3-37 奇蹟
一番打者は初球で送りバント。いや、セーフティーバントを試みている。転がした位置は極めて絶妙だ。畝原が捕球するが、間一髪でアウトにできた。
だんだん相手の攻撃そのものが波に乗って来ている。その影響からか続く二番打者は3ボールとなってしまった。続く4球目はどこか苦し紛れに投げたようなスローカーブ。しかし大きく上に外れてしまい、結果的にストレートのフォアボールだ。
一死一、二塁。フォースプレーにできるので、内野は当然ダブルプレーを狙って塁の近くにいる。
「ウネウネ! しっかりしろ!!」
愛琉が畝原に厳しい言葉をかけるのは珍しい。終盤2点リードで勝っているとは思えないほどの苦境を感じる。
三番打者はピッチャーの
畝原は城座に対し2-2で追い込むものの、SFFを巧くライト前に運ばれてしまった。二、三塁だったので、三塁ランナーは生還する。1点差。二塁ランナーは還すまいと、栗原が重力を完全に無視したようなまさしくレーザービームを投げた。完全にアウトのタイミングだったが、なまじ肩が良すぎて、二塁走者は三塁を回ったところで慌てて引き返し止まった。
一死一、三塁となったところで、四番の吉澤に回ってくる。ここで二、三塁だったら、満塁策を指示していた。五番はさほど当たっていないので、一死二、三塁で吉澤勝負より、満塁で五番打者との勝負という選択肢はありだ。しかし、いまは一、三塁である。逆転のランナーである一塁ランナーを得点圏に進めるのは得策とは言えない。
一塁ランナーはピッチャーの城座で、体力温存のためか走ろうとしない。勝負するしかなかった。2球変化球が外れ、ボールが先行したが、続く3球目は、先ほどの最速を2 km/hも上回る、繁村も驚きの150 km/hを記録した。これにはたまらず吉澤もフルスイングでバットが空を切る。会場からはどよめきが起こる。そしてその次は、値千金のブレーキのかかった『矢研ぎ滝カーブ』だ。先ほどは巧く打たれてしまったが、今度は思い切りタイミングをずらし、再び空振りを獲る。これで2-2の並行カウント。
いけるかもしれない。繁村がそう思ったときだった。次の146 km/hのストレートが真ん中やや高めに入った。吉澤はまたもや打ちにいくが、タイミングはずらされていない。
快音が球場に鳴り響き、大きく美しい孤を描いては白球はバックスクリーンに吸い込まれた。3ランホームランだということにしばらくしてから気付いた。2-4。あっという間の終盤の逆転劇。2点リードはあっという間に2点ビハインドにされてしまった。
五、六番は打ち取るも、一塁側ベンチ、アルプススタンドは落胆している。
「まだ、負けたわけやないとょ! こっちだって四番からやし、まだまだいけると!」
愛琉は大きな声で活を入れる。この愛琉のエールは幾度となくチームを救って来た。一気に逆転されてしまったが、負けてしまったわけではない。逆境を跳ね返してここまで来たチームだ。奇蹟を信じるしかない。
九回表の攻撃は四番の若林からだ。
その初球だった。内角やや低めのボールを上手く
五番の泉川には送りバントのサインは出さない。ここで2得点入れて追いつかないと負けてしまうのだ。ランナーを溜めておきたい。ダブルプレーだけは御免だ。
泉川も若林同様早めの勝負を仕掛ける。テンポが速く、変な駆け引きも躊躇もなくどんどんストライク先行で追い込み、終始ピッチャー有利な状況で勝負を決めてしまうタイプだ。有利な状況を作ってしまう前に打ってしまえばいい。驚異的なスピードボールでも魔球のようなキレもないのだから、甘い球はどんどん狙って打つ。考えてみればシンプルな戦略だ。
泉川は1ボール1ストライクで迎えた3球目を詰まらせながらもライト前に放つ。
「よっしゃー! いーぞ!」愛琉はついにスコアブックを放棄し、ぎりぎり身を乗り出さない程度に立って応援していた。ここまで大きな声援を送る記録員が過去にいただろうか。
無死一、二塁。バッターは六番の畝原というところで大阪黎信の内野陣は集まっている。ここで繁村は代走を送りたいと思った。2点獲らなければならない場面なので、一塁走者を替えようか。しかし、無死の場面だ、二塁走者の若林がフォースプレーでアウトになってしまう可能性もある。また投手の集中力を逸らすために二塁走者を替えようか。繁村は迷った。九回裏の守備や延長のことも視野に入れなければならない。
迷った挙句、一塁走者を替えることにする。ここは当然、チーム1のラッキーボーイ的な存在、釈迦郡に託すことにする。
『ファーストランナー、泉川くんに代わりまして、ランナー、釈迦郡くん。背番号14』
これまで観戦してきたアルプススタンドの応援団ならもうお分かりだ。この男が何か持っていることを。ひときわ歓声が大きくなる。プロ野球で、代打の切り札、リリーフの切り札で球場を沸かせることはよくあるが、代走で球場の雰囲気を変えてしまう選手はさほど多くないだろう。
そんな選手は──、と思っていると、プロ野球で代走のアナウンスだけで球場を盛り上げた人間がすぐそこにいたことに苦笑いした。赤木諭孝選手である。
ひょっとして釈迦郡は第二の赤木になりうるのではなかろうか。そんな気さえしてきた。
畝原がバッターボックスに入る。守備のタイムで少し気持ちが落ち着いたか、城座は表情をまったく変えない。冷静沈着そのものだった。
畝原は追い込まれてしまい、ファールでカットしようと思った内角の球がフェアグラウンドに入る。痛恨すぎるダブルプレーコース。サードはボールを捕球すると、三塁を踏む。二塁は既に釈迦郡が落とし入れていたため、一塁に投げる。しかし畝原は根性で走った。ヘッドスライディングが間一髪でセーフになり、アウトカウントだけ増えてランナー一、二塁のまま──、と思いきや、何と釈迦郡が三塁に向かって
「チャラの奴、
思わず
さて、一死一、三塁の場面。ここでさすがに走者の畝原を替えるわけにはいかなかった。指名打者制であれば、迷わず誰かに替えていたかもしれないが、高校野球の世界では投手も立派なバッターでありランナーの1人なのだ。
七番の金丸は守備のパラメーターが高い選手だ。ランナーとして出るとその足の速さから相手を翻弄することができるが、打率は本来高くない選手だ。
しかし、この負けられない場面で金丸は粘った。こんなに粘っこい金丸は見たことがなかった。球威こそ高くないがコントロールの良い城座のボールに喰らいついた。何と金丸のこの1打席だけで12球投げさせた。結果はフォアボール。フォアボールはヒット1本、いやこの打席に限ってはそれ以上の精神的なダメージを相手に負わせることができる。一死満塁に場面が変わる。一打同点、長打で逆転もあり得る場面で回ってきたのは、スイッチヒッターの泥谷だ。
この選手も、八番ながら何かやってくれそうな期待が持てるバッターだ。その泥谷は左バッターボックスに入る。さすがに金丸との12球の末の四球が
レフト方向への流し打ちだが、泥谷にこんなに力があったのだろうか。浜風も手伝ってぐんぐん伸びる。まさかまさかのスタンドインか。繁村は思わず立ち上がった。
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