第7話 はじまり

 いつものように総理と美稀、大聖の3人での登校。


しかし、心なしか美稀の元気があまりない様子だった。電車でも何事か考え込んでいるような、歩いていてもどことなく俯いているような。


総理は美稀の変化にいち早く気づいた。大聖の冗談に対する美稀の愛想笑いはいつものことだったが、愛想笑いをしてから一瞬ぼうっとすることが多い。これは長年の付き合いから察するに、美稀は今日元気がない。


武蔵大宮駅からの住宅街に差し掛かったタイミングで総理はつぶやいた。周囲には同じ高校の制服がチラホラと歩いている。


「今日は元気ないんだな」

美稀は心を見透かされてか、驚いた表情を総理に見せた。しかし、すぐに笑顔が咲いた。


「うーん、まあちょっとね」

「何だ?どうした美稀?悩み事か?」

大聖が無遠慮に美稀の顔を覗き込んだ。美稀が顔を赤く染める。

あまり自分のことを多く語りたがらない美稀だ。美稀に悩み。総理は1つだけ思い当たる節があった。


そう、目の前のこの男大聖。もしかしたら告白でもしようと試みているのだろうか。

総理はヒヤリとした。


美稀はこの沈黙を嫌った。


「いや、そんなんじゃないって」


美稀自身は話したい気持ちを抑えていた。


勿論、昨日の放課後に教室と保健室で見聞きしたこと全てだ。どうせ今日学校で説明もされるだろうし、自分は楠田と和田の件に関して深く理解していないので、自分の口から話すのも違うなという思いもあった。


「美稀が恋でもしたんじゃないのか」


総理は意地悪くつぶやく。すかさず美稀は総理の肩を引っぱたいた。美稀の無言の圧力が総理を襲う。


やはり図星だったか、総理は悲しくなった。


「違うよ。そんなわけないじゃん」


「マジか?それはビッグニュースだな。でも、美稀は外面は良いからモテるって聞くぜ」

「外面はって失礼だね」


美稀は頬を紅潮させる。怒りゆえかそれとも恋心ゆえなのか。総理は心の中で微笑んだ。こういう時の美稀が可愛らしいのだ。


「確かに美稀と田部井はモテるらしい」

総理も大聖の意見に同調する。美稀はすっかり機嫌を悪くしてそっぽを向いている。


「田部井も外面は良いからなあ。ただ、性格がわがままだしチャラいからなあ。でもまあ、人生楽でうらやましいぜ」


大聖もうんうんと強くうなずく。どうもこの天然丸出しの男は嫌味を言う技術に長けているようだ。空気を読まない発言も、大聖だから仕方ないといった感じで許される。


「大聖君、さっきからすごく失礼なんだけど何なんだろう?」

美稀の笑顔が不自然なくらい歪になった。怒りを笑顔で隠しているようだ。美稀が仲良しの人にしか見せない稀有な表情だ。


「いやいや、モテる人々は人生楽勝モードでうらやましいなあって話じゃないか」

大聖が性懲りもなくニヤニヤと笑う。大聖は引く気が一切ない様子だ。


「モテてーわあ」

美稀が溜息をこぼす。どうやら、美稀も少しは元気を取り戻してくれたようだ。何が原因かは結局わからないままではあるが。いずれにしても、そういう気分にさせないと、ようは重々しい空気ではなく話しやすい雰囲気にしないと、美稀はなかなか重い話を打ち明けてくれない。


基本的に美稀は人の話を聞いている方が向いているタイプの人間だ。

 

 校舎の昇降口で靴を履き替え、自分たちの教室へと足を運ぶ。ただし、今日の教室内もまた異様な空気を放っていた。それもそのはずで、またしても顔中が湿布まみれの男が静かに席についていたからだ。美稀はそれを見てビクついた。楠田だ。


「何だ?どうしたんだ?楠田の奴」


大聖がぼそりと総理に耳打ちした。総理も唖然とするしかなかった。


「和田、か?」

飯尾は負傷の具合からとても楠田に暴行を加えることはできないだろうし、授業終了後すぐに迎えに来た親の車で帰宅している。飯尾に楠田の暴行は不可能だろう。

 

 となると、それ以外で楠田に暴行を加えるとするならば、このクラス内では和田くらいのものだろう。その和田はまだ登校していない様子で、空席が寂しそうに主を待ち構えている。飯尾の席もまだ主を待ち構えていた。と、そこに宮葉と大槻、田部井の女子3人組が3人の元へ近寄ってきた。


「おはよう、何かやばいこと起きたらしいよ」

宮葉が開口一番、楠田のことを話し始める。美稀は知らないふりをして話をうかがう。


「和田君が楠田君を放課後の屋上に呼び出してボコボコにして病院送りにしたって」

「え?」


総理と大聖は血の気が引いていくのを感じた。

美稀も驚きのあまり言葉を失う。

大槻や田部井も我先にと喋り始める。


「飯尾君の件で何かあったんじゃないかな?でも、私はどうしても楠田君が飯尾君をボコボコにしたとは思えないんだよね」


「体格が違い過ぎるもんねーあの2人じゃ」

「だから和田君の単なる八つ当たりなんじゃないの?さすがに度が過ぎるよね」


大聖が慌てて尋ねる。

「おいおい、和田が楠田をボコったってのは本当かよ」

それに宮葉がうなずく。


「本当らしいよ。昨日の放課後に和田君と楠田君が校舎の階段を登っていくのを見てる人がいたみたいで」


「マジかよあの馬鹿」


大聖もさすがに絶句した。これは最低でも停学処分を免れないだろう。総理と大聖は思わず顔を見合わせる。和田は一度キレると手がつけられなくなることを2人は良く知っていた。おそらく何か癪に障ることがあって、和田が完全にキレてしまったのかもしれない。

 

 すると、飯尾と和田の席が空席の状態で始業のチャイムが鳴り響いた。そして、扉がガラッと忙しなく開いた。学級委員の松坂であった。にわかに緊張が走るクラス内。松坂も緊張感漂う表情で言った。


「皆、緊急朝礼が実施されることになった。体育館に集合してくれ」

再びざわつく教室内。間違いなく和田の件なのだろう。総理たちはゆっくりと体育館へ移動を始めた。


 程なくして朝礼が始まった。体育館にすっぽり収まる3学年合計1000人程度の学生服を着た者たち。演台に校長が立ったことで、生徒たち特に総理たちのクラスの緊張感が増していく。


「ええ、昨日当校の学生が1名行方不明となりました」

ここで、驚きのあまり館内は大パニックに陥った。生徒たちが慌て出す。

 

 しかし、総理たちのクラスは何が何やら意味不明の状態となっていた。てっきり和田の暴行事件についての集会と思っていたのだが、生徒が1名行方不明?今日この集会に出席していないのは飯尾と和田であるが、飯尾は病院か何かだろう。和田は暴行で謹慎処分なのだろうし。では、他クラスで行方不明者が出たというのか?混乱が館内を支配する。館内の壁際に立っていた教師たちが周囲の生徒たちを落ち着かせようと必死になっていた。


「ええ、皆様静粛にお願い致します」


校長は取り立てて落ち着いた表情で問いかける。

 

 ややあって生徒たちが落ち着いた状態になってきたところで再びマイクを握った。


「行方不明となった学生はおそらく、昨今世間を不安にさせているロスト・チャイルド現象に巻き込まれたものと思われます。確証はございませんが、他県や以前のさいたま市の前例を見るにつけ、そのように推測されるといった次第です。今はただ行方不明の学生の早期発見を願うことしかできない次第でございます。また今後、こういった事態の拡大を未然に防ぐための方策をと、本日朝早くから学生諸君には集まっていただきました」


校長はその後、本日の部活時間の繰り上げと午後7時には完全下校するようにとの指示出しをし、深々と頭を下げて演台からすごすごと降りていった。

 

 生徒たちは驚愕のあまり、絶句してしまっていた。校長は混乱を避けるためか個人名を出すことを避けていた。しかし、それが不気味さと後味の悪さを演出していた。

 と、教頭の大澤が深々とお辞儀して演台に上がった。


「それでは皆さん、以上で緊急朝礼は終了させていただきます。後列のクラスから順番に退出してください」

 

 生徒たちはまるで抜け殻のような状態になっていた。遠い星の世界の出来事と思っていたロスト・チャイルド現象が、ついに自分たちの学校で発生してしまったこと。しかし、総理は不思議に思った。今朝のニュースでこのことは放送されていなかったのだ。各局が放送自粛した様子もなく、本当にニュース原稿にすら載っていないような印象であった。


「おい総理」

と、ここで大聖が総理の元へ足を運ぶ。


「まさか飯尾か和田が巻き込まれたんじゃないよな?」

大聖が珍しく不安げな表情だった。


「まさか」

総理は力なくこぼす。と、大聖は携帯電話を取り出し、電話を掛けた。


「…」


大聖が緊張の面持ちで携帯電話を耳に当てる。総理も緊張が隠せない。


「お、もしもし飯尾か」


大聖が安心したような表情に戻る。総理もホッと胸を撫でおろす。


「お前今日学校はどうしたんだ?病院でも寄ってから来るのか?」


大聖が問いかける。と、電話口から漏れた声は若干くぐもっていた。


「いや、今日は熱が出て休みだ」


「熱?」


大聖が首を横に捻る。


「まあそういうこった。だるいから寝かせろや」


プツっと力強く切られる電話。大聖はすぐに我に返ったように再び携帯電話を握った。今度は和田に電話を掛けるはずだ。


 しばらくのコールが続く。授業1コマ分待った、気がした。


 そして、ガチャリと電話口に出る音がした。


「もしもし和田か」

総理はホッとした。どうやらロスト・チャイルド現象はうちのクラスで発生したものではないらしい。と、ここで大聖が素っ頓狂な声を上げた。


「え、お兄さんですか?」


「はい、いつも弟がお世話になっています。今、弟が高熱を出して寝込んでいるので、電話に出れないので代わりに兄の僕が電話をしています」


「なるほど。そうだったんですね。お大事にしろ、早く学校来い。ロスト・チャイルド現象が発生したって騒ぎになってるぞってお伝えください」


「…わかりました」

その兄と名乗る人物はすぐに電話を切った。


大聖はホッと胸を撫でおろした。


「なんだよあいつらマジで。びっくりさせやがって」


「ひとまず2人とも無事で良かった」


「ああ、びっくりしたぜ。絶対あいつらが巻き込まれたのかと思うじゃん」


「まったくだ」


総理も安堵のため息をこぼす。


 朝礼が終わると、朝のホームルームが執り行われた。

 

 橋本はいつも通りに淡々と連絡事項を話し終えると、慌ただしく教室を後にした。

教室中は飯尾と和田の失踪を怪しんでいたが、大聖のその電話のことを伝えると平静を取り戻した。

 

 安堵のため息がこぼれて止まない教室内ではあったが、総理はふと思わず楠田を振り返った。

 

 楠田は相変わらずぼさぼさの頭に、湿布まみれの仏頂面で猫背のまま椅子に座っていた。

 

 楠田からしたら、それこそ失踪してもらった方が良かっただろう2人のはずだ。それに対してつまらなく感じるのは無理もない。総理はしばらく楠田の様子を窺っていたが、特に変化もないので、すぐに視線を外した。良かった。日常はまだ続いている。

 

 ただし、悪の手が忍び寄ってきているのなら、なおのこと気をつけなければならない。

 

 この日常を失ってしまって溜まるものか。総理は拳を強く握りしめた。

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