回送列車 参

 都会の日々は目まぐるしい。田舎から移ってきた僕にとっては、1日が倍以上の速さで過ぎていくように感じる。いや、もしかしたらそれは歳を取ったからなのかもしれない。


 大学時代、必死に駆け回って得た内定の中では1番いいと思えるところに就職し、そのまま20数年勤務し続けている。出世のほどは自分にしては上々。良い縁にも恵まれて、今は専業主婦になっている妻との間に生まれた娘は、もう高校生だ。

 実家の母も、もういい歳だ。本人はあの家を離れたがらないけれど、親父も3年前に亡くなったことだしそろそろこちらで一緒に暮らすことも考えないといけない。大学時代に再び妙な体験をしたあの日以来、どことなく田舎を敬遠してきた僕を、果たして母は頼ってくれるだろうか。

 就職をした後は、ほとんど高校の友人に会うこともなくなった。色々と忙しいと理由をつけて断っているうちに、誘われることもなくなってしまった。たまにふと、どうしているだろうかと数名の顔が浮かぶことがあるが、生来自分から誰かにコンタクトを取るような性分ではない。


 今の暮らしに不満はない。家族にも恵まれ、職場でも良い上司や優秀な部下とそれなりにやっている。あっという間の四半世紀だったが、僕なりにベストを尽くしたと言えるだろう。

 だが、心のどこかでたまに疑問の声が湧き上がる。本当に僕はこれでよかったのか。地元を捨て、都会でそれなりの成功を収める。家族と共に幸せに過ごす。もちろんこれで良かったはずだ。

 それなのに、時々自分が立っている地面の底が抜けて、そのまま宙に放り出されたような気分になる。僕の周りにいる人間は、実は全てあの日見たような白昼夢の中の虚像であり、自分は誰もいないホームでまだ列車を待ち続けているのではないかと、そんな妄想に取り憑かれるのだ。


 あの列車に乗っていた人たちは、おそらく生者ではない。幽霊なのか、それとも怪異の類なのかは分からない。奇妙なものを見たのは、あの肌寒い夜以来1度も無い。しかし、あの時のような気味の悪い風に撫でられることは何度かあった。

 彼らは僕を見つけてしまった。そう感じる。というよりは、僕は自らそちらへ行こうとしてしまった。あの時目があったあの男の顔が、窓に張り付いた掌の白さが、脳に焼き付いて今でもはっきりと思い出せる。

 そしてその度、無性に懐かしいという感覚に包まれるのだ。小さい頃に遊んでいた公園の脇に咲いている金木犀の匂いや、母が洗濯干し場から取り込んだばかりの布団にくるまったときの感触が、僕の周りを取り囲むような、そんな気分にさせられた。


 そんなことを考える度に、僕は気づけばホームに座っているのだった。


 また、あの奇妙な感覚に支配される。僕はふと目を開けた。

 都会の駅のホームには、昼過ぎだというのに僕以外に誰もいない。警笛のような、懐かしい音が聞こえてくる。

 そして滑るように、この駅には停まるはずのない銀色の列車が入ってきた。行先表示は回送、もちろん中は真っ暗だ。

 僕は腰掛けていた椅子から立ち上がる。ゆっくり近づくと、待っていたかのように扉が開いた。

 闇の中からすっと一本の腕が差し出される。それは、何度も見たはずの誰かのものに似ていた。僕はそれを手に取った。暗闇の中は生温かかった。


 回送列車は懐かしい道を進んでいく。この道はきっと、あのトンネルへ続いている。

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