第22話 保護

 車中で玲奈は一切、和那と目を合わせることがなかった。


和那は時折、傍らの玲奈を見つめていた。


中村警部はそのぎこちないやり取りの2人をルームミラー越しに見て尋ねた。


「君たちはどういった関係なんだい?姉妹、ではなさそうだね?」


中村の問いかけに和那は口を開いた。


「はい、私たちは遠い親戚です」


あくまでも仮の関係に徹する。


玲奈は今にも扉を開けて逃げ出そうとするくらい、扉に接近している。


玲奈の腕の紫色の痣が痛々しい。


和那は思わず、目を細めた。


「遠い親戚か。玲奈君はお母さんはどこに住んでいるんだい?」


「……」


玲奈はだんまりを決め込んだ。


母の話はしたくないし、されたくもなかった。


この後の事情聴取がどれくらい時間のかかるものなのかわからないが、迎えを呼ばれる羽目になったら逃げ出してやる。


玲奈は拳にぐっと力を込めた。


「おっと。何かわけありだね」


玲奈の様子を察した中村はふんと鼻を鳴らす。

 

中村にとっては、このぎこちない2人の距離感が何となく寂しく思えた。


物理的なこの距離が心の距離を現していそうな雰囲気だった。


和那は車窓から見える風景に目を映した。


住宅街が次から次へと遠ざかっていく。


 しばしの沈黙を経て、大宮警察署の庁舎が視界に入ってきた。


と、ここで和那の携帯に通知が2件入った。


1つは美稀からのお礼ライン。そしてもう1つが総理からの着信だった。


和那は総理だけには全てを伝えるラインを送っていた。


玲奈という少女と遭遇したこと。その少女にお金を盗られたこと。プロボクサー殺害の目撃者だった玲奈と一緒に警察署に向かい、事情聴取をすること。 


パトカーから降りたら連絡をしなければならないな。


やがて、車は警察署出入口前に停車した。


「着きました」


安藤が降車を促す。


玲奈はそそくさと扉を開けて降りてしまった。


和那も近くの扉からパトカーを降りる。


一定の距離を保った状態で、2人はそのまま出入口へと歩いていった。


「ちょうど受付終了の時間だけど、まだ誰か来庁者がいるね」


中村は怪訝そうな顔をした。


視線の先にすぐ正面受付が広がっており、奥が事務職員の受付スペース。免許証関連や道路使用許可を交付する事務関連の受付スペースとなっている。


その手前に2人の柄の悪そうな30代くらいの男女が喚き散らしているのが聞こえた。


数人の事務員らしき職員たちが困惑した表情で2人を宥めている。


 和那は品の無い行動が嫌いだった。


決して口に出すタイプではないが、心の底では毛嫌いしていた。


それが目の前にいる。


「だーかーらー何回も言ってるでしょ。ここ最近ずっと帰ってこねえんだからよお」


男のドスの利いた声が響き渡る。


それを聞いてか突如、玲奈が目を見開いて硬直した。


「アンタらの定時なんて知らねえんだよ。お前ら税金もらってんだからうちのガキ探すのが仕事だろうがこらあ」


「で、ですからお嬢さんが家出されただけかもしれないですし、犯罪に巻き込まれているとは言えませんよね?ま、まだ何とも言えませんよね?今日のところはお引き取りください」


「ロスト何とか現象で行方不明になってんじゃねえのか?犯罪だろ?捜せよ早くよ」


受付にいる数人の職員はあたふたとしており、何度も何度も頭を下げて帰宅を促している。


さらに追い打ちをかけるようにして、連れの女性も机をバシバシと叩いている。


そこへ、何気なく出入口に視線を向けた男が和那たちを発見した。


「あ、おい」


男が女の肩を叩き、女がこちらを振り返る。


女もまた大口を開ける。


「玲奈」


女が玲奈の名前を呼んだ。


玲奈はすぐさま中村の後ろに身を隠す。


2人の男女がニヘラニヘラと目も口も細めた邪悪な笑みを浮かべる。

 

玲奈は冷汗をだらだらとかきながら、震える手で中村の足を掴む。


「おい、玲奈」


女が中村と安藤の前に立ちはだかる。


さすがに安藤の見てくれを見たうえで、上から行くことはしないようだが、オラついた態度は変わらずであった。


「てめえどこ行ってたんだよこらあ」


中村をどかして玲奈に手を伸ばす。


と、安藤が仲裁に入る。


「おい、ここは警察署だぞ。手荒な真似するんじゃねえ」


「ああん?てめえ何しやがんだこら?」


「うるせえ。それよりもアンタたちはこの子の知り合いか?」


「知り合いも何も、親だよ」


「親?」


ぎょっとした表情で安藤と中村が顔を合わせる。


和那もムッとした表情を浮かべる。まさかこの品の無い2人が玲奈の両親だったなんて。


「てめえ今度は何やらかしたんだ?おおん?」


男が中腰になって玲奈に噛みついて来た。


玲奈はビクついて何の反論もできなかった。


「違う。とある事件の目撃者になったからこれから目撃証言を取りたいんだ」


中村が口を開く。


「はあ?目撃者?」


「そういうことだ。少し時間をもらうけどよろしいかな?」


「よろしくねえよ。さっさと連れて帰りてえんだよ」


男が突っかかる。


中村と安藤が相対して2人の男女を見つめる。


「おい玲奈、そんなの拒否しな。面倒くせえ。あんたを捜す気もさらさらない連中のために、あんたがしてやることなんざねえだろ?」


女が煙草に火をつける。


「おい、ここは禁煙だぞこら」


安藤が煙草を奪い取る。


女は舌打ちをする。


「いちいちうるせえなあ。おい玲奈。拒否してとっとと帰るぞ。こっちは心配して夜も眠れなかったんだ」


男は玲奈を見つめてニヤリと笑う。


玲奈は和那の背後に回ってぶるぶると震えている。


「姉ちゃん、うちの娘を返してくれや。なあ?」


女が和那に詰め寄る。


「玲奈ちゃんがこんなに嫌がってるじゃないですか?あなたたちですか?玲奈ちゃんの体をこんなに傷だらけにさせたのは?」


「ああん?てめえ何適当なこと抜かしてやがるんだ?」


女がすごい形相で和那の胸倉をつかもうとした。


「そしたら親御さんたち、その子の体中の傷についてあなたたちに話をお聞かせ願いたいんだが、同席してくれるかね?」


中村も毅然とした態度で2人を見つめる。


女は和那を突き飛ばす。


今度は男が中村に詰め寄ろうとした。


「ああん?てめえふざけたこと」


「いいよ、もう帰るよ。つかえねえ警察ども。死ね」


女はそうヒステリックに叫ぶと、最後は舌打ちして出入口の自動扉を抜けていった。


男も荒れ狂いながら後を追う。


しーんと静まり返った警察署内。


玲奈はまだぶるぶると震えながら、和那の洋服の裾にまとわりつく。


「ありがとう、和那さん。機転の利いたことを言ってくれて助かったよ」


「いえ、こちらこそありがとうございます」


ペコリと頭を下げる和那。


 4人は2階の応接室に通され、その部屋で事情聴取を取ることになった。


 和那は別室に通されてパイプ椅子に腰かけ、美稀にラインを返していた。


「こちらこそ今日は楽しかったです。ありがとうございます。また遊んでください」と。


それにしても玲奈の変貌ぶりには驚かされた。


おそらくあの両親のせいなのだろう。


日常的にあの2人は玲奈に暴力を振るっていて、それで拒絶反応に似た怯えを見せていたのだろう。


品のない人間はこれだから嫌いだ。


と、総理から着信が再び掛かってきた。


和那が電話に出ると、息を切らした様子の総理の声が電話越しに漏れてきた。


「おい、いろいろと大丈夫か。今、警察署の前だ」


「え、総理さん。わざわざ来てくださったんですか。申し訳ございません」


「さすがに心配するだろ。今、どこにいるんだ?金を盗んだ奴も一緒か?」


「今、2階の刑事課の応接室にいます。私は別室で待機していて、玲奈ちゃんは今目撃証言の事情聴取を受けています」


「わかった。今からそっちに行く」


「あの、総理さん」


和那は様子を窺うように名前を呼んだ。


「何だ?」


「その、玲奈ちゃんを怒らないでくださいね」


「は?何を言ってんだ?」


「どうやらあの子にはあの子なりの事情があったみたいなんです。それを全てお話しますので、それを踏まえた上で、怒らないで欲しいんです」


「まあ、よくわからんが、ひとまず合流する」


総理がプツッと通話を切った。




「なるほど」


和那のいる応接室に合流した総理は、玲奈との遭遇からここまでについての話を全て確認し終えてつぶやいた。


「それは確実に家庭内暴力だよな。児童相談所に通報するレベルの話だ」


総理は言った。


「あの子自身は良い子だと思いますので」


「アホたれ良い子なわけあるか。良い子が、助けてもらった人ん家から10万円とブレスレット盗むか」


「いえ、あの子は根が良い子だと思うんです」


珍しく自己主張をする和那。


和那の目には確固たる意志がみなぎっていた。


「ただ、あの子はああいった方々が親だったために、愛されることも知らなければ、勉強はおろか常識も教わっていないだけなんです。被害者なんです」


総理は黙ったまま、和那を見つめる。


「そんな中で愛する人をホタルイカに殺害されてしまったんです。もう信じられるものが何もない状態なんです。自分1人で生きていくしかないと思ったはずです。それで私まで手を放してしまったら、たぶんもっと路頭に迷ってしまうと思うんです」


「そうかもしれないけど、助けるのはお前じゃなきゃいけないのか?児相ではだめなのか?」


「たぶんダメだと思います。玲奈ちゃんは公的機関もあまり信用していないと思います。初回の通報だとまた実家に連れ戻されて経過観察になるのがオチじゃないでしょうか。結局また実家から逃げて終わり、もしくは逃げることもできずにあの両親に殺されてしまうんじゃないでしょうか」


和那もふるふると右手を震わせていた。


総理は何を信じればよいのかわからなかった。


聞いた話だけだが、そんな相手を信用する和那もどうかと思うし、そんな恐ろしい両親の元に帰すのも得策と思えなかった。


和那を信じて、玲奈という奴も信じて、それで支えることの方が正解なのか。


「玲奈という子を守る必要があるのはわかるが、俺は和那がそれによって傷つくのもどうかと思っているんだ。結局、奴が反省もせずに成長もできずに、また盗みを繰り返したら?そのシナリオが皆損していて一番嫌なんだ」


「そうはさせません」


和那は強く言い放った。


「その自信の根拠は?」


「ありません」


「ないのかよ」


「でも総理さん、一度あの子の目を良く見て判断していただきたいんです。あの子の根っこの部分が本当にダメなのかを。それに」


「それに?」


「私、嬉しかったんです。兄妹がいなかったからまるで妹ができたみたいで。私もあの子と全く同じ境遇とは思えないですが、同じように途方に暮れていたんです。あの子も私と同じ独りぼっちなんです。だから、あの子を心の底から突き放せなくて」


和那の心からの訴えに総理は言葉を失った。


自分とその玲奈という少女を重ね合わせていたということか。


家族、か。総理は姉と両親の笑顔を思い浮かべていた。


「まあそこまで言うならそうなんだろうな」


総理は力強く頷いた。


和那の複雑そうな表情がすっと消えよせ、ようやく柔らかい笑顔を見せてくれた。







それから1時間ほど続いた目撃証言も終わり、玲奈と中村が応接室に現れた。


赤髪でぶすっとした表情の痩せた少女だった。


確かに腕は痣だらけで、とても正常な家庭環境とは言えないものだった。


「お待たせ、和那さん。今、終了しました。えっと、こちらの彼は?」


「はい、私の友人です」


総理は玲奈を見つめたままだったが、軽く会釈した。


「ご友人か。私は刑事課の中村です。和那君からは事情を聞いていると思うが、武蔵大宮のプロボクサー殺人事件の被害者と交際していたこの玲奈君を、保護してくれていたのが和那君でね。ご両親もたまたま別件でこちらの警察署に居て先程鉢合わせてしまったんだが、ちょっとこのままご両親のところに帰すのはちょっと問題があってね。一度、遠い親戚である和那君に玲奈君を預かってもらうことにしたい」


「いや、それは……」


言いかけた総理の腕を和那が強く引っ張った。


「言ってないんです、総理さん」


「え?」


総理は仰天した。


まさか、現金とブレスレットを盗まれてしまったことを言ってないということか?


総理は口をつぐんだ。


果たして本当にそれで大丈夫なのか?


「今夜は和那君の家に泊まってもらって、翌朝に私から児相に連絡を」


「児童相談所への連絡は少々お待ちください」


和那が毅然とした態度で言った。


ここまで凛とした様子の和那を総理は初めて見た。


玲奈もまた、ピクリともせずうなだれている。


「何故だい?」


中村が怪訝そうな表情を見せる。


「私から児童相談所へは通報させてください」


和那が自分を右腕で指し示した。


「うーん、まあダメではないけども」


中村が困惑したような表情になる。頭をボリボリと掻き出した。


「それじゃあ行きましょうか。玲奈ちゃん」


和那は柔らかい表情で玲奈に近づく。


中腰になってにっこりと玲奈に微笑みかける和那。


玲奈は和那から顔を背ける。


総理はとても不安だった。


本当に果たして、これからこの2人はうまくやっていけるのだろうか。

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