【NL】さくらとよる

コウサカチヅル

本編

「さあ、さくら。いただきましょうか」

 立派な和室に、朝の光がそそぐ。


 目の前には、おいしそうな焼いた鮭と、真っ白なご飯にお漬物、それにわかめのお味噌汁。豪勢なことに玉子焼きまで並んでいた。

「いただきます……、あの、よる様。訊きたいことがあるのですが……」

 わたし・さくらは、慌てて手を合わせ、そして食事を始められた“よる様”へ控えめに話しかける。

 よる様は、わたしが『にえ』として捧げられた蛇の『あやかし様』だ。


 そもそも『あやかし様』というのはとても縁起のいい存在で、その地におわすと村や里が栄えると言われている。よる様がわたしたちのところへ来てくれた二年前から、この村は目に見えて豊かになった。さらに、よる様は『蛇』の『あやかし様』。お金を司る能力を持っていて、土地が枯れた我が村にとってはまさしく、生命線のようなおかたなのだ。


 ある日、そんなよる様の住まいを、荒らす者が出た。

 よる様は激昂などしなかったものの、ひとつだけ条件を出された。


 ――村からひとり、だれかを寄越すように、と。


 そこで白羽の矢が立ったのがわたし。もともと身寄りがない上、煙たがられる存在なのでぴったりだったらしい。作法やうやまいの言葉を付け焼き刃で叩きこまれ、単身、よる様の元へ送りだされたのがひと月前のこと。


「なんです、さくら?」

 ところどころあおい鱗が浮きでた白い肌、黒く艶やかな長い髪をまとめもせず流す姿は、食事をしているときでもすごく神々しくてきれい。いつまで眺めていても飽きない……。

 でも見惚みとれてばかりもいられないので、訊きたかったことをずばっと伝えた。

「よる様はいつになったら、わたしを食べるのでしょうか?」

「むぐっ、げほげほっ!」


 よる様は急にご飯を喉に詰まらせてしまったようで、むせだしてしまった。わたしは急いでお茶を差しだす。

(あ、でもこのお茶、すごく熱いし……)

 わたしは、いつもよりは比較的慌てながらもふーふー、とお茶に自分の息を何度も吹きかけ、手早く差しだしなおす。

「さあ、お早く」

 なんだかむせながらこちらを見るよる様の目許が真っ赤で潤んでいる気がするけれど、そんなにつらいのかなぁ。よる様を支えながら、なんとかお茶を飲んでもらう。

「……貴女あなたのそういうところ、本当に末恐ろしい……」

 ようやく落ち着いたよる様は、ぽそりと呟いたけれど、よくわからないので小首を傾げる。

「きちんと伝えそこねていましたが……おれはそもそも、喰らう気で『贄』を求めたわけではないのです」

「そうなのですか?」

 “『にえ』になれ”と村長むらおさに言われたから、普通に丸呑みでもされるのかな、と思っていたのに、このひと月、不思議なくらい穏やかに過ぎてゆくから……。


 よる様は両の人差し指をもじもじ動かしながら、もにょもにょ、と話を続けた。

「おれは『あやかし』になれたのも最近で、村にとっても新参者ですし、話し相手ができればと思いまして……」

「なるほど?」

 つまり、それは。

「よる様は、独りぼっちが寂しかったのですね?」

「う゛っ……ま、まあ、そうなりますね……」

 俯いてしまったよる様に、わたしは失礼なことを言ってしまったかもしれないと悟る。


「あの。違います、ばかにしたわけではなくて。思ったことをすぐ言ってしまって、『普通』のつもりでも浮いてしまうのです。どうか、いやな気持ちにならないでください……」


 わたしが『にえ』として捧げられた理由は、孤児みなしごというのもあったけれど、それだけではないことは気づいていた。


 いつだって相手の望みを察せられない。

 表情をほとんど変えることもしない、気味の悪い娘――。


 だから、もしよる様が話し相手を求めていたのなら、完全に選ぶ者を間違えたことになる。

「よる様、わたしが来てごめんなさい……」

 そんな沈んだ空気を、一瞬で吹き飛ばすようなことが起こった。


「おれはうれしかったです!!」

「――え、」

「貴女を……さくらを迎えることができて」

 これまで、わたしに一回もさわらなかったよる様が。わたしの手をその骨ばった大きな手で、しっかりと包むように握りしめていた。その手は想像していたのとは違って、すごく熱を帯びていた。


「覚えていませんか? 貴女は数年前、蛇だったおれを救ってくれたことがあるんです」

「えっ……??」

「すぐそこの湖のほとりで。貴女も空腹だったろうに、飢えていたおれにも、あわのご飯をくれました」

「蛇、に……。っ、あ……!!」

 わたしの中にひとつの記憶が駆けめぐる。



✿✿✿✿✿



 ある年の秋。その日はお祭りだったので、生業なりわいである草履作りは休業。わたしは雀の涙くらいの稼ぎから、なんとか粟飯のおむすびと竹筒に入ったお茶を手に入れていた。奇跡的におまけしてもらえて、ほんのちょっぴり大きいおむすび。お腹を鳴らしながら、帰途についていると……。


 小さなあおい蛇が、湖近くの枯れ草の上に横たわっていたのだ。それは枯れた色に映える、深くて上品なあおだった。

(初めて見る。きれいな子……)

 あまり大きくないし、近づいても大丈夫だろう。

 そろりとその子に寄ると、ぐったりとしていて、見るからに衰弱していた。

「どうしよう……このままだと、もしかして」

 ――絶命、してしまうだろうか。


 外傷はない。だとしたら空腹……?


 わたしは、じいっと手にしたおむすびを見つめた。

 普段、倒れない程度にしか食べられていない。こくん、と唾を飲みこむ。お腹が減って仕方なかった。



 ――でも。



「お、おすそわけ……」



 やっぱり噛まれたら怖いので、その子の口許くちもとへ多めに割ったおむすびを、おっかなびっくり置いて手を引っこめた。お茶は悩んだけれど、近くに大きめの枯れ葉があったので、ちょっとだけそのくぼみに注いで側に置いてみる。

 一通り準備を終えて、近くにわたしがいたら食べたくても食べられないかも? と、だいぶ離れたところから見守っていたら。

 もぞもぞ動きだして、はぐはぐ、とご飯に食らいついたので、ほっとしてその場をあとにした。


 お腹は空いているけれど、私には明日以降これから、ぎりぎりでも当てがある。

 あの子にも、『未来これから』があればいいな。


 心がなんとなくいっぱいになったから、その日はいつもより寝付きも早く、いい夢を見られた。



✿✿✿✿✿



 ……次の日、心配になって同じ場所を見に行ったらいなかったけれど……。

「えと、あの、お久しぶりです?」

 この挨拶、合っているのかな……?


 わたしの発言と微かに変わった表情から、わたしが覚えていることを感じとったらしいよる様は、ぱあっと顔を輝かせた。ただでさえ美しいおかたなので、にこにこすると眩しすぎて目がちかちかする。

「わあわあ、その節は……っ、本当に救われました!」


 ささっ、とわたしから離れ、土下座をしだすので慌てて止める。


「い、いえっ。よる様がしてくださったことに比べたら、わたしのしたことなんて……」

 美味しいご飯、あたたかな寝床。そしてそばにいてくれるだれかがいて、優しくやわらかに流れる時間――。

 わたしのほうが余程よほど、よる様からもらってばっかりだ。その感謝をよる様へ伝えると。

「命を救う以上のことなんてありませんし、それはおれも同じです」

 それについてはずばっ、と言いきられた。


 そして下を向いて頬を染め、ぽつぽつと言葉をつなげるよる様。

「さくらの優しさが、すごくうれしくて。ずっとさくらにお礼が言いたくて、もっとさくらを知りたくて。だれか寄越すようお願いしたとき、村のひとからなら、さくらの話も聴けるかな……なんて打算もあったんです。そしたら」


 熱っぽい瞳が、わたしをとらえる。


「貴女が、来てくれた」

「……」


 よくわからないけれど、なんだか心がきゅうっとなって。

 わたしは正座するよる様のところまで寄っていって、隣にちょこん、と座る。そして、次の瞬間にはよる様をそのまま抱きしめて、よしよし、と頭を撫でていた。


「さ、さくら!!?」

「わからないけれど、きゅうっとなったのでぎゅっ、ってしました」

 よる様の白い肌がみるみる赤くなってゆく。なんだか、かわいい……?

 背の高いよる様は、小柄なわたしが座りながらぎゅっ、とすると、そのほっぺたあたりまでしか頭が届かない。着崩した着物姿のよる様へ、無性に頬ずりしたくなって、ためらいなく鎖骨あたりへそれも実行した。


 ふるふる震えたよる様が、耐えきれなくなったように叫ぶ。

「こ、困ります、そんなにされたら……ッッ!!」

「みだら……!?」

 わたしの中に衝撃が走る。そうか。ぎゅってしてよしよししてすりすりするは、いやらしいことだったのか……。

 わたしはしょんぼりした。

「みだらにしてごめんなさい……」

「い、いや、どんどんやってほしいんですけど!! いやそうではなくて! そんなことを貴女にしていただくのはおそれおおすぎるというか……っ!」

「??」

 よる様は視線をあっちこっちさせて、自棄やけになったみたいに叫んだ。

「おれにとって貴女は国一番くにいちばんの宝玉で、おれは蛆虫うじむしみたいな存在ものなんです!! 蛆虫が国の宝をめまわしたりしますか!!?」


 たとえ話をしてくれているらしい、けれど……??


「そもそも蛆って宝玉とか食べないのでなんとも……。ああ、でも」

「?」

「その子が舐めたかったら舐めてほしいってわたしは思います、いくらでも。いつでも正直が一番です」

 とってもきれいな宝玉に焦がれて、ぺろりと舐めてしまう蛆。想像したらなんだかかわいくて、口許が緩んでしまった。

「笑っ!?! ~~っ、」

「よる様?」

 よる様は顔を両手で覆い、じたばたしだしたかと思うと。

 すぐに呼吸を整えてすうっと立ちあがり、すまし顔でわたしに問いかけた。

「ちょっと湖の底あたりで『ぎゃん可愛かわァアー!!!♡』って絶叫してきていいですか?」

「呼吸できるなら全然止めないですけれど……」



 よる様は、むずかしい。




【終】

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