リモコン 5
「かなり虫歯が進行してしまってますね」
検診のためにいじくられてまだじんじんする奥歯の痛みに耐えながら、淡々と話す初老の医師の言葉を聞いていた。
受付で次回の予約を済ませ、近くの薬局で痛み止めを処方してもらう。小さい頃から虫歯になりやすく、よくこの医院に通っていた。
学生の間は定期検診で歯の検査もあったので、よく引っかかってここへ連れてこられていた。だが、働き出してからは特にそんな機会もなく、ついにこうなる時が訪れたかという感じだった。
ほんの少し前までのぼくならこんなどんよりとした気持ちにはならなかったはずだ。不安や痛みを伴う時間は、リモコンで早送りにしてしまえばよかった。
鞄の中にある灰色の棒を眺めた。落ち込んだ気分に比例してか、奥歯のズキズキとした痛みはなかなか消えてくれなかった。
あれから一度もリモコンを使えぬまま、1週間が過ぎた。今日の仕事が終わり次第、歯医者へ行かなければならない。何か仕事でアクシデントでも起きて、仕方なく延期にできないだろうか。そんなことをぼうっと考えながら手を動かしているうちに、あっという間に作業は終わってしまった。
歯医者には予定通よりも少し早めに到着した。
医院の扉をくぐる。恥ずかしい話だが、ぼくはこの歯医者特有の匂いとあの何かを削っている音が胃に痛みを感じるほど苦手だった。それは幼い頃から植え付けられたトラウマだった。
「倒しますね」
椅子に寝そべっているぼくの手には、あのリモコンがあった。この1週間で歯の痛みは急に増し、薬なしでは暮らせなくなっていた。それが、この治療も普通の虫歯治療よりも困難になることを暗示していた。
ぼくは迷っていた。今このボタンを押せば、次はどのタイミングに飛ばされるか分からない。それに、大の大人が歯の治療くらいで音を上げてもいいのだろうか。
「口を開けてください」
銀色の機材がぼくに迫ってくる。つい今し方打たれた麻酔ですらすでに悲鳴を上げそうなほど痛かったのだ。それに、まだうまく患部が痺れていないように感じる。
回転する先端が、歯の表面に当てられた。大丈夫、耐えられる、麻酔は効いているはずだ。そう思って目を瞑った。だが、削り進められていくうちにそれは神経を刺激した。
全身に力が入った。その瞬間、ぼくはボタンを押していた。
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