第一章 デート? 2
「なんで俺?」
「こういうの得意だって聞きました。学園長が、桐村さんのお父さんに聞いたとかって」
「得意というか、必要に迫られてというか」
雪人は世界中を引っ張り回されたこともあって、変に度胸が据わっている。外国語は少し分かる程度だが、そんな状況で様々なコミュニティに放り込まれたのだ。
外国で、しかも子供たちの間で生き残るにはなんらかのテクニックを身につけるしかない。雪人の場合はネゴシエーションだった。
身振り手振り、口八丁手八丁でやってきたのである。人間、必死になればなんとかなるもので、肝を冷やすこともあったがうまくいった。なにせ相手には麻薬組織の幹部の息子、なんてのまでいたのである。
さすがにカウンセリングの専門家ではない。だが普通の高校生よりも経験があるのは確かだった。
「だからって俺ってのもなあ」
「学園長に相談したら、女の子だけだと揉めそうだから、同い年くらいの男の子を入れた方がいいだろうって」
「まあ、俺がコミュニティに入って悪者になるって手もあるけど……」
歩きながら考える。
「茜さんが六麗になったのはいつ?」
「二年になったら六麗に空きができて、五月に」
「実家が大企業の創業者とか?」
「うちはITの会社なんです。それで六麗になれたんだと思います」
このはは雪人に、最近よく名を聞く会社の名を言った。新興なので歴史はないと彼女は付け加えていた。
「私は別にならなくてもよかったんですけど、お父さん喜ぶので」
と言ってから、
「それでその、六麗がそうなってるのは良くないと思って、学園長に相談したら、学校側でも認識してたって言われました」
「仲が良くないって、殴り合いとかじゃないよな」
「それはしません」
「陰口をたたき合ってるとか」
「あ、それもないです」
このはは大きく首を振る。
「陰でこそこそ言うことって本当にないんです。そういう娘って六麗に選ばれないんじゃないかって思います。面と向かって皮肉言う人ならいるんですけど」
正面から皮肉とは恐れ入る。とはいえ、陰口に縁がないのはたいしたもんだと雪人は思った。
「じゃあ仲が良くないってどういうことなんだ?」
「えーと……」
このはは視線を下に向けて考えごとをした。
「虫が好かないって言うか、近くにいたくないって言うか……。最初はふざけているのかなって思ったんですけど、本気っぽいこともあるんです。六麗になって長いのによそよそしい人もいるし……」
「女の子だから陰湿だとかそういうのは」
「あー、それ偏見です」
このはは少しだけ怒った素振りを見せつつ、
「男の子みたいに大っぴらに喧嘩したりしませんけど、陰湿ってこともないです。他の娘同士に立ち入りたくないのかもしれません。そうじゃない人もいるからよく分からないんですけど……」
「じゃあ別に理由があるのか」
「かもしれません。でもみんな理由を言わないから……」
彼女はそこまで口にしてから、
「なんていうか普通に仲良くないんです。それってやっぱり、好ましくないと思います」
「でも六麗なんだから、同じ部屋で顔合わせたりするんだろ」
「それが、会わないんです」
このはは答えた。
「私は最後に六麗になったんですけど、もう皆バラバラでした。六麗の間……あ、そういうとこがあるんですけど、そこにも集まりません。今じゃ私がお掃除するために入るくらいで……」
「あー、文字通り顔を合わせたくないんだ」
「はい」
「茜さんには理由が分からないと」
このははもう一度「はい」と返事をした。
六麗に選ばれるのだから、心身共に健康のはずだ。とはいえ人間なのだからいつもそうというわけにはいかない。合う合わないもあるだろう。
しかしここまでくると、さすがに学校も座視できなくなったと見える。男の自分が仲立ちを頼まれた理由もなんとなく分かってきた。
「互いにどう思っているか分かる?」
「壁があるんだと思います」
「茜さんは?」
「え……?」
きょとんとするこのは。雪人は言い直した。
「茜さんは他の女の子たちからどう思われているのかって」
彼女の頬が、ほんのり赤くなった。
「わ、私ですか……。新人ですから、まだ馴染んでないっていうか、みんなも私に興味ないんじゃないかって感じです……」
「茜さんから積極的に話し合うって手もあるけど」
「ふえっ……! そそそそそんなことできません!」
虚を突かれたか、このはは狼狽し、大きく手を振った。
「わっわっわっ私、人見知りなんです。自分から話しかけられないし、友達とか作れないし。六麗の人たちだって、私みたいな実家が成り上がりだと軽蔑してるのかなって」
雪人は首を傾げた。
「そのわりには俺と話してないか?」
「……それは、そうなんですけど……」
語尾がごにょごにょとしたものになる。このはは下を向いていた。
「その……私から相談を持ち込んだので、やっぱりちゃんとデート……じゃなかった、話をしなきゃって……」
「ここまで話せるなら自分からいけるんじゃないか」
「…………」
口をつぐんでしまった。
そういうわけでもないらしい。あんまり迫ると貝みたいに閉じこもってしまう可能性があるので、雪人は深く突っ込まなかった。
別の話題にする。
「なあ、同じ二年なんだから、俺のこと桐村さんって呼ぶの止めないか。雪人でいいよ」
彼女は顔を上げる。
「分かりました。じゃあ私のことはこのはでお願いします」
「あと敬語で喋らなくてもいいよ」
それを聞き、このははしばらくためらった。やがて小声で「そうですね……」と口にすると、改めて言う。
「うん、分かった。雪人……君」
「どうも……このは……さん」
真顔で言うと、やけに照れくさい。二人は並んで歩いていることもあり、妙に意識してもぞもぞしていた。
「それで……」
このはは探るような言い方になる。
「ただ雪人君に、六麗の仲を良くしてくれってお願いするのもおかしいから、私からもなにかしたいと思って」
「いや、俺はまだ引き受けるとは」
「分かってる。それでその……妹さんの勉強を見るのは?」
雪人は虚を突かれ、思わず立ち止まった。
「妹……メグの?」
このはは「うん」と言った。
「妹さんって、えーと、成績悪いでしょう」
「はっきり言うなあ。まあ……そうなんだよな。メグは勉強できないんだよ」
彼はつい天を仰いだ。
雪人の妹、桐村メグは一歳下の華凰学園一年生だ。彼はこの妹を溺愛している。
妹は勉強ができない。ごく普通にできないというより、わりと最悪に近い。外見は愛らしく、性格もよく、純真できらきらしており、完璧な妹だと大いに喧伝したいのだが、成績だけがどうにもならないのだ。
テストをやれば常に低空飛行で、クラスどころか学年でも最低だ。一度だけ順位が上がったことがあったが、あとで食中毒で十人ほどテストを受けられなかったためと分かった。
成績が悪いからといって当人は腐ることもなく、常にやる気をなくさない。努力は非常にしており、勉強が苦ではないのだ。雪人は頼もしさを感じつつ、卒業できるのだろうかと思わざるを得なかった。
雪人とメグの学力は、華凰学園に入学するには足りなかった。ただ金があったときに父親が「華凰学園は名門で雑音に悩まされることもなくなるから」と受験させたのである。別口からの推薦もあり、二人とも裏口ではなくきちんと入学した。
反動からか、はたまた周囲が優秀なためか、入学後の成績はどちらもひたすら下降していった。さすがに雪人は焦ってそこそこの順位に戻したものの、妹の成績にブレーキは存在せず、一番下に安住の地を見いだした。
妹のことが気になる兄としては、なんとかしてあげたいと思っている。しかし余計なプレッシャーは与えたくなく、なのに当人のやる気は溢れんばかり。そのあたりを勘案して雪人も色々教えたが、教え方の問題なのか何故か上昇しなかった。
そしてなんとも厄介なことに、学校からさりげなく、あまり成績が悪いようだと留年もあり得ると言ってきたのだ。入学してまだ半年たつかたたないかの時期にこんなことを言ってくるのは、よほど成績が悪いとしか言いようがない。雪人の悩みの種であった。
その妹の勉強を、このはが見てくれるという。
「それって、家庭教師をしてくれるってことだよな」
「うん」
このはは自信ありげに首肯した。
「親戚の子の勉強も見たことあるから大丈夫。妹さんがいい点を取るようにする」
桐村家に優秀な家庭教師を雇うだけの金はなく、雪人が勉強を教えるのは無理だ。このはがやってくれるのなら申し分ない。
それは同時に、六麗の仲を良くするというミッションを引き受けることに繋がった。
「それで、六麗のこと……引き受けてくれる?」
雪人の瞳を見つめてくる。
彼は少しだけ間を置いてからうなずいた。
「分かった」
「良かった」
彼女はほっとして胸元を押さえていた。肩の荷が下りたのか、力も抜けていた。
ふと、雪人は言った。
「このはさんは、今日何時まで大丈夫?」
彼女は一瞬首を傾げてから返事をする。
「ええと……遅くても平気だけど……」
「じゃあ今から家庭教師してくれないかな」
「これからって……雪人君の家に行くの?」
「ああ」
このはは目を白黒させた。幾度か口をぱくぱくすると、喋ろうとして声をかすれさせ、咳払いをして言い直す。
「でも……迷惑じゃない?」
「平気。なんていうか、妹にはなにも考えさせないで一気に教えた方がいい気がするんだ。不意をつくと効果的」
「というか、私、男の子の家行ったことないんだけど……」
「俺も女の子を呼んだことない」
雪人の返答に呆れたのか、わずかに眉を顰めている。彼は手を合わせて拝んだ。
「とりあえずやってみてくれないか」
「……いいよ、分かった」
彼女はなにかを吹っ切るようにして承諾した。
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