箱詰メ。

千島令法

窮屈

 目が覚めると、私は頭を前に垂らし、右腕を頭の上に、左腕を背中側に回した状態で体育座りをしていた。

 こんな格好をして寝ている人は少ないと思う。私も普段は、横になって眠る。


 では、何故こんな変な態勢を取っているのかというと、そうせざるを得ないからだ。


 私がいる空間が、とにかく狭いのだ。首が折れてしまうのではないかというほど狭く、息をするのもやっとだ。全く動く隙間すきまさえない。


 。そう思った。

 人間の箱詰めとは、こんなむごい話は聞いたことがない。


 私はなぜ箱詰めにされてしまっているか。分からない。


 最後の記憶は、確か……金曜の深夜。急な業務が重なったため、いつもより三時間も多く残業した。二十三時過ぎごろまで粘ったが終わりそうになかったので仕事をきりあげ、すぐに帰路に就いた。それから、会社そばの駅から電車に乗り、巣鴨駅で一度降りた。そして、電車を乗り換え、自宅の最寄り駅で降りた。そこから、一切の寄り道をすることなく、十分じゅっぷん歩いて十二階建てのマンションに着いた。そのマンションの一階に自宅があるので、気だるさを感じながら、いつものように鍵を開けると……室内灯がいていた。いつもは消灯するのだが、今日は忘れてしまったのかもしれないなどと思いつつも、あまり気にすることもなく自炊をして……風呂に入って気持ちよくなったところで、布団に入った。


 普通に眠ったはずだ。このような箱詰めにされるわけがない。


「おーい! 誰かいないか! 助けてくれ!」


 狭さのせいで浅くなってしまう呼吸だが、力の限りを尽くして自分のへそに向かって叫んだ。


 誰かこの箱から出してくれる人は近くにいないのか。その思いだけで訴えた。


「やめてくれ!」


 声がした。私ではない誰かの男声。それにしても、良かった。誰かいるようだ。


「誰かいるのか! 近くに人が入れるほどの箱はないか? その中に私がいるから! 頼む!」


 ここから出られるのも、そう遠い話ではなさそうだと思った。


「や、やめてくれ! もう頼むから!」


 そういえば、先ほども相手は「やめてくれ」と言っていたな。何が外で起こっているのだろうか。何をやめてほしいのだろうか。


「おい! 外で何が起こっている! 教えてくれ!」


「ああ、もう! うるさい!」


 会話にならない。一体どうしたというのだ。


 ドンッ!


 天井から鈍く何かがぶつかった音がした。


「お、おい! どうしたんだ! 何をしているんだ!」


「うるさい!」


 ドンッ!


「うるさい!」


 ドンッ!


「黙れ!」


 ドンッ!


 相手の発する言葉の間に、天井から音は響いてきた。


 その相手の行動は、私に「黙れ」と言っているようだと察せさせるものだった。


「外で何が起こっているのか分からないが、すまない。でも、ここから出してくれると助かる。あまりに狭くて苦しんだ」


 助けてほしい。その一心だった。


「勝手に出て行け! すぐに出て行ってくれ!」


 何を言っているんだ。出られないと言っているのに、とはどういうことなのか。


 自力で出るにしてもだ、全身に力を込めて箱を破ろうとしてもビクともしてくれないのだ。それに、こんな態勢で力など入るはずがない。


「頼む! 自分では出られないんだ! 誰かの力が必要なんだ!」


「嘘だ! 俺は絶対にお前を助けない! 絶対にだ!」


 ドンッ!


 誰か分からないが、外にいる男に私は恨みをかうようなマネをしてしまったのだろうか。


「わ、分かった! 私が悪かった! だから、ここから出るための手助けをしてはもらえないだろうか」


 何か分かったわけではないのだが、とりあえず謝った。ここから出られれば、そこから話をしっかり追えばいいと思ったからだ。


「謝るな!」

 

 ドンッ!


 男は一蹴して、また天井に何かをぶつけた。


「すまない! 状況を説明してはくれないか! 私も何が何だか分からないんだ!」


 せめて状況だけでも知れればと思った。


「お前はんだ! だから大人しく成仏くれ!」


 死んだ? 死んだと言った。


「私が死んだというのか? 何を言っている! 私の声が聞こえているだろう?」


「ああ、聞こえているよ! だけど、お前は死んでる! お前を確実に殺したはずなんだ!」

 

 全く理解できない。私はいまここに生きているのだ。


「お前を殺した後、部屋の床に穴を掘ってお前を埋めた! 箱に詰めてだ!」


 信じられない。男のいうことなど全く信じられない。


「お前が私を殺した? 私は死んでない! 死んでいるはずがない! 頼むから! ここから出してくれ!」


「うるさい!」

 

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 天井から音は続いた。何度も何度も天井から音は響いてきた。

 その音に怯えながら、私は黙ってこらえることにした。


――


 しばらくすると、急に音は止まった。響いていた鈍い音に反して、男の激しい息切れが聞こえる。


「やっと……静かに……なったか……」


 息も絶え絶えに、そう放った男。


 私はもういい加減気が済んだだろうかと思い、


「すまない。私が死んだのは本当なのか?」


 聞かずにはいられなかった。


「まだかよ……くそが……」


 ぼやき声がする。


「ああ、そうだよ。お前は……俺が殺した。もう死んでるんだよ」


 確認までしたが、自分が死んだなどということを、心の奥底まで認めることは出来なかった。


「では、何故私は殺された? 何故殺されなければならなかった?」


 まだ嘘かもしれない。話を掘り下げればボロが出るはずだ。


「はあ? なんで殺されたのかもわかんねえのかよ! 教えてやるよ! 毎晩毎晩、夜中にドンドン音鳴らしやがって、こっちは迷惑してたんだよ!」


 ドンッ!


「こんな風に! 殺してようやく静かになると思ったら、次は殺した相手から『助けてくれ!』なんて。本当にたまったもんじゃねえよ!」


 毎晩、音を鳴らしていた? 私が?


「ということはお前は同じマンションの住人なのか?」


「ああ、そうだよ! 俺の右隣がお前の部屋だ!」


 私は隣人に殺されたというのか。しかし、夜中に音を立てた覚えはない。


「信じてもらえないと思うが、私は夜中に音を立てた覚えはない。歩くときにも気を付けていたぐらいだ」


「嘘つくな!」


 ドンッ!


「もう俺は我慢できなかったんだ! 管理会社に問い合わせしても対応しないし、直接部屋に行ってもお前は居留守するし!」


 居留守などした覚えはない。この男は全てを勘違いしている。自分の嘘に染まりきってしまっている。


「では、お前は私をどうやって殺したんだ?」


 まだ掘り下げてやる。


「死に際? お前が帰ってくる前に、俺は部屋にしのびこんで、真っ暗にしてからクローゼットの中に隠れてたんだ。そしたら、明かりが点いて鍵が開く音がした。それから、お前は呑気に飯食ったり、風呂に入ったりして、布団で眠った。完全に眠った様子を見て、包丁で首を掻っ切った」


 私が家に帰ってから、男はずっと私の部屋に隠れていた。そんな馬鹿なことがあるか……。


 私は話を反芻はんすうした。


 おかしい。


 そう、おかしいのだ。


 なぜ、私が鍵を開ける前に、室内灯が点いた? 私が部屋に入ってないと明かりは点かないはずだ。そう鍵を開けるに。

 男の気が動転して、記憶が混濁こんだくしているのか?


「お、おい! 私が鍵を開ける前に、明かりが点いたと言わなかったか?」


 私は嫌な予感がして、慌てて聞いた。


「ああ、そうだ。あ? おかしいな……」


「だろ? お前は記憶がぐちゃぐちゃになっているんだよ」


「うっせえな! 細かいことなんかいいんだよ! とりあえず、黙ってろ!」


 ドンッ!


 また鈍い音が響いた。

 やはり男は気が狂っているのだ。私は夜中に音は立ててないし、死んでなどいないのだ。


 早くここから出ないと。一体いつ出られるのだろうか。

 

 ……何だか眠くなってきた。静かに眠ろう。


 私は、静かに眠ろうとした。

 その時天井ではない、私のから「ドンッ! ドンッ! ドンッ!」と音がした。


 そして、男が、


「ああ、もう! うるさい!」


 と言った。


 ドンッ!


 また天井で音が響いた。

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箱詰メ。 千島令法 @RyobuChijima

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