3-55 髣髴

 思わず忘れかけていたが、ランナーは二塁にいたのだ。

「愛琉! 相手は岡田さんだ、バッチ集中で行くぞ!」

「うおーっす!」

 岡田のときと返事の仕方が違うが、気にしないことにする。繁村も試合に集中しないといけない。

 持ち球は『フェニックスカーブ』、140 km/hオーバーの直球、手元で逃げて行くシュート、そして『運玉』。ランナーがいて『運玉』のサインは緊張する。パスボールしないかが心配である。一応、投げた瞬間身体で止めるイメージを持つことにした。仮に落球しても前に落とせば進塁されないだろう。

 スローカーブもひっそりと80 km/hに満たないものと100 km/h近いものと使い分けている。2種類のカーブそれぞれ1球ずつ続けて、1ボール1ストライクから、3球目は『運玉』。それにしても縫い目がよく見える。完全に無回転を実現しているのだ。今度はふわりと浮いたかのような変化をした。岡田はファウルにしたが、空振りだったら捕れていただろうか。

 1ボール2ストライクで追い込んで、さらに70 km/h未満の超スローカーブ。イーファスピッチのようなボールだが速球と同じモーションからしっかりストライクゾーンを捕えている。球速差75 km/h以上の配球は尋常でない。しかし、これも何とか体勢を残しながら岡田は喰らいついた。

 そして5球目は、速球を要求した。さっきとほぼ寸分違すんぶんたがわない動きから、レーザーのような速球は145 km/hを記録しているが、18年前の白柳卓の速球を髣髴とするような、体感速度150 km/h台後半の超速球だった。

 その球に岡田のバットは空を切る。ボールが空気を斬る音と、フルスイングの音が重なって、その鋭さはブラスバンド音を凌駕する。

 観客は今日2回目の岡田の三振に大いに盛り上がる。

「ナイスボール!」岡田もうなっている。

 愛琉はニコニコしながらベンチに戻ろうとしたので、「おい、まだ2アウトだぞ」と言って止めた。

「あ、失礼しました。テヘ」


 続くは五番の吉澤。岡田の陰に隠れがちだがこのバッターも怖い打者だ。2点差あるけどホームランを打たれたら同点だ。しかも先ほどホームスチールを許してしまったことからリベンジに燃えているはずだ。『運玉』のサインを出そうか。

 1球目はストレートが見逃しのストライクだったが、2球目の『運玉』で二塁走者の神谷が走ってきた。吉澤の空振りも重なり、また丿乀へつほつと不規則に揺れる『運玉』。さらには送球しなければいけない焦りから、繁村は後逸してしまった。

 ファーストの坂元が慌てて繁村のカバーに、ピッチャーの愛琉はホームのカバーに入る。カバーが速かったので、本塁は落とされなかったが、「監督、しっかり!」と愛琉に怒られてしまった。しかし、神谷の盗塁は、ひょっとして『運玉』のサインを見抜いていた可能性がある。サインを盗むと言うと響きは悪いが、バレないようにやるのは戦略の1つだ。サインを見抜かれた繁村にも非がある。

 もう『運玉』はやめよう。2ストライクと追い込んで、簡単に投げさせたストレートは吉澤の餌食になった。先ほどホームスチールを許したお返しと言わんばかりのセンター返しは3-4のタイムリーヒットとなった。吉澤はホームランを狙っていたのか、一塁の上で悔しそうにしている。

 続く六番打者はセカンドゴロに打ち取ったので、1点止まりだったが、やはり簡単には終わらせてくれない。このまま逃げ切れるだろうか。


 八回の裏の清鵬館宮崎高校の攻撃は、八番の愛琉からだ。

 もう九回の守備に備えて無理はして欲しくないのが本音だが、それを受け入れないのが愛琉だ。こういうときに、二遊間に運んだ渋い打球にショートが追いつくと、一塁に送球される。タイミング的にはアウトに見えたが、愛琉はヘッドスライディングでセーフを勝ち取る。

 代走を送りたい気持ちだが、本人が完投する気でいる以上、それはできない。少しでも手堅いバントをして楽に走塁させるのが繁村の使命か。二塁がアウトになればランナーが交替して愛琉は休めるが、染み付いた動きがそんな絶妙な手加減をさせず、送りバントが成功してしまう。

 続くは釈迦郡だが、バッテリーはこの危険なバッターを何としても塁に出してはいけないという思いから、徹底的に釈迦郡の苦手なインコースをついてきた。粘りも空しく結果的に三振に倒れる。2アウト二塁の場面だが、ホームランを打っている泥谷をそのまま送るのがはばかられた。

「タイム!」

 すっかり忘れかけていたが、どうしても出さなければいけない人間がいたのだ。本人は試合に出る気はないと言っているが、ここは監督命令だ。ランナーの愛琉を生還させて欲しい。

「おーい、三塁コーチを代わってくれ!」

 その男は今日ずっと三塁ランナーコーチを買って出ていた男だ。

 ベンチにいたかた伯部かべが三塁のコーチズボックスにダッシュで向かうとその男は驚いた。


『清鵬館宮崎高校、二番泥谷くんに代わりまして横山くん。バッターは横山くん』

 ウグイス嬢によって紹介された男は、やや慌てたようにヘルメットを被ると3回ほど素振りをし、いそいそとバッターボックスに向かった。

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