汝らに祝福と需要あれ

天雪晴雲

屋上のキューピット×縁結びの神様

1-1

 阿堤川あつみがわ高校の屋上にはキューピットがいる。


 そんな他愛のない噂話にすら頼らなければならない現状を憂い、少女の元々つり上がり気味の目尻に鋭さが増した。


 当校の屋上は、元々封鎖されている訳でもない。

 昼休みには生徒達が持参した弁当を囲み、談笑しながら昼食を取る風景がよく見られるし、放課後も友人達と夕風に涼みながら、施錠に現れた教師に追い出されるのを待つ者が決して少なくはない。


 阿堤川高校一年、結崎願維ゆいさきねがい

 彼女も実際、友人達とこの屋上に足を運んだのは一度や二度ではなかった。

 それこそ気心の知れた幼馴染みや兄に対しては、ここで弁当のおかずを賭けて、くだらない勝負を挑む事が日常茶飯事である。

 この高校に入学してからおよそ半年。彼らとはクラスや学年が違う都合上、自然とこういった場所に集まるのが、半ば習慣になっていた。


 にも関わらず、噂話に聞くような相手を見た覚えが、願維には一度も無かったのである。


「何かが引っかかるんですよね……」


 釈然とはしないが、それでも願維は僅かな希望を胸に抱き、放課後の屋上への扉を開け放つ。

 同時に、腰まで届く毛先の揃えられたポニーテールが、風によって小さくなびいた。


 彼女の放つ凛とした雰囲気は、焦りからかどこか果たし合いに赴く侍を彷彿ともさせる、威圧感とも呼べる物に変わっていた。

 小柄で愛らしい体躯ながら、今の願維に気安く話しかけるのは、多少仲の良い相手でも気後れする事だろう。


「あ、願維。やっほ」

「昇くん? ――あれ、一人でしたか?」


 そんな願維に、彼女の幼馴染みはどうということもなく軽く声をかけた。


 近くの壁にもたれかかって読書していた少年、叶石昇かないししょうは、本を閉じると願維の方を見やる。


「そっちこそ一人? あ、もしかして俺を探しに来てくれたとか」

「まあ探し人がいるのは違いないですが……。昇くん、他に誰かここに来てはいませんか?」

「いや、今日は特には。曇り空だしね、日光浴って気分でもないでしょ」

「だというのに、物好きにもこんな所で本を読んでる人がいるんですね」


 軽く皮肉られ、昇は苦笑いしながら思わず頬をかく。


 願維とは対象的な鋭さの無い目と泣きぼくろには、隠れる程では無いが長めの前髪が交差してかかる。

 女性的だとか幼いだとか、そういった顔立ちでは決してないのだが、どことなく線が細く儚げな雰囲気は纏う。

 実際、昇に初めて会った者が抱いた第一印象をまとめてみると、「熱量がない」「生命エネルギーが感じられない」「ほっといたら世界から存在も記憶も消えてそう」等々。


 が、彼の内面を幼い頃から知る願維からすると、それらの評はとんだ笑い話にしかならない。


「本を読んでたんでしょう? 誰か来ても気付かなかったとかありませんよね」

「いやそれは無いよ。だって本じゃなくて、人を見るのが本命の目的だから、誰か来たならそっちを見るよ」

「……のぞきの容疑でムショにぶちこみますか」

「せめて弁護の機会位は欲しいんだけど」

「昇くんと法廷での戦い……。いいですね、勝負好きの血が騒ぎます」

「そう来たか」


 かかっている物が昼食のおかず程度ならともかく、有罪か無罪かの判決となると、受けるにしても心臓に悪い。

 当然、二人とも普段から交わす冗談のつもりでしか喋ってはいないが。

 誤魔化す、というよりは極当たり前のように、願維本来の目的に話題を戻す。


「それで願維、誰を探してるのさ」

「まあ、噂話なんで本当にいるだなんて思ってはいないんですけど。……昇くん、『屋上のキューピット』って聞いた事ありません?」

「え、何それ」

「まあ文字通りではあるんですが。何でもここで恋愛だとか友人関係だとかで悩んでいるって話をしていると、近くから声が聞こえてきて、それはそれは親身に話を聞いてくれるそうなんです」

「へえ」

「どうしてもって頼み込むとアドバイスも貰えるそうなんですが、話を聞いて貰った人はことごとく問題が解決しているとの事なんですよ」

「そうなんだ。そうか、そんなに噂になってるのかあ」

「そうなんです」


 数秒の沈黙。


「――今こうして話して思ったんですが、これ昇くんじゃないですよね?」

「ごめん、俺な気がしてきた」


 願維は思わず膝から崩れ落ちた。

 身内故にこれまで完全に意識から外れていたが、改めて思い返すとそれらしき節がボロボロと浮かんでくる。

 昇はよく自分達と一緒に屋上には足を運んでいるし、時折何かを嗅ぎ付けたかのように席を外したり、何故か知らない上級生からお礼を言われていたり。


 騙されるな、見知らぬ上級生。

 こいつは、この男は、人助けのつもりで相談に乗っているわけではない――!


「やりやがりましたね、カプ厨……!」

「違うんです」


 叶石昇。熱量がない等とはてんで笑える。


 脳内で人と人とに相関図の線を引きまくり、その営みを、その絡みを、ただ美味しく頂いて考察、解釈、妄想し勝手に盛り上がる。

 そう、彼はその熱量が周りに露呈していないだけの、である!


「カプ厨とは言うけど、俺は別に恋愛関係に限らないからね。広義で言うところの関係性オタク。友人関係でもライバル関係でも、そこに琴線に触れる何かがあれば、俺はオールマイティにイケる」

「否定する箇所、どう考えてもそこじゃないと思うんです」

「直接的な描写が無ければBLだって嗜めるよ」

「前にせらちゃんが借りたって言ってた漫画、こんな形で貸し手が見つかる事あります?」

「せせらからは、こっちもよく少女漫画とか借りてるし……」


 違うと口にしつつ自主的に正座したので、何を言い出すかと思えばこれである。

 願維からすれば、噂話のしょうもない真実よりも、目の前の現状の方にガッカリしていると言っても過言ではない。


 といっても、本人にもここまで話が広がっているという自覚が無かったのだから、事実を飲み込むまでに多少時間がかかったのだろう。

 昇は申し訳なさそうに頭をかき、一呼吸置いて口を開いた。 


「いや、本当に狙ってやった訳じゃないんだ……。ただこう、誰かがそういう話してたらどうしても聞きたくなってさ。そしたら、解決策とか無いかも聞かれるようになって、めっちゃ聞きに行っといて何も言わないのも無責任じゃん……? だから、俺が考える理想のシチュエーションをあくまで参考までにって語ったら――」

「気付かないうちに学校の七不思議、『妖怪くっつけ坊主』が誕生していたと」

「ねえ『屋上のキューピット』って噂じゃなかったっけ」

「いつの時代の話をしているんですか。そんな小綺麗な噂はとっくに滅びました。若者は明日を見て生きなさい」

「わかった、ここから見渡して明日のカップルなんかを探す作業に戻るとするよ」

「さっきまでここで何やってたのかと思ったら……。辞めなさい恥ずかしい」

「ちょっと待って、さっき向こうの影におっぱじめそうな男女がいたから、それだけでも――」

「はじめてたまりますか……!」


 ただののぞきより悪質とは流石に聞いていない。

 引きずって帰ろうにも、願維の細腕では流石にそれも難しい。

 本気でドン引きしているような目を試しにぶつけたところ、流石にいたたまれなくなった昇は、無事しぶしぶと屋上を後にした。


 先を行く願維の背中を見ながら歩いていると、ふと昇の頭に一つの疑問が浮かぶ。


 ――なぜ、願維は『屋上のキューピット』等を探していたのだろう。


 想像するだけなら簡単だ。これまで自分の所に相談に訪れたのは、当然悩み事を抱えていた者。

 それも、対人関係における悩みをだ。


 幼少から共に育ってきた、気心の知れた異性の友人である。昇だって少なからず、そんな願維の事を悪い風には思っていない。


 だからこそ、もしそれがの悩みであったとしたら。


 ――そう考えた途端、その場で事情を訪ねるのが少しだけ怖くなり、昇は発しかけた言葉を飲み込む他なかった。

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