第10話 洋館の怪異③

交番のある十字路を左に曲がると、程なくして正面にノスタルジックな広々とした洋館が目の前に現れた。


立派な彫刻を施された大きな門、そしてその重厚な門の奥に、以前は実際に使用していたであろう円型の噴水。


その噴水を囲うように敷き詰められた石畳の通路。その通路の両側には若干伸びてきた雑草や草木が、時代風景に味を添えている。


「す、すごーい」


美稀が感嘆の声を上げる。


和那は大きな鍵を取り出して解錠し、門の奥へ2人を招き入れた。


美稀はすっと門をくぐって入場する。総理は入場前に、門の横にあった壁に埋め込まれたポストを発見した。


ポストの中をガサガサとまさぐってみたが、新たな手紙は入っていなかった。


 総理も続いて入場すると、和那が門を閉めて再び大きな鍵を差し込んでガッチリと閉めた。


「え?和那さん、ここに1人で住んでるの?」


美稀は興奮気味に尋ねる。美稀の目は感動でいっぱいだった。和那が鍵の束をスカートのポケットの中にしまいながら、丁寧に説明する。


「ええ、元々は私の父方の祖父母が住んでいたのですが、今現在は他界していまして、しばらく空き家になっていたんです。今年の夏、両親が仕事の都合で海外に行くことが決定したのですが、海外が嫌だと私がわがままを言いまして。それで、そのまま空き家となっていたこの祖父母の家をそのまま残してもらって、私だけ日本に残ったということです」


「へーえ、すごい。ご両親は今どこにいるの?」


「元々は愛知のマンションに住んでいたのですが、そのマンションは売却して、今はロサンゼルスに2人で移り住んで仕事をしています」


「すごいなあ。それでここをそのまま和那さんの自宅にしたってことか」


「はい、自宅とは言っても私には広すぎるというか。正直、情けないことに建物の全てを把握してないんですよね。屋根裏とかもあるらしいんですけど、よく知らないですし」


和那はどことなく悲しげに言った。どうも家族の話をする時は何となく悲しそうに話をする。


総理はそう感じていた。何かしら和那とその家族の間にわだかまりがあるのではないか。デリケートな話題なので深く突っ込むわけにもいかない。

 

和那に連れられて3人で洋館の建物の入り口まで歩を進める。


じめっとした空気が3人を襲う。


建物入り口の欧風な電灯がギラギラと鈍く光っているだけで、それ以外の電灯は全くなかった。


建物内はひっそりとしていることが伝わってきて、窓の奥に真っ赤なカーテンがだらしなくぶら下がっているのが見える。祖父母の代からある家なのであれば相当な年月を有しているのだろう、それと建物の不気味さがひしひしと伝わってきた。

 

和那は学生服のポケットから再び鍵の束を取り出して、これまた重厚そうな洋館の扉に差し込んだ。


ギギーと錆びたような音を発して口を開く扉。薄暗い館内には廊下中を赤いじゅうたんが駆け巡り、アンティークの品々が納められている棚がところどころに設置してある。


とても同じ日本とは思えない欧風な空間だった。


和那は廊下の奥まで進むと建物の電源スイッチと思しきものを捻った。


すると、天井からぶら下がった小さめのシャンデリアたちが綺麗に光り始めた。建物全体に命が植え付けられたかのように、空間に生気が芽生えた気がした。


うっすらとしか見えなかった調度品の品々がはっきりと映る。


「す、すごい」


美稀は思わず感嘆の声を漏らす。和那が玄関の前まで戻ってきて、総理たちに右手を指し示す。


「あ、リビングはこちらです。変な物だらけでごめんなさい」


扉を開けると、リビングルームにもヨーロッパ調の小物たちが所狭しと並んでいる。ウッド調のテーブルは簡素な作りだが、革ソファはふかふかで座り心地は抜群そうだ。


あまりこの空間には似つかわしくないが、壁掛けの大型テレビモニターや年季の入ったレコードプレーヤーなど置いてある物は年度がバラバラであった。


そして、広いリビングの奥にこれまたお洒落なカウンターとキッチンスペースがあり、これまたお洒落なケトルを片手に和那が右往左往していた。


どうやらお茶の準備をしてくれているようだ。

 

美稀と総理はソファにどっかりと腰かける。案の定、座り心地は抜群で、疲れ切った足腰をしっかりと包み込んでくれる。美稀は両手でソファの感触を笑顔で確かめていた。

 

やがて、和那が真っ白なティーカップ3つを載せたトレーを手に運んできてくれた。

 

3人はしばらく談笑しながら、ホット紅茶とお茶菓子をたしなむ。ゆったりとした時間を過ごした。


「ここに1人だと広すぎるな」


総理がぼそりとつぶやくと、和那は首肯した。


「はい、夜はトイレに行くだけでも怖くて一苦労です」


ややあって和那はソファを立ち、傍らの洋ダンスの引き出しからクリアファイルを取り出した。


そのクリアファイルには何枚かの水色の封筒が入っていた。テーブルに中身の便せん1枚1枚を丁寧に並べ、美稀と総理が覗き込んだ。


「これが、例の手紙です」


どの手紙も隅々までびっしりと真っ赤なマジックインキの文字が記されており、思わず後ずさりしてしまいそうなほど奇妙であった。


「うっ」


美稀が思わず息を漏らした。総理が目を向けると、真っ赤な文字は全て「愛してる」とびっしり書き込まれた手紙があった。総理は目を見開いた。


「この状態で実害がないだと」

総理は絶句した。捜査を拒否した警察に対して腹立たしさが宿る。


これは十分にストーカー行為と言えるものではないか。和那の精神的被害がどれだけ及んだのか、想像だにできない。


和那は困惑した表情で力なくうなずく。


「これはひどい」


美稀も直視するに耐え兼ねず、口元に手をやって絶句していた。


「これは正気の沙汰じゃない」


3人が奇妙な手紙の迫力に怖気を感じて言葉を失っていたその時、


どんどんどんどん。


美稀と和那が短い悲鳴を上げて両耳を懸命に塞いだ。突然、扉を力ずくで叩く破裂音が響いた。

 

総理も一瞬呆気に取られていたが、我に返るとすぐに玄関扉へと走った。

 

未だ破裂音が響く。

 

総理は構わず、重厚なその扉を蹴破らんばかりの勢いで押し開けた。


すると、押し開けられた扉が何かに衝突した。玄関の明かりに灯された、その全身黒ずくめの男。


顔までもが真っ黒いマスクで覆われ、目、鼻、口のみが確認できるのみだった。黒ずくめの男は突然の事態に目を見開いた。

 

そして、総理の姿を目の当たりにすると、途端に暗闇の中にそびえる門の方角へと逃げていった。


漆黒の闇に映える、漆黒の男の不気味さは言葉にならなかった。しかし、総理は怒りでその不気味さに打ち勝った。


「待ちやがれ」

 

総理は男の背中に向かって叫びながら後を追った。男は門を強引に開き、力の限り強く閉じた。


ガシャアン。


さすがに近隣住民にも聞こえるほどだった。


おかしい。総理は走りながら思った。この洋館を訪れた際にたしか和那が鍵を使用していたはずだ。

 

総理は門に手を掛けて開けようとしたその瞬間、目と鼻の先から車のエンジン音が暗闇に響き渡った。


門の手前の、これまた漆黒のセダン車の助手席がバタンと強く閉じたのを、総理は見逃さなかった。


「複数犯か?」


 総理が門をこじ開けた直後、車はライトもつけずに物凄い勢いで走り出した。総理はナンバープレートを確認しようとしたが、布で覆われていて確認することができなかった。総理は力なく立ち止まる。

 

やがて、その黒塗りのセダン車は十字路を曲がって姿を消してしまった。総理は息を整えながら、誰もいなくなってしまった住宅街の十字路をしばらく見つめていた。

 

洋館の中に戻ると、すっかり怯えた表情の美稀と和那がソファで縮こまっていた。特に精神的ショックが大きかったのか、和那は涙を流し、両手で拭っていた。


「すまん、逃がした」


総理は悔しそうな表情でこぼす。美稀も困惑した表情を浮かべる。


「犯人は2人以上。車は黒のセダン。覚えは無いか?和那」


和那は涙を拭いながら、首を横に振った。


「いえ、わからないです」


総理は立ち尽くしたまま、顎に手を当てて考えた。


これは果たしてストーカーなのか。ただ、先程感じた違和感。


この洋館の玄関扉を叩きに来るためには、あの施錠された門をこじ開けるか、飛び越えるかしなければこの洋館には辿り着けない。


身長170cmある総理ですら仰ぎ見るほどに背の高い門だ。上ったところで、下りるのも一苦労だ。それを考えると、犯人は日頃から出入りできる者でしかありえない。


「もしかして、身内か?」


和那は驚いた表情を浮かべる。涙を拭っていた手がピタリと止まる。


「門の鍵が開いていた。ということは、身内にしかできないはずだ」

「やめてください」


和那が珍しく力強く否定した。総理は驚いたが、謝罪した。


「すまん」

 

しーんと静まり返る室内。


アンティークの小物時計が時を刻む音だけが室内に響く。


時計の針は既に午後9時を指していた。横山家の連中はそろそろ息子の帰りが遅いことに対して、心配してそわそわし出す頃だろう。


ただ、このような状況で和那1人を置いて帰るというのも気が引ける。怯えてはいるが、まだ落ち着いている美稀に判断を委ねたいところだ。


「美稀」


総理が美稀に声を掛ける。美稀は顔を起こした。


総理は目で美稀に合図を送る。


時計。和那。順番に顎でしゃくり、美稀に判断を委ねる。


美稀はしばし考え込んでいたが、やがて意を決したようにうなずいた。

 

美稀は、隣の和那を優しく抱き起こした。


「和那さん、今日私たちをここに泊めさせてもらってもいい?」


美稀が優しく尋ねる。さすがに1人でこのまま家にいさせるのも酷な話だ。すると、驚いた和那がゆっくりと顔を起こした。


「え?」


美稀と和那が見つめ合う。美稀の目は優しかった。


「さすがにこんな状況で、和那さんを残して、私たちだけ帰るのは気が引けるからさ。大丈夫かな?」


美稀は首を傾げる。包み込まれるような優しい表情。和那が嬉しそうに笑顔を取り戻す。


「よろしいんですか?」

「ん?」

「美稀さんと総理さんがここに泊まっていってくださるんですか?」


嬉々とした表情の和那。今度は美稀が困惑の表情を隠せなかった。これはおそらく本心で言ってくれているのだろう。


「あ、もちろん和那さんが良ければ、の話だよ」


と、和那がテーブルに突っ伏して再び涙を流し始めた。テーブルがキイッと軋んだような音を立てる。


総理はここまで和那が情緒不安定になると思わなかった。


美稀もいよいよ困惑して、総理に助けを求める視線を送る。


「和那、俺らは泊まりたいんだ。このままお前だけを置いて帰れない」

「ありがとうございます」


テーブルに突っ伏したまま、和那は何故かしきりにお礼の言葉を述べていた。これには総理と美稀もぎょっとした。

 

和那にとっては至上の喜びであった。同じ学校の人が自分の家に泊まる。未だかつてない体験だった。


それをこの2人の口から聞けたことが本当にうれしかった。


「厄介になるのはこっちなんだからお礼なんて言わなくてもいいのに」


美稀は和那の頭を優しく撫でながら言った。


「いえ、ありがとうございます。私、初めてで」

「?」

「私、同じ学校の人を自分の家に呼んだことも、泊めたこともなかったので嬉しくて」


総理と美稀は顔を見合わせる。急に和那が泣き出した理由がわかり、安心した。そして、美稀は優しい笑顔を見せた。


「そうか、そういうことだったんだ。ありがとう、和那さん。私たちは今日から友達だから。だから、友達の和那さんが困っているのに放ってなんか置けないんだよ」

「友達」


和那は美稀の言葉に反応した。


和那はゆっくりと顔を上げて、美稀と総理を交互に見つめる。


涙の跡が残っているが、相変わらず可愛らしい顔立ちだ。しかし、どこか困惑しているような様子だ。和那は尋ねる。


「私をお2人の友達にしていただけるんですか?大丈夫なんですか?」


和那はきょとんとした表情を見せる。美稀はくすりと笑みをこぼして言う。


「書面とかで契約したら友達ってわけじゃないよ。友達なんてお互いがそう思った時点で友達なんだから」


和那は心を突き動かされた気がした。これが、友達。今までの人生の中でまともに友達と呼べる存在なんていなかった。でも、今はこの2人が友達でいてくれる。和那は満面の笑みを浮かべた。


それから総理と美稀はすぐさま自宅に電話を掛けた。

 

総理は姉の愛理に直接電話を掛けた。姉もまた深刻な心配性を患っていたので、案の定長々と質問責めにあってしまった。


「どこにいるの?夕飯は?明日の朝ご飯は?明日の学校は?明日はちゃんと帰ってくるの?」


「だから今日友達の家に泊まるだけだ。明日も学校に行くし、家にも帰る」


総理は強い口調で言う。


苛立ちを隠しきれず、貧乏ゆすりを繰り返す総理。それを見て美稀はニヤニヤと笑っている。もちろん家族ぐるみで長い付き合いなので、美稀もまた愛理をはじめ横山家の重度の心配性を理解していた。


「まあ、わかったよ。お母さんには伝えとく。ちゃんと明日帰ってくるのよ」


「はいはい、わかったよ」


総理は胃がムカムカするのを感じながら、強引に電話を切った。和那はやや怯えた表情であったが、美稀はおかしそうに笑っていた。

 

その後、軽めの夕食を3人で手早く作り、食事をして、片付け。順番に入浴してリビングルームで再びの談笑をした。気が付けば、時計は12時を指そうとしていた。

 

そろそろ寝室で寝る準備をしようということになり、和那は階段を上って総理と美稀を案内する。


2階も赤いじゅうたんが廊下中を走り回っている。部屋は18くらいあるだろうか。階段から両サイドに客室がそれぞれ9ずつある。


昔は全てが客室となっていたようで、ほぼ全ての部屋にアンティーク風の机と椅子、そしてホコリは微妙に残っているが、高級そうなベッドが置かれていた。このまま旅館経営もできるのではないかというくらいの規模だった。


和那と美稀は階段手前の和那の部屋で2人で寝ることにした。そして、総理はそのすぐ相向かいのベランダのある部屋で寝ることになった。

 

入浴後の談笑時間で女子トークでもしていのか、すっかりと意気投合した美稀と和那であった。


それに、いつまた犯人が邸内に侵入してくるとも限らない。女の子1人で寝るよりは安全だろう。もし何かあっても隣の部屋の総理がすぐに駆け付けることができる。

 

部屋に入った総理は、そのままふかふかのベッドに仰向けに身を投げ出す。そして、部屋の様子を観察した。


まるでさながら高級ホテルの一室に通されたかのようであった。ベランダも欧風な白いデッキが各個室に独立してこしらえてある。


壁には大きな中世ヨーロッパの絵画が掛けられており、小型だがお洒落なシャンデリア。そして、部屋の隅には造花の観葉植物が大きな壺におさまっている。


床にはこれまたお洒落そうな中東風のデザインのじゅうたん。


家庭用エアコンもしっかり完備している。2階の多くの部屋がほぼこれと似たような設備である。


和那の家族はどれだけ金持ちだったのか、もはや一介の高校生では想像すらできない。


総理は部屋の電気を落とし、ベランダ側の窓を開けた。外は冬の気配さえする寒さだった。思わずぶるっと体を震わす総理。


そして、何やらじいっと建物の端を見つめたまま思案していた。


しばらくして窓を開け放ったまま、ベッドに戻り、布団をすっぽりと頭から被った。

 

と、ここで総理はのそのそとベッドから起き上がると、何やら自室の扉の前に立ち、あれこれと確認を始めた。


そして、何事かを納得すると、すぐにまた布団を頭から丸被りにしてそのまま眠りについた。

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