3-48 弾丸

 本当にプロに怪我をされては困るので、ストレートではなくて『フェニックスカーブ』から要求した。相変わらず豪速球を投げるフォームから繰り出される、視界から消えるボール。バッターは一瞬ボールを見失うが、気付くとストライクゾーンに還って来るのだ。

 1球目は見逃した。2球目も『フェニックスカーブ』を要求すると、今度は空振りをした。

「すげえな、もはや魔球だよ」岡田は愛琉のボールを絶賛する。

「プロでも通用しますかね?」

「女子プロ? 女子どころか、もっと磨いたら男のプロでも通用するよ。往年の今中いまなかさんやほしさんみたいだ。ゆくゆくは『マドンナジャパン』でエース確定だな」

 『マドンナジャパン』とは女子野球日本代表の愛称だったか。太鼓判を押されて自分のように嬉しい。

「監督ぅ! サインお願いします!」

「お、おう」岡田と話していたら、サインを出し忘れて催促された。今度はストレートでいこう。

 愛琉が一つ頷いて、繁村はアウトコースに構える。しかしもっと攻めたかったのか、珍しくぎゃくだまとなりインコースに入る。岡田は見逃してボール判定。しかし、球は速い。141 km/hと表示されている。

 続く球は何と143 km/h。インコース低めのストライクボールだったが、岡田は何とかファウルにする。

 どれだけ速い球を投げられるのだ。先ほどから、自身が持つ女子最速記録を更新し続けている。

「こんなん、なかなか打てないよ〜」本気なのかおどけているのか、岡田が弱音を吐いている。

 今度はまた『フェニックスカーブ』を要求してみるか。普通は球速差についていけず、ボールが来る前に振ってしまうこと請け合いである。

 自信を持って5球目に投げた変化球は、70 km/h台にまで急ブレーキがかかった魔球だった。しかし、岡田はそれを待っていた。

「よっし、狙いどおり!」

 鋼の様に鍛えられた下半身。右脚をぐっと溜め、ずらされたはずのタイミングを修正して、溜めた分の反動で一気にバットを振り抜いた。快音とともにレフト方向にミサイルのような弾道を描く。

 レフトの鬼束は深めに守っていたが、弾丸はあっという間に頭上を越える。ライナー性のホームランかと思ったが、フェンス直撃の2ベースだった。

「ああーん! 絶対打たれるぅ!」愛琉はマウンド上で天を仰ぐ。


「大人げないぞ〜! 岡田!」野次を飛ばしているのは赤木だろうか。

「ええっ! そんな、真剣勝負でしょ?」

 岡田は球界を代表する打者だ。球団のエース級を次々に攻略し、岡田を打ち取るのは、アウト5つ分獲ることに匹敵する、とまで言われているようだ。一打席目でその日の投手の調子、球筋の傾向、心理状況などを総合的に読み取る力があり、どんな場合でも順応することが出来る。きっとこの短時間に、愛琉の投げるボールの軌道を読み取り、ボールを放った瞬間、自分がどのタイミングでどの位置にバットを振れば打てるかを判断しているのだろう。プロのスラッガーともなればそんな魔法のような技術を持っているのかもしれない。

 おそらく、繁村は愛琉の球を打てないだろう。仮に野球を続けていたとしても。

 繁村がプロ野球の指名を受けたが行かなかったのは、正解だったかもしれない、と岡田の実力の差を痛感した。


 続く吉澤は、敬遠して一塁を埋める、という作戦もありなのだが、これだけの大舞台を用意してもらって、それはさすがに失礼だ。愛琉とて首を振るだろう。

 その吉澤への初球だった。138 km/hの直球がど真ん中に入った。

 センター返しがややショート寄りに放たれる。鋭い打球。抜ければセンター前ヒットの打球に愛琉は素早く右手を伸ばし、ノーバウンドで捕球。その捕球の勢いを利用し二塁に矢のようなボールを投げる。岡田は逆を衝かれている。

「げ!?」

 岡田は若干リードが大きかったか、戻りきれなかった。ゲッツーで3アウト。

「さっきのお返しです!」

 愛琉はプロ相手にこの顔である。愛琉の物怖じしないメンタルの強さに改めて感服する。

 しかし、クリーンアップを結果的に3人で打ち取ったものの、強い当たりが続いている。これは大阪黎信のバッティングのレベルの高さでもあるが、同時に多少愛琉に疲れが出始めているような気がした。

 愛琉は最長七回までしか投げさせない。あと3イニングスだが、場合によっては早めのリリーフを考える必要があると思った。


 四回裏は二番の泥谷からの攻撃である。好打順だからそろそろここで点が欲しい。わがままを言えば、勝つにしろプロ野球でいう勝利投手条件を持たせたまま愛琉には降板してもらいたかった。そのためにもまずここで1点を。

 泥谷は野球選手にしては小柄で、俊足が売りの選手だ。しかし最初はバッティングが伸び悩み、下位打線での起用が続いた。そのうち、いい場面でのヒッティングが光るようになった。何かやってくれるんじゃないか、という期待の持てる選手になった。

 そんな泥谷は、初球を巧く捉えた。バットの真芯に当たった白球は、左打者泣かせのはずの浜風に抗い、何とそのままライトスタンドに吸い込まれていった。


「監督。俺、大学に行っても野球続けてみようかなと思うんです。そこでもっと磨いて、笑われるかもしれないけどプロに行けるくらい練習したいんです」

 泥谷は、引退試合に向けての練習時にそんなことを言った。野球を続けて、いつかプロに行きたいという気持ちは純粋に嬉しかった。その泥谷がここで輝きを見せた。


「うおおおおー!! ドロタニー! すんげー!」

 愛琉が雄叫びを上げたのは言うまでもないことだった。

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