『聖地』

19

『聖地』

「もしもし?地元の方ですか?」

旅の人が俺に声をかけてくる。週に一度はあることなので、いい加減飽きてきた。

「ああ、そうだよ」

漁に使う網を手入れしながら生返事したが、自分にとっては日常でも相手にとってはそうではない。考え直して顔を声の方へ向けた。大きなバックパックを背負った男性が立っている。歩いて旅をしてきたのだろう。ぼろぼろの靴が印象的だ。

「その、『聖地』というのはあそこに見えるものでしょうか?」

海の先を指さしながら言う。もうこの質問を受けるのは何度目だろう。いつものように私は言った。

「ああ、そうだよ」


『聖地』。それは海上にそびえ立つ建築物だ。かつて、人間の文明が絶頂期にあった頃に建てられたものだという。この辺りで生まれ育った俺からしてみれば見慣れたもので、ただの風景の一部に過ぎないものだ。しかしここ最近、『聖地』を見るためにここまでやってくる旅人が増えている。なんでも、内陸の方で文明時代の印刷物が発見されたそうで、アレを『聖地』と呼んでいたことが書かれていたらしい。海沿いの片田舎では詳しい情報は回ってこないので知らなかったが、内陸の街の間では発見された印刷物の話題で持ちきりなのだという。


 旅人はバックパックから木札とインクを取り出し、『聖地』の絵を描いている。これまで来た旅人たちは眺めるだけで去って行ったので、珍しい。

「あんたは他の旅人とは違うんだな」

なんとなく気になって話しかけると、旅人は絵を描きながら

「よくそう言われます。私は文明時代について研究しているのです」

と答えた。なるほど、学者先生なのか。

「ふうん、なるほどね。だったら、なんでアレが『聖地』と呼ばれていたのかも知っているのか?」

「いやぁ、詳しくはわからないんですがね。文明時代の聖地は宗教的な象徴の地を指した言葉です。で、どうも年二回、夏と冬に『聖地』で祭りをしていたらしいのです。なので、何かの宗教的な象徴だったと考えられています。確かに、暮らしたりするには不自然な形の建築物ですね。実際に見て実感しましたが……」

そういうとまた黙々と絵を描き続ける。俺も網の手入れを再開した。


 しばらくして絵を描き上げたのだろう。旅人はバックパックに荷物を詰め込み、立ち上がった。

「私はこれから『聖地』をもう少し近くで見られる場所に行ってみるつもりです。どこかご存じありませんか?」

「いいや、知らないな。でもここに来る人たちは皆、海岸沿いに『聖地』を見ながら歩いて行くよ」

「そうですか。ちょっと探してみます。ありがとうございました」

そう言って旅人は去って行った。

 俺も網の手入れがすっかり終わった。海の向こうを眺めると、そこには『聖地』などと呼ばれる前からずっと同じ姿でたたずむ、逆三角形を二つ繋げた奇妙な建築物があった。

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『聖地』 19 @Karium

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