3-23 怒号

 八回裏は先ほどレフトの守備でファインプレーを見せた岩切だ。得てして守備で調子を掴んだ選手は打撃も良くなることがある。その典型だった。苦手意識のある左バッターに対して、置きにいってしまった球を見逃さなかった。右中間を真っ二つに割る長打。足の遅い岩切でも楽々の二塁打だ。

 繁村はこの回で何とかしたいと思った。ランナーを黒木に交代する。代走、くろ努永ゆめひさ

 そして打者は四番の若林。若林は今日当たってはいないが、過去の対戦で若林の長打力は北郷学園の選手たちも認識しているはずだ。内野陣が集まる。

 一塁が空いているので一瞬敬遠も頭によぎったが、若林が生還すれば逆転になる。しかも続く泉川と畝原は今日タイムリーを放って勢いづいている。若林とは勝負を選んだ。繁村が北郷学園の監督でも同じ指示を出すだろう。

 押川は気合いが入っていた。147 km/hの直球を投げ込む。この投手はどうしても点をやれない場面になればなるほど球に力が加わるのか。ランナーを背負うと打ちづらいボールを投げてくる。

 速球に強いはずの若林も打ち上げてしまった。一塁ファウルグラウンドの高いフライ。フェンスには届かないが、滞空時間は長い。セカンドが長い距離を背走して捕球する。一死二塁となったかと歯噛みしたが、チャンスに代えようとする者がいた。代走の黒木だった。

 タッチアップで三塁を狙う。俊足黒木はあっという間に三塁に到達し、セカンドからの好送球も走者に軍配が上がった。

「よしよしよしよし! いいぞ、黒木!」

 思わず繁村は、選手を褒め讃える。声に出して試合中に褒めることはあまりしないのだが、つい出てしまった。

 当然、次の泉川はスクイズ警戒で、最初の2球を外される。ここはスクイズのサインを出す気はさらさらなかった。なぜならこの回で逆転を狙っているからだ。バントよりもヒッティングで外野まで飛ばす方が得意な泉川。最低でも犠牲フライを飛ばしてくれることだろう。3球目はストライクゾーンに速球が来る。泉川は強振した。少し詰まったがそれでも持ち前のパワーでセカンドの頭上を越える。黒木は見事生還。同点とし一死一塁と変わる。

「よっしゃ! いーぞ! ナイバッティン!」

 愛琉は声援を送る。泉川の代走として釈迦郡を送りたかったが、まだ延長戦に入る可能性が充分ある中で、クリーンアップのうちの2人を代えることに抵抗を感じた。畝原には送りバントをさせるが、それが決まったら釈迦郡に代えよう。

 そして注文どおり、畝原はきっちりバントを決める。ナイスバントだ。あとはピッチングに専念してもらいたい。

『ランナー泉川くんに代わりまして、釈迦郡くん!』

「行けー! チャラごーり! 今日もチャラさ見せてやれ!」愛琉の声援は意味不明だが、釈迦郡は親指を立てて応える。釈迦郡はピンチランナーという仕事が好きなようだ。

 そして金丸。実は金丸は当たっていない。左バッターでアドバンテージのはずだが、どうもタイミングが合っていない。

 しかし、ベンチで残っているうち左バッターは薬師寺しかいない。薬師寺のバッティングに期待しても良いが、足は金丸の方が速い。迷ったが、ここは金丸に打たせることにする。

「たぶん、早めに追い込んできますよ」

 そう呟いたのは、横山だった。

「え?」

「金丸は0-2ノーツーと追い込まれると打ち取られやすくなることを知ってると思うんです。現に今日の打席はすべて最初の2球で追い込んでます。逆に言えば、最初の2球はど真ん中に来ると思うんです。押川くんは直球に自信があると思うんで、たぶん最初に2球はど真ん中の速球ストレートが来ると思ってて良いと思います」

 横山はこの試合における押川の傾向を読んでいた。金丸は確かに0-2と追い込まれると、ボール球に手を出して打ち取られるケースが多い。だから相手に利用される前に利用しなければならない。

「よし、早めに勝負に行け。ど真ん中だ」

 金丸は左バッターボックスに入る。1球釈迦郡を牽制してから投じた初球は予想どおりだった。しかし速い。いや、速くてもタイミングは合っていたがボールが伸びたのだろう。バックネットへのファウルチップだった。

 2球目もストレートか。と思いきや、先ほどのファウルで方針転換したか、サインに首を振った押川が投じたボールは緩いカーブだった。今日はまだこのボールを投げていない。完全にタイミングを外された金丸は、空振りで追い込まれてしまった。

「くーっ!」ベンチの横山も繁村も悔しさで思わず声が出る。しかし諦めるわけにはいかない。まだ攻撃は終わっていない。当然金丸もそうだ。一度タイムを要求して、バッターボックスを外して、まるで深呼吸の様に大きく2回素振りをした。

 再びバッターボックスに入り、足場の土をならして構えた。すると、いままでの構えから、不必要な力みが取れたような自然体のフォームになった。次の速球はタイミングを合わせるも惜しくもファール。しかし、身体の回転を巧く使ってバットを振っている。振り上げるのではなくて、重力に従いながら振り下ろし、ボールを地面に叩き付けるような無理のないバッティング。直感的に金丸は打てるような気がした。

 と言っても、押川もまだボールは1つも取られていない。4、5球目は外し様子を見る。金丸は手を出さなかった。追い込まれているはずだが、選球眼も良くなったのか。フルカウントにはしたくないバッテリーは、その後2球直球を放る。2球ともファウル。とは言え、ファウルになってしまったわけではなく、敢えてカットしたようなファウルだ。

金丸あいつ、緩い変化球を狙ってるんじゃないんですか?」横山が言った。

 それを聞いて、確かにそうかもしれないと思った。金丸はリストが強くないので、力強い速球には打ち負けてしまうことが多い。「畝原の豪速球は前には飛ばせない」と紅白戦で金丸が言っていたことがあったか。先ほど2球目に空振りしてしまった緩いボール。今日の押川の唯一のスローボール。タイミングを外すために投げたのだろうが、あれなら打てると思ったのだろう。まだ1球ボール球を投げる余地がある、と思ったとき、おあつらきの、本日2球目のスローボールが来る。

「来た!」横山が言ったと同時に、0コンマ数秒ためて思い切り振り抜いたバットは真芯で捕えた。ライトに大きな飛球。風は吹いているが、風に流されるような緩やかな打球ではなかった。気付くとワンバウンドしてフェンスに直撃した。

 気付くとタイムリー3ベース。金丸は何か掴んだのか。いままでとはうってかわったような見事なヒッティングだ。5-4。とうとう逆転する。

 ここでリリーフで、左ピッチャーの吐合はきあいにスイッチする。次の泥谷は残念ながら、ショートゴロに倒れこの回を終えるが、ついにリードを迎えた。北郷学園からリードを奪ったのは、繁村の監督就任以降ははじめてではなかろうか。

 

 九回表。歴史的瞬間となるか。

 岩切の代走として出た黒木がそのままレフトに入る。泉川の代走として入った釈迦郡はショートの経験がないため、一年生のひばりに交代させる。

「この回で勝つぞ!」

「おー!」

 円陣を組んで若林がナインとベンチを鼓舞した。

つる! 動き硬いぞ!」

「僕、ひ、『ひばりの』っす」

 鸙野は決勝の1点差で逆転直後の最終回の守備で、身体が硬くなっている。公式戦の経験の少ない一年生だから仕方がない。愛琉は、もはやお約束の様に鸙野の名前を靏野と間違えているが、緊張のあまり笑う余裕も起こらない。

「ウネウネ! 頼む! 絶対守って!」

 畝原はやけに落ち着いた様子で、グラブをはめた左手を挙げる。


「おめぇら、県下ナンバーワンの北郷がこのまま逆転負けなんて、みっともない姿見せんなや! 何が何でも追いつけ! 執念見せろ!」

 球場の空気がビシッと入れ替わるような強烈な怒号が繁村と選手たちの耳をつんざいた。

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