第5話



 望のマンションを出た後で、俺はもう1度、土御門の爺さんに連絡を取り、望の部屋の後始末を頼んだ。こういう事は、向こうの得意分野だ。爺さんは快く、承知してくれた。


 俺が五反田の美鈴と美登里のマンションに戻ってきた時には、日も西に傾き、秋の空を茜色に染め始めていた。時折り、吹き過ぎる乾いた風が、季節を感じさせる。

 俺が暮れていく空を何気なく眺めていると、


!」


と、声を上げ、駆け寄ってくる女の子の姿があった。瑞樹みずきだった。俺を『しーちゃん』と呼ぶのは瑞樹だけだ。しずくの『し』で『しーちゃん』だ。

 瑞樹は綺麗な長い黒髪を後ろで1つに纏め、すみれ色の7分丈のシャツにジーンズを穿いていた。足元は白いスニーカー。活動的な服装が似合う、元気溌剌な娘だ。

 瑞樹は俺の従妹――親父の妹の娘――で7年前に理由わけあって、両親が他界したため、他に身寄りのなかった瑞樹を俺が引き取った。現在、高校2年生。


「瑞樹、何でここに?」

「何でじゃないよ。はい、これ」


と、瑞樹は抱きかかえるように持っていた、紫色の刀袋を俺に手渡した。若い娘がこんな物騒な代物を持って街をうろついていたら、警官に呼び止められるだろうが、そんな心配は無用だ。たとえ人目に触れようとも、意識出来ないように、刀そのものと刀袋にも細工が施してある。つまり、これを見ても、し、のだ。


「お、サンキュ」

「だめじゃない、しーちゃん。運ぶの、環さんには辛いんだから」

「分かっちゃいたんだが、何せ、急な話でな。ああ、それで瑞樹が代わりに?」


 俺は刀袋を受け取りながら、瑞樹が来た理由を聞いた。


「学校から帰ったら、ちょうど、環さんが出かけようとしててね。話を聞いて、あたしが来たってわけ」

「そうか。世話を掛けるな」


 俺は感謝の意を込めて、瑞樹の頭を撫でてやった。瑞樹は嬉しそうに、えへへと微笑んだ。こんなことで喜ぶあたり、可愛い奴だ。


「まあ、が要るってのも分かるけど。……片付きそう?」


 瑞樹はマンションを眺め、そう聞いてきた。見つめているのは美鈴の部屋だ。瑞樹も、この手の方面に才が有る。そのせいで、彼女にとって、悲劇を引き起こしたこともある。だから俺としては、あまり、この世界に巻き込みたくはないんだがな。


「ああ。もう、終わるさ」


 俺は頷いて見せた。



 俺が部屋に着くと、中では2人が口論をしていた。どちらかと言えば、美登里が美鈴を問い詰めているといった感じだった。2人の性格を鑑みれば、自然、そうなるだろう。

 2人は俺の存在に全く気付かず、口論を続ける。


「何よ、あの怪しいやつは⁉ 難癖付けて、お金を取るつもりじゃないの⁉」

「難癖だなんて……」


 台詞を聞けば、口論はつい先ほど、始まったばかりのようだ。議題は俺のようだ。


「片付いたとか何とか、適当なこと言って、お金貰って、どっか行っちゃうに決まってんのよ、あんなやつ!」

「草薙さんはそんな事……」


 美鈴は、しどろもどろになりながらも、俺を擁護しようとしてくれていた。苦手な姉を相手に、ありがたい話だ。


「ないって言うの⁉ あいつ、200万貰うって言ってんのよ⁉」

「えっ……?」

「あんたが払いなさいよ! あんたが連れてきたんだからっ! あたしは知りませんからね!」


 金銭が絡んだからか、美登里は妹にすべてを押し付けて、知らぬ顔を決め込む肚だ。美鈴は俯いて、黙り込んだ。部屋の雰囲気がズシリと重くなったようだった。


「大体、ここにだって、、変な厄介事を持ち込まないでよねっ!」


 美登里が吐き捨てるように、そう言った。実の妹に向かって言う台詞ではなかった。

 空気が、ギリリと軋む。美鈴は俯いたままだった。今までもこの大人しい妹は、そうやって耐えてきたのだろう。


……?」


 美鈴はぽつりと、美登里のセリフを繰り返した。とても静かな口調であった。それだけに、身も凍るような響きがある。


「何よ? 文句あるの? あんたなんか、いつも自分独りじゃ、何も出来ないじゃない!」

「姉さんは……いつも、そう言うわ。あたしがんだって。そう言っていつも、あたしが持ってる物、全部取っちゃうのよ」


 美鈴が震える声で、そう呟いた。これまでの数多の思いが詰まった声で。


「住まわせてやってる……って? 冗談じゃないわ! このマンションだって、頭金から毎月の返済まで、あたしが払ってるんじゃないっ!」


 堪え切れずに、美鈴は叫んだ。その全身は怒りに震えていた。


「望だって……。望だって、ただ、あたしから取り上げたかっただけじゃないっ……! 姉さんはっ……」


 そこまでだ――。


「そこまでにしとけ、美鈴さん」


 俺は美鈴に声をかけた。

 2人はぎょっとした顔で俺を見た。2人は俺が部屋にいたことに、今まで全く気付かなかったのだ。理屈は刀袋と同じ。気配を断っていた俺を、2人が認識出来なかっただけだ。


「あんた、いつ入って来たのっ⁉」

「草薙さん……」

「あんたはもう半分以上、向こう側に足を突っ込んじまってるんだ。それ以上は、ぞ」


 俺は美登里の詰問を無視して、美鈴に話しかけた。ここで美鈴が踏みとどまれるかどうか――なのだ。


「でも、あたしは……」

「望さんにゃ悪いが、今なら、に出来る。まだ、何とかなるんだよ」


 俺は辛抱強く、美鈴に語る。


「望……。あたしは望を……」


 美鈴は望に仕出かしたことを思い出したようだ。頭を抱えるようにして、美鈴はうずくまった。見開いた瞳から、涙が零れ落ちる。


「あたしは望を……殺……し……て」

「望? 美鈴、あんた、望に何かしたの?」


 美登里が美鈴に問いかけた。自分が捨てた男でも、他の女と何かあるかと思うと、惜しくなるものらしい。


「あんたは黙っててくれ!」

っ⁉」


 俺の制止を無視し、なんと美登里は、この期に及んで、望の所有権を主張し始めたのだ。こんな時に、この姉は全く、なんてこと言いやがるんだ。


……!」


 血を吐くような告白とともに、美鈴の身体が見る間に膨れ上がり、先だっての鬼へと変わってゆく。怨嗟に染まった眼は、美登里に向けられていた。鬼は咆哮した。俺には、その声は心なしか、悲しく響いた。まるで、泣いているようだった。

 やっぱり、怨んでるんだよな。

 だが、こうなっちゃ、仕方がない。鬼は美登里に掴みかかろうとしていたのだ。

 もう、これ以上、美鈴には殺させない。


「前鬼! 後鬼!」


 俺の掛け声に応え、2体の仁王――護鬼――が現れる。現れるや否や、鬼の両腕を左右から捕り押さえた。鬼は唸り、もがく。が、1体ならともかくも、2体の護鬼に捕らえられたのだ。たとえ鬼であろうと、振りほどけるものではなかった。


、美鈴さん。もう、こうするしか、あんたを戻せねえ」


 俺はそう言って、抜き放った一刀を、鬼の鳩尾に深々と突き立てていた。鬼の背から、血に塗れた刀身が突き抜けた。ビクン、ビクンと鬼の身体が痙攣する。鬼の全身から急速に力が抜けていくのを、俺は白刃を通して感じた。


 これは俺の家に〝〟として伝わる刀だ。もとは八岐大蛇ヤマタノオロチの腹から出てきた、あの〝〟だという。真偽のほどは判らないが、戦国時代だかに、直刀の剣では目立ち過ぎると、現在の日本刀の形に打ち直させた――という話だ。これもその真偽は判らない。しかし、この草薙は間違いなく〝おにり〟――鬼を殺せる刀――であり、あらゆる霊気を喰らう刀である。

 ただし――。

 よく漫画やアニメのファンタジーにあるように、邪気だけを切って、人は傷つけない――などという、便利な代物ではない。。これは、人を切ればもちろん、殺すことになる刀だ。


 鬼は美鈴に戻りつつあった。俺は護鬼に命じ、美鈴を横たえさせた。美鈴が力なく、瞳を開けた。俺は美鈴の傍に屈みこんだ。美鈴の背を中心に、血が一面に広がってゆく。


「草薙……さん……」

「すまん。俺にはこれしか、美鈴さんを戻せねえんだ」


 美鈴を殺す他に、元に戻す方法が俺にはない。

 鬼に覚えた違和感。あの鬼は生霊だった。望のマンションで写真を見て、望を成仏させて、確信した鬼の正体。美鈴の生霊。

 美鈴が生きている限り、そして、この姉と暮らす限り、何度でも現れる。


「ううん。……ごめん……ね。そんな泣きそうな顔……させて」


 俺の頬に伸ばす美鈴の手を、俺はそっと握った。


「そんな顔、してるか?」

「うん……」


 美鈴が微笑む。儚げな微笑だった。


「草薙さん……やさしいね」

「そうか?」


 美鈴の青白い顔から、さらに血の気が引いていく。


「もっと前に……草薙さんに・・・…会えて……た……ら……」


 会えてたら――。

 美鈴は何と続ける気だったのか。そこで、美鈴は逝った。

 俺は握った手をそっと置いた。


「死ん……だの?」


 美登里がおずおずと聞いてきた。


「ああ」


 俺は立ち上がり、美鈴を見下ろした。その顔は、安らかで。


「あとは、あんたが弔ってやりな」


 俺は一刀を鞘に収め、玄関に向かいながら、美登里にそう言った。


「あたしが⁉ 嫌よ。なんで、あたしが!」


 俺は振り返って美登里を見た。不思議な生き物を見ている気になった。


「妹だろう?」

「はっ! あたしを殺そうとしたやつなのよ⁉」


 美登里が吐き捨てるように言う。あんたは姉だろうに。


「どうやら本当の化物ばけもんは、あんたらしいな」


 玄関のドアを開けながら、俺は言った。


「俺は美鈴を元に戻した。だけどな、鬼をはらった――とは、言ってないぜ?」


 ドアが閉じる寸前、背後から、美登里の息を呑む気配が伝わったが、俺は振り向きもしなかった。


「ひっ……!」


 掠れた声を、スチール製のドアが冷たく遮った。



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