第5話 新米探偵の結婚

 神一は高校を卒業して社会人になり、父の探偵の仕事を手伝っていて、真王は高校三年生になっていた。

 二人は、一年前から鳳道場の敷地内の竹林の中で、風の技の腕が鈍らないようにと修行を始めていて、互いに空手と風破(かざは)を融合させた格闘術を完成させていた。

 真王の卒業を待って、二人が結婚する事を親達も認めたことで、彼らは同棲を始めたが、まだ最後の一線は越えていなかった。

「神ちゃん、朝ごはん作ってあるから後で食べて。学校へ行ってくるね」

 神一は、夜中まで探偵の監視の仕事をしていた為、まだ布団の中にいて、夢心地で真王の声を聞いていた。

 彼は、午前十時頃に起きだすと、真王の作った朝食を食べて隣の事務所に入っていった。

「神一、昨日動きはあったか?」

「特にありませんでした。今晩も張り込みます」

 彼は今、浮気調査を担当していて、夜の調査が多く生活が不規則になっているのだ。浮気調査は、十九歳の彼には少し刺激が大きすぎる案件だったが、これも社会勉強だと父が決めた仕事だった。

 報告が終わると、階下から漏れてくるコーヒーの香りに誘われるように、喫茶ウインドに入っていった。

「神ちゃん、どう、仕事は慣れた?」

 四十過ぎで、独り者の美人ママ、風花(ふうか)がコーヒーを出しながら神一に笑顔を送った。彼女は、アパートのオーナーでもあり、この店は、夜になるとスナック喫茶となって、酒中心のメニューになる。

「ぼちぼちですね。仕事は面白いですが、時間が不規則だからそれが難点かな」

 厨房には、風太郎(ふうたろう)と言う五十前の男が入っていて、元やくざとかで、顔は怖いが、話すと案外優しい人物である。裏稼業の情報に詳しいので、神一も、時々世話になることがあった。

 他に、警察の風間(かざま)警部、おかまの風子(ふうこ)、ホステスの風音(かざね)などが、此処の常連である。

 神一は、コーヒーを飲み終えると、五月の爽やかな風が吹く戸外へと出て、暫く考え事をしながら街を歩いた。彼は、これから戦わねばならないであろう、風の使い手達の事をしきりに考えていたのである。


 それから数日が経って、事務所で仕事をしている神一の携帯に電話が入った。それは警察からで、真王が乱闘騒ぎを起こしたとの事だった。神一は、慌てて、警察署に急行した。

 取調室の一室に入ると、真王が怒りをあらわにして担当刑事に噛み付いていた。

「あ、神ちゃんひどいのよ。友達がいじめられていたから助けてあげたのに、この人達私が悪いというの」

「婚約者の風といいます。何があったんです?」

 神一は、丁寧に頭を下げてから若い刑事の横に座った。  

「実は、お友達が、チンピラに絡まれていたのを真王さんが助けたんですが、相手の四人の男をボコボコにしてしまったんです。全員、今病院ですが、重傷者はいません。彼女は空手の有段者ですので、過剰防衛だと注意したんですが、私は悪くないと言って聞いてくれないんですよ。確かに先に暴力を振るったのはチンピラの方なんですけどね」

 若い刑事は困り顔で神一に言った。

「そうですか、私からもよく言って聞かせますので、今日の所は返してもらえませんか?」

「そうしてください。今回は、相手が相手ですし告訴はされないと思いますが、学校もあと一年でしょう。退学になる可能性だってありますからね」

 真王は、納得いかない様子だったが、神一に無理やり頭を下げさせられて、帰してもらうことが出来た。

 家に帰って二人で食卓を囲み、食事をしながらも真王は機嫌が悪かった。

「真王、機嫌を直せよ。納得いかないのも分かるけど、怪我をさせてしまったのはまずかったな。僕たちは、空手だけでも普通の人より強い力を持っている。まして、風の力の事を考えると、今回の事はお互い良い教訓になったと思うよ」

「なんで?」

「俺たちと同じ力を持っている者同志が戦ったらどうなる? 恐らく命のやり取りになってしまうだろう。こっちも負けるわけにはいかないし、勝って相手を殺してしまったら犯罪者になる。そこまでいかなくても重傷を負わせただけで捕まってしまう。そうならないように三つの秘伝書を手に入れる事は至難の業ともいえる。相手を傷つけずに屈服させる力を付けておかないと、この戦いには望めないという事だ。お互い、もっと修業が必要だね」

「ほんと難しいね。でも、戦って相手が互角以上なら全力でぶつかるしかないわよね」

「その時は、腹を決めるしかない。万一の時は、秘伝書を始末した時点で自首するさ」

 二人は、自分たちがやろうとしている事が、どれだけ大変な事かに思い至ると沈黙してしまった。

 二人はベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。神一が、彼女の布団の中に潜り込んで来た。

「なに?」

「おいで」 

 二人は、修行でボロボロになった時のように抱き合って、互いの温もりを感じながら眠りについた。


 ある日の事、久しぶりに、鳳さやかが神一達の部屋に訪ねて来た。彼女は、卒業して父の道場を手伝っていて、世界チャンピオンを出した道場と言うので入門者も増えていた。

「実はね、一週間前の事なんだけど、ガラの悪い不動産屋が再三やって来て、うちの道場の敷地を売ってくれと言ってきたの。当然、父は断ったんだけど。その次の日から、道場の前にやくざみたいなのが何人か現れて、道場へ来る生徒を脅して嫌がらせをするようになったのよ。お陰で生徒たちが怖がって、開店休業状態になってしまっているの」

「警察に言ってもだめなんですか?」

「警察が来たら居なくなるんだけど、帰ると何処からかまたやってくるの。しつこい奴らよ」

 さやかは、苛立つように言った。 

「少し黒幕を調べてみるよ」

「ごめんなさい。ほかに相談する人がいないから」

 次の日の夜、神一と真王は、鳳道場の様子を見に行った。案の定、やくざっぽいのが五人ほど門の前にたむろしていた。

「道場に何か用かい? 邪魔だからそこをどいてくれませんか」

 男達は、不敵な笑いを見せて、二人を睨みつけてきた。

「あなた方は強いんでしょう。僕と勝負してみませんか?」

「なにぃ!」

 一人の男が、神一の胸ぐらをつかんだ。

「五人束になっても僕を倒せないだろうけど。いやなら、尻尾を巻いて帰るんだな」

 神一の挑発に乗って、男達は、神一に殴りかからんばかりの勢いで道場に入ると、防具を付けさせられた。

 彼らは神一を取り囲み、思い思いに殴りかかって来た。神一はポーンとジャンプしながら回転回し蹴りで五人の頭部をポコポコと蹴ると、男達はバタバタと倒れた。

「なんだ、もう終わり?」

 男達は面やグローブを投げ捨てると、刃物を取り出し、怒り狂った形相で神一に襲い掛かった。神一が、先頭の男に強烈な前蹴りを浴びせると、将棋倒しに三人ばかり吹っ飛んだ。更に、残りの二人の刃物を手刀で叩き落し、胴を全力で蹴った。男達は身体を痙攣させて伸びてしまった。

「真王、こいつらの目を覚まさせてやってくれ。加減しろよ」

「了解!」

 真王は、一人一人の身体に触れて電撃を浴びせた。男達は、「ギャーッ」という悲鳴と共に目が覚めて、目をぱちくりさせていたが、痺れる身体を引きずって我先にと逃げていった。

「真王、後をつけて、黒幕の所へ乗り込もう」

 神一達は、「気を付けてね」と、心配顔のさやかに送られて外へ出た。

 二人は、辺りを見回して誰もいないのを確認すると、風を起こし、ふわりと宙に舞い、風を巧みに操って徐々に高度を上げながら、彼らの車を追った。

 車は二十分も走ると一つのビルの前に止まり、彼らはそのビルの中へと入っていった。


「真王、此処の奴らは、少々痛めつけてもいいぞ。後ろから援護してくれ」

「分かった」

 階段を上がった所に不動産屋があって、神一達が入ると、先ほどの男達が怯えた顔で二人を見た。

「社長はどいつだ!」

 神一が大声で怒鳴ると、奥から、四五人の用心棒を連れた、小太りの厳つい男が顔を出した。

「俺が責任者の大木だ。若いの、中々威勢がいいが大人をなめちゃあいかんぞ。おい、かわいがってやれ!」

 用心棒風の四人が、日本刀やらピストルを持って神一にドッと迫った。次の瞬間、パシッ、パシッと神一の手から数発の風破(かざは、風の衝撃波)が放たれると、男達の悲鳴と共に日本刀が弾かれて、部屋に風がボウと吹き荒れ、三人の用心棒は床に倒れ伏した。

 残った一人がピストルの引き金を引こうとした瞬間、パチンコ玉がその手を打ち抜き、もう一発が男の眉間にめり込んで、ポトンと落ちた。男は気を失ったのか、ドサッと無防備に後方にひっくり返った。

 入り口のドア付近に立っていた真王が、パチンコ玉を使った風御(ふうご、風で物体を動かし攻撃する技)を放ったのだ。

 風の衝撃で部屋は、机や椅子が倒れ、物が散乱して地震の後のようになっていた。


 大木と名乗る男は、見慣れぬ技を使う神一達に恐れおののいて、腰を抜かしてしまった。

「鳳道場を売る気はありません。手を引いてくれますね?」

「わ、分かった。言うとおりにさせてもらいます」

 大木は、汗をだらだら流して顔色を失っていた。

 二人はビルを出ると、風と共に消えていった。その後、鳳道場への嫌がらせは、ピタリと止んだ。


 神一は、真王が学校から帰るのを待って、二人で鳳家の裏山を借りて、風の技を磨いた。相手の力の分からない今は、自分達の限界を超える修練を積むしかなかった。激しい修行は、二人の身体を疲労させて、顔つきまで変わってくると、周囲からどこか悪いのではないかとか、同棲している事を知っている者からは、夜の営みが過ぎるのではと言われたが、二人は笑って誤魔化していた。

 そして、数カ月が過ぎると、真王は高校を卒業した。風の修行の方も、ある程度の成果を収めて終わった。

 新緑が芽吹く五月に入って、神一と真王は入籍し夫婦となった。特に式は行わず、両親が北海道への新婚旅行をプレゼントしてくれた。二人にとっては初めての旅行だった。

 大阪空港から、北海道の旭川空港へと向かい、そこからバスで、観光しながら最北端の離島、利尻島へと向かった。

 真王も二人だけの旅が嬉しいのか、子供のようにはしゃいでいた。その日は、利尻の小さなホテルに泊まることになった。

「疲れただろう。今夜は早めに休もうよ」

「大丈夫よ。夕食までには時間があるから、近くを散歩したいな」

 二人は、少し寒かったが、腕を組み、寄り添って、利尻の海沿いを歩いた。

「私、あなたの奥さんになれて幸せよ。なんだか夢みたい」

 彼女は、神一の顔を見ながら、少し吊り上がった大きな目を輝かせた。

「僕もそうさ、これで、普通の生活が待っているんだったら、言う事無いんだけどな」

「今は、旅行を楽しみましょう。先の心配をしても始まらないわ」

「そうだね」

 その夜、二人はベッドに入ると、どちらからともなくキスをして抱き合い、愛し合った。初めてのそれは、ぎこちなさはあったが、二人は熱い思いをぶつけ合うように激しく燃えた。


 次の日、そびえたつ利尻富士に別れを告げ、稚内へと向かうと、そこで、思いがけない人物に出会った。それは、空手の全国大会で対戦した、土鬼帝(つちきみかど)だった。

「久しぶりだな、覚えているか?」

「勿論です、土鬼さんですね」

「この前の借りを返したい。時間はあるか?」

「今、新婚旅行中なんで、今回は無理ですね」

「お前が俺の事を調べている事は分かっているんだ。その理由を聞きたい」

 土鬼が神一に詰め寄ると、真王が、口を挟んだ。

「神ちゃん、どうせ話す必要があるならいい機会じゃない。私はいいわよ」

「それはそうだけど……。本当にいいのか?」

 真王は、コクンと頷いた。

「よし、それじゃあ、あなたの家にお邪魔したい」

「いいだろう。あの車に乗ってくれ」

 三人は、土鬼のジープに乗って彼の家へと向かった。

 神一は、土鬼と火王と水神が風の使い手で、自分たちが戦わなければならない相手である事を、源爺から聞いて知っていただけに、新婚旅行中に、その土鬼と出くわしてしまった事に戸惑いを隠せなかった。そして、真王の両親の死の真相を、いつ打ち明けるべきかと思い悩んで、何も知らずに車窓から景色を楽しんでいる、彼女の横顔を見つめていた。

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