第21話 事情聴取
翌日の夕刻、玲奈は武蔵大宮の南銀座通りの中にいた。
目的は勿論、ホタルイカに関する情報収集だ。
未だに警察官が捜査中であるとのことから、ホタルイカに関する目ぼしい情報が手に入るかもしれない。
玲奈は第一発見者という立場だ。
その立場を利用して、話せる部分は話して、ホタルイカに関する情報を逆に聞き出す。
玲奈は南銀座通りの買い物客を弾き飛ばしながら、南銀座通り奥のあの雑居ビルへ走った。
案の定、パトカーが2台狭い南銀座通りの出入口に停車していた。
玲奈は胸をワクワクさせながら雑居ビルへの道を曲がった。
いつもはひっそりとしているビルたちだったが、黄色い捜査テープが最奥のビル玄関前に張り巡らされ、周辺には警察官服がうろちょろと動き回っている。
と、玲奈が捜査テープを掻い潜って中に入ろうとした瞬間、背後から首根っこを掴まれた。
「こらー入っちゃダメでしょ」
黒髪の若い女性警官が玲奈をテープの前に引きずり出す。
玲奈がじたばたと抵抗するも、女性の力が強く、玲奈はいとも簡単に体を持ち上げられてしまった。
「あーあなたは」
女性警官が玲奈の顔を覗き込んで叫んだ。
玲奈もまた見覚えのある顔に驚いた。
「あなた、私が少年課の時によく補導してた玲奈ちゃんじゃない?」
「あ」
玲奈もまさかの再会に絶句した。
これでは中に入ることも許されないだろう。
この女性警官は優しいが、お説教はくどくど長い。
よく暴走行為をした時に補導されて叱られていた。
と、ここで騒ぎを聞きつけたのか、他の警官たちもぞろぞろとビルの出入口に集まってきてしまった。
色黒の河童顔の男性警官が鼻をずるずると吸いながら近寄ってきた。
「あ、か、片岡さん。ど、どうしたんすか」
不衛生極まりないこの男はしゃがれたような声で尋ねる。
男は目を細めて鼻をずるずると吸っている。
「あ、藤原さん。この子、現場に入ろうとしてて。しかもこの子、少年課だった時によく補導してた子なんですよ」
「あ、ああはあ。そ、それは、か、片岡さんの指導が、う、うまくいってなかったんだ」
何度もどもって粘着質の声を出すこの男は大変気持ち悪かった。
「そんな。私が全部面倒見てるわけじゃないんですよ。藤原さん、そんなことより早く中村警部を呼んできてください」
「は、はい」
藤原はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、ビルの中へと入って行く。
「ちゃんと学校行ってるの?」
「行ってねえよ」
玲奈が不貞腐れたように言い放つ。
「何でここに来たのよ?」
「…カ」
「ん?」
蚊の鳴くようなか細い声に片岡は耳をそばだてた。
「ホタルイカ、あいつを許せないから」
「何で?まさか」
片岡が話そうとした直後、ビルの中からおでこの広い中年の優しそうな刑事がのそのそと現れた。
「どうしたんだい?片岡君」
「中村警部。この子がビルに侵入しようとしていたんですが、どうやら今回の事件の関係者みたいなんです」
「何だって?」
中村警部と呼ばれたおでこの広い刑事が、目の前の小さな赤髪の少女を舐めるように見つめる。
「君は?」
「相内玲奈」
「年は?」
「15歳」
「何でここに来たんだい?」
「ホタルイカを殺すため」
その答えに周囲の警官がゾッと背筋に氷を入れられたような感覚に陥った。
しかし、何故か先程の藤原だけがニヘラニヘラと不気味な笑いを浮かべていた。
中村警部もまた目をぎらつかせて玲奈を見つめる。
「ほお。君は被害者の関係者だね」
「熊田の彼女だよ」
「それで敵討ちってことか」
玲奈はこくりと頷く。
中村警部は溜息をこぼす。
「ホタルイカのことを教えてよ」
玲奈が中村警部を見つめる。
藤原は相変わらずニヤニヤと笑っている。
「あのね、わかっていたらこっちが聞きたいんだよ」
中村警部が説教くさく話す。
が、藤原が遮ってきた。
「い、いやでも、け、警部。すこしお、教えても、い、いいんじゃないすか?」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ藤原君」
中村警部が溜息をこぼす。
「いずれにしても目撃証言は聞かせてもらわないと。そしたらちょっとそのパトカーで詳しく話を聞こう」
「代わりにホタルイカのこと教えてよ」
「だから警察も必要な情報を入手できていないんだよ。奴は消えるから」
「消える?」
「そう。とりあえずついてきたまえ。それくらいの話なら共有してあげよう。ホタルイカがいかに危険な殺人鬼なのかということを」
中村警部に手招きされ、玲奈はパトカーの方向に足を運んだ。
同日の昼、武蔵大宮駅の改札口前の豆の木にて美稀は私服姿で待ちぼうけしていた。
ヒラヒラのワイシャツの上にピンクのベストを羽織り、ギンガムチェックのベレー帽。濃紺のジーパンにヒールと、なかなかユニークな服装だ。
休日とあっていつもよりスーツ姿は少なく、代わりに休日を過ごす私服姿がチラホラと見られた。
美稀は和那と買い物して回ることになっていた。
駅周辺にデパートが集中する武蔵大宮は買い物に非常に向いていた。
約束の1時をやや過ぎて和那が到着した。
和那もまた高級そうな黒のレザー生地の長袖ワンピースと白の厚底ブーツといった、大人な格好であった。
和那は懸命に頭を下げる。
「申し訳ございません美稀ちゃん」
「大丈夫だよ和那ちゃん。そんなに頭下げないで」
恐縮しきりの2人であったが、その後買い物をして回る。
デパート内を中心に洋服、小物、時間を掛けて回る。
休日のためか、いつもよりも人通りが多い。若い世代、家族連れが休日に買い物を楽しんでいる様子だ。
「昔、8階建ての雑貨屋さんがあった時はもっと人通りが多かったんだけど、それが無くなってからはさっぱりだね」
タピオカドリンクを片手に美稀がつぶやく。
ビル出入口の待合スペースにて2人は腰かけて小休止している。
「そうなんですね」
「和那ちゃんってお笑いは好き?」
「はい、大好きですよ」
「じゃあお笑いのライブ観ようか」
美稀は和那の手を引いて劇場への道のりを案内する。
劇場の出入口でチケットを購入し、座席を選んで並んで腰掛ける。
開演すると、美稀は手を叩いて笑う。
和那も口に手を添えて上品に笑っている。
ひとしきり笑って、2人で劇場を後にする。
ネタを2人で思い出しながら語り、再び2人で笑い合った。
楽しい時が過ぎ去るのは早く、既に午後4時を回っていた。
「疲れたからどこか喫茶店でも行こうかあ」
「いいですね」
「和那ちゃんのオススメの場所ないの?」
「あーちょっと歩きますけど、それでよろしければ。フラココというお店なんですが、区役所の前にあります」
「えーいいよ。行こう行こう」
美稀が笑顔ではしゃぐ。
それを見て和那も嬉しそうに微笑む。
店内は暗めでシックな雰囲気を醸し出しており、木材のテーブルとイスが10セットほど並んでいる。
カウンター席も10席ほどあり、カウンター奥には夜用のワインボトルが大量に収納された棚がある。
「オシャレだねーなんか80年代アメリカ映画に出てきそう」
「落ち着いた雰囲気が私、すごく気に入ってまして。たまに1人で考え事したり読書したい時に立ち寄ったりしています」
奥の座席に荷物を置き、どっかりと席に腰かける。
注文のホットコーヒーとチーズケーキ、ショートケーキを嗜みながら2人でゆっくりとした時間を過ごす。
ふとお互いの恋愛の話になった。
「美稀ちゃんはモテますね」
和那はぼそりとつぶやく。
「そんなことないよー和那ちゃんの方が絶対モテるじゃん」
「いえ、それは絶対にないことが今日わかりました。美稀ちゃんはいろいろ遊ぶ場所も詳しいですし、男の子のお友達も多いですし」
「もしかして総理と大聖のこと?あの2人はほら幼馴染だからノーカウントでしょ」
言いながら美稀の目が泳いだ。
「本当ですか?」
和那は嬉々とした表情を見せた。美稀は悟った。
和那は総理か大聖のどちらかが好きなのかもしれない。
まさか、私と被っていないよな。
被っていたらさすがに勝ち目がない。
和那もまた同様のことを思案していた。
美稀と気になる人が被っていたらどうしよう。
ノーカウントとは言っていたが、美稀の目が泳いでいたことは見逃さなかった。
「ほ、本当だよ」
美稀は胸を張って言う。
「もしかして和那ちゃんは2人のどっちかが気になってたりするの?」
「え?あ?いえ、そんなことは。お2人ともとても良い方々ですからね。私なんかでは手が届かないのです」
和那が顔を真っ赤にして否定する。
「そうだよね。和那ちゃんの位置が高過ぎて、底辺のあの2人には手が届かないよね」
「そんなんじゃないです。私が底辺過ぎてあのお2人に手が届かないんです」
「ねえやめて。和那ちゃんが底辺だったら、私なんて底抜けしちゃうから」
2人の不毛なやり取りはしばらく続いた。
結局2人とも決定打は出せぬまま、お互いの心は秘めた状態でお開きにすることとなった。
美稀も和那も心はモヤモヤとした状態であった。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
お会計を支払い、武蔵大宮駅を歩いて目指す。
夕刻の訪れを象徴するように、空が橙色と赤色の混ざりあった色を見せている。
駅のロータリーに到着するや、南銀座通りに複数のパトカーが停車しているのが見えた。
「あーあそこは例のプロボクサーの殺人事件の現場だよね」
美稀がぼそりとつぶやく。
和那が何気なく目をやったその瞬間、パトカーの合間を縫って現れた赤い髪の少女が目に入ってきた。
「玲奈ちゃん」
和那は吸い寄せられるようにして南銀座通りに走り出した。
「あ、待って和那ちゃん」
遥か後ろから美稀の声が覆いかぶさってくる。
しかし、和那の視線は赤髪の少女しかとらえていなかった。
南銀座通りの出入口に辿り着くや、人混みを縫って通りの中を進んでいく。
目の前にパトカーが接近しており、赤髪の少女の後ろ姿がはっきりと現れた。
赤髪の少女は黒いサングラスを掛けたやくざ風の正装した男と相対しており、和那は血の気が引く思いだった。
「玲奈ちゃん」
和那が絶望に打ちひしがれたような声を出す。
すると、玲奈はふっとこちらを振り返った。
立ち尽くす和那が目に入り、途端に玲奈は気まずそうな顔をして、唇をかんだ。
「ダメですよこんな危ないところにいちゃ」
「はなせ。はなして」
玲奈が暴れ出す。
と、やくざ風の正装をした背の高い男性が和那に近づく。
「嬢ちゃん、この子の知り合いかい?」
「やくざの方とお話しすることはございません」
和那が玲奈を抱き寄せて頭を撫でる。
玲奈は和那の意外な行動に目を見開いた。
男は驚愕した。
「お、俺はやくざじゃねえぞ」
「いえ、そんなこと信用できません。行きましょう玲奈ちゃん」
「どうしたんだ?安藤」
突如、おでこの広い男性がパトカーの合間を縫って現れた。
ちょうど美稀が和那に追いつき、息を整えている。
「ど、どうしたの急に?和那ちゃん」
やくざ風の男はおでこの広い男性に事情を説明している。
よく見ると、おでこの広い男性とやくざ風の男は同じ正装をしていた。
それが警察官の服装だと和那が理解するまでに時間が掛かった。
と、おでこの広い男性が理解したのか深くうなずいた。
この男性はだいぶ人当たりが良く優しかった。
「なるほど、彼はこう見えて警察官なんだよ」
「え」
和那と美稀が目を点にした。
玲奈はぼーっとした表情のままだ。
やくざ風の男は顔を真っ赤にして反論する。
「あ、兄貴。こう見えてって失礼にもほどがあるじゃないっすか。俺はれっきとした警察官だぞ嬢ちゃんたち」
「そうでしたか。大変失礼しました」
和那がおそるおそる頭を下げて謝罪する。
だが、和那は変わらず玲奈を無理矢理抱きしめたままである。
あまり安藤のことを信用していない様子だ。
「もしかして、この間のプロボクサー殺人事件の捜査ですか?」
美稀が尋ねる。
その言葉にピクリと体を震わせる玲奈。
「ああ、そういうことだ。ホタルイカによる殺人事件があった雑居ビルがこの奥にあるんだ。それを捜査中にこの女の子がやってきて、第一発見者ということでパトカーで少しだけ事情を聴いていたんだけど、これからさらに署に来てもらって事情聴取をしようと思ってね。浦和区でも教育委員会の重役が爆死させられている。それはうちの大宮警察署の管轄外だけど、同じ手紙が現場に残されていてつながりがあることを確認している。この短期間でホタルイカの犠牲者が2人も出ているからね。事は一刻を争う事態なんだ」
おでこの広い刑事、中村警部が手に持ったバインダーのメモをめくって確認しながら説明する。
と、安藤と呼ばれたやくざ風の男は玲奈を指さす。
「お嬢ちゃん、何でそんなにホタルイカについて知りたいんだ?」
「気になるも何も」
玲奈は両目に涙を溜め込んだ。
「殺されたボクサーは私の彼氏だったんだから」
一同は息を呑んだ。
美稀はこのおでこの広い男性が突如目の奥に宿した何かを解放するような錯覚を覚えた。
先程までと違い、鬼気迫るような気迫を感じる。
「お姉さんもこの子の関係者なんだよね?ぜひ一緒に署まで来てもらえないか?」
にっこりと微笑むおでこの広い刑事。
和那と美稀は顔を見合わせる。
「美稀ちゃん、私は玲奈ちゃんと一緒に警察署まで行きます。美稀ちゃんはおかえりください。今日は本当に楽しかったです。また遊んでください」
えっと美稀は戸惑った表情を見せる。
和那はにっこりと微笑んでいる。
玲奈はというと心の中で恐ろしいほどにヒヤヒヤとしていた。
お金とブレスレットを盗んだことを、このまま警察に突き出されてしまうのではないかと。
玲奈は心底ヒヤヒヤしていたが、和那の表情を見るにつけ、玲奈に対する憎らしさというよりも見つかってホッとしたような表情であった。
「それじゃあ早速行こうか」
中村警部が手前のパトカーの助手席に乗車した。
運転席には安藤が乗り込む。
そして、玲奈と和那が一緒にパトカーの後部座席に乗り込んだ。
どこか不安そうな表情の玲奈と優しい表情の和那が、美稀からすると何となく対照的に見えた。
この赤い髪の少女は、和那とどんな関係なのだろうか?
それまでの様子をポカンとした表情で美稀が見つめている。
そのままパトカーはバックして曲がり角で折り返し、駅前のロータリーを経てゆっくりと大宮警察署へと移動していった。
橙色の夕刻は通り過ぎ、いつの間にか濃紺の寒空に星が煌めき始めていた。
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