2-25 喫驚
◇◆◇◆◇◆◇
処分の不服申し立ては大抵の場合棄却されるものだが、甲斐教頭だけでなく、
様々な関係者の力を借りて、対外試合禁止に対する不服申し立てが認容された。連帯責任という重い処分は免れ、栗原個人に対する注意に留められた。まさに異例の措置だと思われるが、事実関係を正しく整理し、不祥事に対して処分の大きさの不当性を理路整然と説いた。そのために過去の処分事例を調査もした。しかしそれだけでも通常は処分は覆らないと思われる。詳しいことは分からないが、どうやら日高理事長がかなり掛け合ってくれたという噂もある。理事長はかなりやり手で、県会議員どころか県知事にも臆せず対等に渡り合えるくらいの権力者らしい。このような
しかしながら、このような処分に対する不服申し立てが認められるまでにはそれ相応の期間を要した。その間、当然予定どおり九州地区高校野球の県予選が行われており、対外試合禁止期間の処分を受けていた我が校は出場を逃した。春の高校野球進出の夢を逃したことになる。
実に処分が覆ったのは、11月も終わり頃。もうすぐ通常の
しかし、この期間中、選手たちは各々自分と向き合い、おのれの課題点を洗い出した。試合に次ぐ試合で、ある意味選手たちは忙殺されていたが、このようにしっかり練習だけに打ち込む期間というのは無駄にはならなかったと思う。
また対外試合禁止というからには、紅白戦、つまり自分のチーム内での試合は禁じられていないのだ。愛琉を入れて、二年生、一年生合わせて選手が20名いるので2チーム組めるのだ。投手として畝原を擁するAチーム、岩切、愛琉を擁するBチームに分けて試合を重ねた。新しい正捕手候補は捕手経験者の銀鏡だが、他に捕手ができる人がいなかったため、最初は難航した。それこそセカンド、ショートでレギュラーを獲っている若林、泉川にさせたりした。案外、泉川のキャッチャーとしてのセンスを感じているので、銀鏡の捕手の交代要因として検討している。そのときのショートの穴埋めはどうしようかはまだ決まっていないが。
このある意味チームの充電に充てられた期間で、選手たちは成長を見せてくれた。畝原の投球のスピードがさらに増した。青木、泥谷、黒木はそれぞれ、ファースト、サード、レフトとしての安定性を確立していった。一年生の薬師寺は肩の強さから左のピッチャーの控えとしての可能性を見せてくれた。横山はバッティングが飛躍的に向上した。畝原は新たにフォークを習得し、バッターの直前までストレートとの判別が付きにくいくらいの切れ味が備わっている。チームいちばんの『チャラ男』の一年生の釈迦郡は、いままで手を抜いていたのか実はかなりの俊足であることが判明し、走塁術を身に付け盗塁成功率が高い。さらには、左打を練習し、さらなる進塁率向上を目指している。セカンドで自慢の俊足を活かして、抜けそうな打球を処理できるようになってきた。この選手も意外とおもしろくなるかも、と密かに期待を抱いている。
そして愛琉は、体幹が鍛えられ、ストレートの速さがグンと増してきた。いまさらながらスピードガンを購入し測定しようと思った。と言うのも、愛琉がこう言ったのだ。
「アタシ、卒業するまでに130 km/h出します。出せそうな気がするんです! 測ってくれませんか?」
確かに愛琉のスピードには目を見張るものがあった。もちろんエースの栗原、控え投手の岩切、新・投手候補の薬師寺のためにも、あっても悪くない。と言うか甲子園を狙うチームにいままでなぜなかったかというスポーツ機器であると思う。安いもので2万円前後だというので、対外試合禁止の影響で少し浮いた部の費用で購入した。
「よし一人ずつ測ろう!」
そう言って、投手たちのスピードを測る。
薬師寺は最速で125 km/h、岩切も126 km/h。高校生ピッチャーとしてはまずますだ。
「次、畝原行こう!」
畝原は振りかぶって、ストレートを投じた。速い。ズシリと大きなミットとの衝突音を響かせた。
「いくらだ?」
「146 km/hです!」
他の部員たちが「おー!」と歓声を上げる。さすがエース。
「次、変化球行きます!」
フォークが137 km/h、シュートは132 km/h、カーブは100 km/hを記録した。このスピードなら県予選どころか甲子園大会でも充分戦える。
「最後は愛琉だ。準備はいいか?」
「バッチリでーす!」
愛琉はノーワインドアップモーションで、リリース直前までボールと手元がまったく見えない独特の小さなテイクバックから、全身のバネを最大限に活用したたおやかなのに力強い、まるで
キャッチャーをつとめる銀鏡の構えた位置に、重力を無視したような等速直線的な軌道を描いてミットに吸い込まれていった。
「何キロです?」愛琉が聞いた。
「ひゃ、132 km/hです!」
「おー!!」畝原のときよりもさらに大きな歓声が部に響き渡る。
「す、凄いぞ、愛琉! 最速記録だ!」繁村も驚きのあまり身体が震える。
実は、日本女子プロ野球の最速は128 km/hと言われている。それよりも4 km/hも上回っている。非公式ながら、紛れもなく日本最速だ。
「いいえ! まだまだです。世界最速は137 km/hでしょ?」愛琉は笑顔で言う。
確かに世界最速はアメリカのサラ・ハデク選手で137 km/hと言われている。愛琉は世界最速をも更新しようというのか。
「じゃ、次スローカーブいいですか?」
最速の豪速球を見てすっかり満足したが、愛琉の武器は直球だけでない。先ほどとほぼまったく同じフォームで、今度はまるで投げている物体そのものが変わってしまったかのような弓なりでブレーキのかかったボールが投じられた。
「な、72 km/hです!」
60 km/h差。驚異的な速度差である。見分けのつかないフォームでこの二つを組み合わされたら、130 km/hのボールは、下手したら150 km/h台に見える。
「すげえ、すげえ、凄いぞ! 愛琉!」
繁村は監督であることを一瞬忘れたように興奮した。
◇◆◇◆◇◆◇
早いものでアウトオブシーズンも終わり、3月が近付く。春の甲子園の出場権を逸しているが、夏の大会に向けて既に準備は始まっている。まずは、3月に開催される九州地区高校野球県予選に向けて、各々、着々と調整を進めているところだが、繁村には一つ気になることがあった。
「愛琉、この春は、全国大会行くのか?」
愛琉は愛琉で、女子としての貴重な大会の場が控えている。全国高等学校女子硬式野球選抜大会、いわゆる春の全国大会で、埼玉県加須市で行われる大会だ。これに『竹田連合』は例年出場している。いつも九州地区高校野球県予選を順調に勝ち進むと、愛琉はその春の大会に日程が重なってしまうが、その間はそちらの大会を優先させたいと思っている。
今回、脳の病変の心配はあったが、ここ最近は特に頭痛の訴えや
ちょっとバツが悪そうに、愛琉は言った。
「その件なんですが……」
「どうした? やっぱり頭が痛むのか?」
「いや、最近、頭は問題ないです。何と言うか、その……」
「……??」なぜか愛琉は言い淀んでいる。
「みんなが春の甲子園の出場権を逃している。直接じゃないかもしれないけど、アタシが原因で九州地区予選や大会が出場停止となったんです。そんなアタシが、みんなを差し置いてのうのうと自分だけ全国大会に出るのが申し訳なくて」
何だ、そんなことを気にしているのか、と繁村は少し安堵した。
「それなら気にしなくていい。愛琉はまったく悪くないわけだし、むしろ愛琉が全国大会で活躍することが却ってみんなの起爆剤になるんだ」
「……そうですか」
「そうさ。言っとくけど、いまチームはみんな調子がいい。試合はあまりできなかったが、実力的には北郷の一軍男子や藍陽にも遜色ないと思っている。甲子園にも出られるくらいみんな伸びてると思うんだ。だから愛琉もまずは一足早く全国で活躍して、いい流れを
「……」
「もう、もじもじするな。らしくないぞ。これは監督の指示だ」
「……はい、では行かせていただきます」
「そうだ、頑張ってこい」と言ったところで、もう一つ気になったことがあった。「もし本当に夏、うちが甲子園に出られたら愛琉は、丹波の全国大会どうするんだ?」
「そのときは、川上監督には悪いけど、丹波の全国大会はキャンセルします。だって、アタシだって清鵬館宮崎の一員なんです。甲子園を目指して頑張っているうちの一人なんですから!」
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