

 幸の楽しい夢はその生活に彩りを加えてくれる。

 窓から入ってくる草木の匂いがより爽やかになり、より心地よく思えるのだ。

 私の朝には欠かせない。


「パパはまた聞いてくれないのかな?」


 パパは休日にも関わらず隅の自分のスペースに居座ってる。仕事が忙しいみたいだ。

 本当はしちゃいけないけど、会社でやるべき仕事を家に持ってきちゃってこっそりやってる。

 本当に熱心だ。


「パパはね、忙しいみたいだから、ママがたっくさん聞いてあげるよ。

 幸の夢はいつも可笑しくて楽しいから、ママも聞いてて楽しくなるの。今日も聞かせて?」

「ワーイワーイ!今日はね……………」



 *****



 私はいっぱい幸の夢の話を聞いた。


 それを『幸の夢日記』ノートに書き連ねていった。


 幸の夢は愛おしい。


「すっごい綺麗なお花畑にいてね!ウキウキして楽しかった!それでね?だんだん体がフワフワしてきて、お花畑の上でいっぱいプカプカしてたんだ~!」


 いかにも子供らしい、不思議で面白い夢だ。

 夢にふさわしい夢、幸はいつも見ていて楽しそう。


「でね!ワッて何かきて、びっくりして起きたの~。」

「ふふ、楽しそうだね。」

「うん!」


 いつまでも幸の夢を聞いていたい。

 こうしてまた一つ『幸の夢日記』に新たな1ページが加わった。


 次の日も、


「今日の夢はね、みんな止まってて、幸だけ動けたの!それでいっぱいいたずらしちゃった…!楽しかったな…!

 でも後ろにも誰かが動けてるの知らなくて振り返ったらすぐ近くにいて怖かった…」


 その次の日も、


「全身ツルツルの生き物がいた夢!顔がお腹のところにあって気持ち悪かった…。それで幸に向かって走ってきてまたワッ!ってなって起きた……。」


 そのまた次の日も、


「まさやくんとそのお友達といっしょにボールで蹴って遊んだの!まさやくんがボールを幸じゃない方に飛ばしちゃって道路に出ちゃったの。それでね幸が取りに行ったら横から車がブォーって来てワッ!!ってなった、怖かった…!」


 幸が楽しそうに話す夢を記録していった。


 すでに『幸の夢日記』のページは半分を超え、折り返し地点に来ていた。

 早くこのノートが埋まって欲しいと心待ちにしている。

 その時は、私の心は"幸せ"で満たされるだろう。



「…少しは外に出たらどうだ。」


「いいの私は。」


「ったく…。台所の生ゴミちゃんと片付けろよ…臭ってくるぞ…。」


 パパはぶつくさ言いながら私に外に出ろと促してくる。

 最近私は外に出ていない。

 私は幸の話を眺めてたいから、外の話は聞かなくていいんだ。


 ずっとこのままでいい。



 *****



「ママ!今日はこんな夢をみたよ!」


 素敵な朝の日課は続いてく。


 日記は日を重ねてさらに埋まっていった。


 ・空を飛ぶ夢

 ・ぬいぐるみとお友達になる夢

 ・まさやくんとボール遊びする夢


「ふふふ、いつも楽しそうな夢だね。」

「うん!」


 幸の夢はとびっきり楽しい。


 さらに日々は流れページは埋まる。


 ・お化けが排水溝から出てくる夢

 ・まさやくんに追いかけられる夢

 ・白いワゴン車に幸が轢かれる夢


「まさやくんいっぱい出てくるね。好きなの?」

「違うって!んもー!」

「ふふふ、どうだろうね~。」

 

 あと少しで、"幸せ"は満たされる。


 ・翼のついたボールがお空へ飛んでいく夢

 ・白いワゴンに幸が轢かれる夢

 ・白いワゴンに幸が轢かれる夢


「ふふふ……。」


 あと、少しで。


 ・白いワゴンに幸が轢かれる夢

 ・白いワゴンに幸が轢かれる夢

 ・白いワゴンに幸が轢かれる夢



「………………………………。」






 ――なに、これは?


 いけない。


 そんな夢はみちゃいけない。


 そんな夢はあってはいけない。


 不気味な夢の連続に私は初めて恐怖した。


 頭の片隅に偏在する違和感。

 戦慄しながらも明らかに感じ取っていた。

 私は目まぐるしく夢日記を最初から追っていった。


 違和感は的中する。


 幸の夢は、

 なぜ……?

 なんの偶然?

 子供の夢は確かに怖いものもある。

 だがこれほどまでに同じ結末を迎えるなんて。


 私はうっすらと背中に脂汗をかいていた。


「幸……どうしたの…?」


 幸は何も答えない。

 生気を失ったように俯いている。


「辛かった?なにかあったら私になんでもい――――」



「何をしてるんだよ。」



 ――――。



1。」



 雑音だ。

 パパの声だ。

 すぐさまガチャリと扉の閉まる音も響いた。

 パパが帰って家に入ってきたことに気づかなかった。


「何って、幸と夢の話を…」

「おれは…お前の行動をずっと見てきた。だけど、もう無理だ。限界だよ。」


 何を言ってるのかわからない。

 私は無意識に首を傾げていた。


「わからないか…。もう、耐えられん。言ってやるよ。幸の夢は全部――」



 パパが放ったその一言で、理解をした。

 私が知ってはいけないことだった。



『――全部、お前の夢だよ。もう叶わない。』


「え……?どういうこと……?」

「その日記は…全部お前から出た幻想だ。

 幸はもういないんだよ。」

「ね、ねぇ?幸?今ここにいるのにパパはなに言ってるんだろうね…ハハハ……。」


 私は俯いて顔を見せない幸を安心させようとした。

 心配しなくていいと言い聞かせる。


 ――言い聞かせる?


 私は誰を言い聞かせようとしている?

 とにかく、パパは恐ろしいことをしている気がした。

 パパの言葉一つ一つに幸が希薄されていく、気がした。


「おれには何も見えん。もう、現実を見てほしい。一体いつまで引きずるんだ。」

「だ、だって!ちゃんと日記に書いたんだよ!?ほら!!」


 私は指先を密かに震わせながら、幸の夢日記を見せていった。

 字から楽しさが滲み出ている夢日記。

 パパもわかってくれると信じて。


「これとか!お花畑にプカプカ浮いてるって!すごい幸せそうにしてたよ幸は!」


「夢だ。」


「じ、じゃあこれ!幸だけ体が動かせてね!?いっぱいいたずらするって――。」


「夢だ。」


「宇宙人みたいなのがいるって――。」


「夢だ。」


 嘘だ。

 私は信じない。

 でも、この夢は…。

 この夢だけは、言いたくなかった。


「…まさやくんと遊んでた時にボールが道に飛んでって……。」

「それは……」

「幸が取りに行ったら、白いワゴンが幸に迫ってきて、ぶつかったって。」


「それは…現実だ。」


「そんな、違う。」


「お前は公園にいた。友達の親御さんと話してたんだろ。それで幸を見てなかった。見つけた時にはもう遅かった。

 責任感じてるんだろうが、背負いすぎなんだよ。そろそろ現実を見ろ。もう一年前なんだよ。そろそろ前を向かなきゃいかないんだよ。」


「うそ……。」


「最近、日記書き始めて、もう見かねたよ。」


 言わないでよ。

 その言葉だけは。

 そう願っても、もう遅かった。



『幸は、死んだんだよ。』



 とても簡単な言葉だった。

 そして鋭く、拒絶の壁をも貫いた。


 鋭利な雑音が私の頭に侵入し、反響し、増幅し、囚われた虫のごとく暴れ散らす。

 "幸せ"に満たされるはずの私はボロボロと瓦解していく。

「頭が…」


 痛い。目が開けられなくなる程に。


 どこにいるの…幸……。


 瞼は開かず、暗闇の中で手で探る。

 我が娘の感触は得られない。


 幸は、死んだ…?


 そんな、そんなこと…………。



 "――知らなかったの?"



 唐突に頭に響いた音。

 すぐに幸とわかった。

 なぜか姿は見えない。

 ぼんやりとして、そばにいる感覚が得られない。



 "――ママは、見たよね。"



 重い瞼を力の限りに細々と開ける。

 いくら見渡しても幸はいない。

 でも、聞こえる。



「幸…どこ…?」



 "――ママ、幸はね、轢かれちゃったの。"


 "――ママは、ちゃんと見てたんだ。その瞬間。"



 言葉を重ねるたび、幸は着実に、私の頭に現実の根を張っていく。



 "――でも、幸はいなくならないよ。"



 細くとも、力強い、幸の根っこが、私の頭を掴んでいく。



 "――幸はずぅっと、ママの心にいるよ。"


 "――幸は、ずぅっと、ママのそばにいるよ。"


 幸はいない

 そんなのは、ありえない。

 ありえないんだ。



『幸は、ずぅっと、生きてるよ。』



 確信と同時に聞こえたのは、紛れもない幸の"声"だった。


「…………………。」

 ――うん。


 一つ返事をし瞼を開くと、幸の姿は目の前に生き返っていた。


 ――知っていたとも。

 ――幸は轢かれてしまった。

 ――でも、ここにいる。

 ――私にとって、幸は、ここにいる。


 いつのまにか目は開けられるようになっていた。

 気分も明瞭に近かった。


 幸は、今、まさに、私に言葉を発している。

 絶対にそう。

 だから生きている。

 幸が生きていないなんて、私にはあり得ないんだ。


 でも、このパパは……


「おいおい…なんだよ…そんな睨まないでくれよ…。」


 パパは、幸を消そうとしている。

 娘を消すなんて、親じゃない。


 雑音だ。

 パパの声は、雑音だ。

 私の幸を傷つける。

 早く、消さなきゃ。

 パパは、雑音だ。

 私たちを壊してくる。


 雑音は 消さなきゃ。


 パパは 消さなきゃ。


 私と幸の――


 ママと幸の邪魔をするな――。




 *******




『幸の夢日記』ノートはあと1ページで埋まる。


 雑音は消えた。


 それからは楽しい話がたくさんだった。


 幸せに溢れた。


「パパは?」

「仕事忙しいのかな?」

「そーなんだ…しょうがないね。」


 パパは雑音を振り撒いて以来姿を隠している。

 私は行方を知らない。

 何も知らない。


「じゃ、今日も幸の夢の話聞こっかな!このノートもう埋まっちゃうよ!すごいね!今日はどんな夢を――」


 矢先、甲高い機械音が部屋に響いた。


「…と。なんなの……。」


 家のチャイムだった。

 幸の世界に入ろうとしたら頭に音が侵入してきた。

 良いところだったのに。


「はい。」


 黄ばみがかった白のモニターからチャイムを鳴らした主をうかがう。


「はい、私です。ここの大家の谷村ですが。」

「谷村さん、何か御用ですか。」

「あ、はい。少し相談したいことがございましてね?面と向かってお話ししたいことで…。」


 お節介な婆さんだ。

 この人も雑音の発生源になりうる。

 仕方ないから挨拶はするが…。

 心の中でぼやきながら私は渋々ドアを開けた。


「はい。」

「あ、どうもこんにちは。すみません相談したいことがありまして。」


 私を神妙な面持ちで見つめてくる。

 何があったのだろうか。


「最近あなたの部屋の方から異臭がするとの苦情が来てましてね?心当たりがあるのならすぐに処理をしていただきたく…。」

「…異臭?」


 私の部屋から?

 何も心当たりは……



 あぁ、わかった。


 私、パパの首を包丁で刺したんだ。

 それで動かなくなったから、押し入れにしまい込んでたんだった。


 "忘れてた"?


 いや、知っていたとも。

 

 心の奥の奥では知っていても、知らないことにできる。

 何も難しくはない。

 私にとってパパは雑音じゃなくなっていたから、気づかなかった。



「あぁ、そうでしたか。やっておきます。」

「ええ、じゃあよろしくお願いします。

 あと、あの、顔色悪い気がしますよ…?目の下の色がすごい暗くなってて…。」


 婆さんは鼻を軽く摘みながらまた雑音を放つ。


「最近元気がなさそうで心配してたんです。」

「いえ、大丈夫です。寝れば治ると思うので。」

「なんでも言ってくださいね?娘さんは――」


「大丈夫です。大事な娘がいるので。」


「え?あ、あの、娘さんは一年前に――」

「失礼します。」


 婆さんの雑音は邪魔だ。私は強制的にドアを閉めた。

 私には外の話は必要ない。



 ふと、外での事故あの日のことを想起する。


 友達を見つけてすぐに、私の手からするりと幸が抜けていった。


 あのとき、私が遠くへ行ってしまいそうになる幸を離していなければ、ずっとそばにいて、道に飛び出すこともなかったのだろうか。



 ……いや、その心配はもう必要ないのだ。



「おまたせ、幸!」


 私には、幸がいる。

 私のすぐ近くにいるんだ。

 そこにいるんだ。


「幸の夢は、素敵なの。

 ママはずっと聞いていたい。

 だから、ママにこれからもずっと聞かせて。」


 "幸の夢を、ずっとずっと聞かせて。"


 そう願った私に応えるかのように、幸は嬉しそうに口角を上げた。



「うん。


 これからも、幸の夢を見てね。


 ずっと、ずっと。


 ママ、――――。」




 閑静な団地の、ススが散る一つの部屋。



 黒ずんだ窓から、甘い花の香りが入り込む。



 ママの大切な幸。



 存在に一切の疑いはもたない。



 ママと幸の夢。



 雑音は一切私たちには響かない。


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