第3話 新しい生活

  神一が大阪の天王寺駅に着くと、母、正子が迎えに来ていた。彼女は、改札を通る多くの人の中に神一を見つけると、笑顔で駆け寄り、鍛え抜いて頼もしくなった我が子を眩しそうに見た。

「神一、大きくなって……」

 四年ぶりに会った母は、山仕事をしていた時とは、あか抜けていて綺麗になったと神一は思った。

「父さんも元気でやっているの?」

「元気よ、成長したお前を見たら喜ぶと思うよ」

 神一は、母と共に電車を乗り継いで、とある駅に降りたった。そこから歩いて、繁華街を抜けた町外れに、両親の住むアパートがあった。一階は喫茶店で二階の端の部屋の前に立つと、“風探偵社”の看板が掲げられていた。部屋の中に入ると、一番奥の机で仕事をしている父の姿が見えた。

「お父さん、神一ですよ」

「おう、神一、風の技を習得出来たそうだな。ええ顔つきになった」

 父は、我が子の顔をしげしげと見つめて、労うような優しい表情を見せた。

「父さんも母さんも、僕が風の修行してきたことを知っていたの?」

「ああ、父さんたちも、小さい時から風の修行をしていたんだが、大した力は付けられなかった。源爺から聞いたと思うが、大変な役目をお前たちに託すことになってしまって、

申し訳ないと思っている。出来るだけのサポートはするからな。隣の部屋がお父さん達の部屋で、次の三号室がお前の部屋だ。自由に使うといい」

 神一は、早速、自分の部屋に入って荷物を解き、室内を見て回った。キッチンも、お風呂も完備されていて、今までの田舎生活とは違う便利すぎる街の生活は、何か落ち着かないように神一には感じられた。


 大阪での高校生活がスタートして、神一は身体が鈍らないようにと、空手部に入った。風の修行は場所を選ばなければ出来ないし、武道をしておけば、実戦の為の訓練にもなると思ったからである。

 厳しい風の訓練で鍛え上げられた、神一にとっては、空手の稽古も遊びのようだったが、防具を付けての試合は、興味深かった。やるかやられるかの真剣勝負の感覚を身に付けて、半年もすると、先輩達でも神一に勝てる者はいなくなった。そして、秋になって、府の大会に神一が出ることになったのである。

 大阪中から強者があつまっていたが、彼は順調に勝ち上がり、あれよあれよという間に決勝戦迄勝ち上がっていった。

 決勝の相手は、三年の水神天真(みずがみてんま)、貴公子の様な風貌の彼はこの大会で一番人気があって、黄色い声が飛び交った。

 彼の拳はキレがあり凄まじい気迫があった。試合開始と共に、拳が、蹴りが神一を次々と襲ってくる。それをかわしながら神一も拳を繰り出すが、簡単にかわされてしまった。明らかに今までの相手とはレベルが違った。

 双方決め手がないまま残り時間が少なくなった、その時。天真の拳と神一の蹴りが同時に炸裂し、天真は踏みとどまり、神一は、ドッと後ろに倒れた。判定は天真に上がった。神一の蹴りより早く、天真の拳が神一の顔面を捕らえていたのだ。

 負ける気のしなかった、神一のショックは大きくて、「くそっ」と拳で床を打った。悔しさで頭が一杯の神一に、女子の部で優勝した、同じ学校で二年の鳳さやかが背中をポンと叩いた。

「凄いね。一年生で全国大会出場だよ!」

「えっ、そうなんですか?」

「出場枠は二名だから、間違いないわ。天真さんは負け知らずだそうよ、相手が悪かったわね」

 神一は、全国大会という、天真と再び戦うチャンスがある事に喜び、その日から稽古に余念がなかった。しかし、学校では神一に敵う者はいない。強い者と戦わなければ強くなれないと思った神一は、近くの空手道場の門を叩いた。

 そこは、空手部の先輩、鳳さやかの父の道場だった。鳳師範は、「ほう」と言って神一の顔を、鋭い目でじっと見た。

「それ以上強くなってどうするんだい。君は空手以外にも、何か格闘技をやっているね。それも達人級だ」

 神一は、自分の事を見透かされた気がして、一瞬驚いたが表情は変えなかった。

 何事も、達人の域にある者には、通じるものがあるのかと神一は思ったが、本当のことを言う訳にもいかず、空手の全国大会で勝ちたい相手がいるから教えを請いたいと頭を下げた。

「いいでしょう。それでは、うちの師範代と勝負してもらって、君の実力を見せてもらおうか」

 師範代と言うのは、娘のさやかのことだった。空手部では、男女で試合をする事が無かったので神一も彼女と戦った事は無かった。二人が防具を付けると、試合が始まった。彼女も師範代と言うだけあって動きは速く、最初は一本取られ、二回目は神一が勝った。

「相手が女だからと言って遠慮しているのかな? 君は、力をセーブしすぎているように思うんだが、どうだ。空手の経験が浅くても、今の君ならもっと強いはずだ」

「自分では、全力を出しているつもりですが……」

「それは、無意識にセーブしているんだと思う。君の技を見せてもらう訳にはいかないかな?」

「……」

 神一は、どうしたものかと迷ってしまったが、この人は信用できるとも思った。

「では、先生にだけお見せします。二人だけにしてください」

 さやかが道場を出ていくと、道場の隅に吊ってあったサンドバッグ目掛けて神一は風波を放った。師範には、軽く掌をサンドバッグに翳しただけのように見えたが、サンドバッグは真っ二つに裂けて飛び散った。

「こいつは凄いな……。力をセーブするわけだ」

「壊しちゃってすいません。この事は誰にも言わないでほしいのです。信頼できると感じたから先生にだけお見せしました」

「世の中には、不思議な技があるもんだな。他言しないと約束しよう」

 神一は師範から、みっちり空手の技を学んだ。間合い、相手の動きの予測、そして、無意識にセーブしていた心の開放の練習に励んだ。


 それから、ひと月後の十二月に、空手の全国大会が東京の武道館で行われた。 

 全国大会となると更にレベルが高く、熱い戦いが続いて、最後に四人が勝ち残った。神一、天真、九州の火王勝(かおうまさる)北海道の土鬼帝(つちきみかど)である。神一は、彼らに同じ匂いを感じていた。もしや彼らこそ、水、火、土、の使い手ではないかと思ったのである。

 準決勝の第一試合は火王と土鬼の対決となった。火王は、闘志むき出しの拳士で、攻撃は正攻法でその気迫は群を抜いていた。一方、土鬼は、身体全体から異様な雰囲気を醸し出していて、その動物的ともいえる変則な動きで相手を翻弄した。彼らの戦いは壮烈を極めたが、判定の末僅差で土鬼が勝利した。

 第二試合では、貴公子のような水神天真の高速の拳と、リベンジに燃えて少し気負ってはいたが、全力を開放できるようになった神一との因縁の闘いだった。

 試合が始まると、天真の目は鋭くなって、表情が変わった。神一は、府の大会での彼とは違う何かを感じていた。

 二人は開始早々から渾身の技をぶつけ合って、両者一歩も引かぬ互角の戦いを展開した。

 手に汗握る戦いは、残り三十秒までもつれ、延長戦かと思われた次の瞬間、天真の高い右回し蹴りが神一の頭部を襲った。神一は、その蹴りを体勢を低くしてかわしたが、間髪を入れず、天真の後ろ回し蹴りが、唸りを上げて神一の顔面を強襲した。

「何!」神一は必死で避けたが、天真の足が神一のフェイスガードに接触すると、激しい衝撃が走り、彼は尻餅をついてしまった。神一は、あわてて審判を見たが、審判の手は上がらなかった。

 神一がヒヤリとしながらも、闘争心に火が付いて、猛然と、蹴りや突きを連続して繰り出すと、天真はじりじりと後退し始めた。

 次の瞬間、引いたと見せた天真は一気に勝負に出た。ポーンと飛び上がると、空中で右、左、右と、一気に三回の蹴りを放つ三段蹴りの大技をくりだしたのだ。だが、同時に飛び上がった神一も三段蹴りで応選していた。空中で互いの足がぶつかり合い、バシッ、バシッ、バシッと鋭い音が響いた。

 その刹那、神一の身体は更に高く上がって、四回目の蹴りが天真の顔面を捉えた。神一の脅威の四段蹴りが決まったのだ。

 天真は後方に大きくのけ反って倒れ、彼のファンの女性たちの黄色い声が、悲鳴に変わった。

 神一は、天真に勝てたことが嬉しくて、大きくガッツポーズを決めた。

「お前とは、何時か決着をつける日が来るだろう」

 天真は顔色も変えずに、そう言って背を向けた。

 そして、決勝戦では、神一と土鬼の戦いとなった。

 土鬼の動きは、変則で、蹴りかと思えば拳が飛んできて、突きかと思えば高い回し蹴りや前蹴りが神一を襲って来た。神一は、タイプの違う相手に攻めあぐねていたが、攻撃をかわしながらも、その動きを分析していた。

 変則的な攻撃に惑わされないで見ていると、フェイントの後の本攻撃直後に隙を見出すことが出来た。

 神一は、土鬼が回し蹴りと見せて、正拳突きを繰り出してきた刹那、瞬時に飛びあがると横に回転しながら相手の顔面に蹴りを入れた。土鬼は咄嗟に両腕でガードしたが、神一の蹴りの威力に押され、グラッと体勢を崩した。神一は着地するなり、渾身の前蹴りを土鬼の胴に炸裂させると、土鬼の身体は数メートルも飛んで倒れた。「それまで!」審判の声が上がり、神一は、一年生で全国優勝するという快挙を成し遂げたのである。

「なかなかやるな。いつかまた勝負しよう」

 不敵な笑いを残して土鬼は去っていった。

「神一君、修行の甲斐があったね。おめでとう」

 鳳さやかが満面の笑みで神一を迎えた。彼女も女子の部で準優勝していた。

「鳳先生のお陰だよ。今回は勉強になった」

 さやかは、一つ年上ではあるが、毎日彼女の道場で顔を合わせていた事もあって、二人は仲が良かった。

 神一は、彼女と会うたびに、田舎の真王の事を思い出していて、こんなところを真王に見られたら大変だと、後ろめたさを感じていた。そんな彼の表情を彼女も感づいていたのか、帰りの新幹線の中で、隣に座っていたさやかが話しかけてきた。

「神一君、あなた、好きな人がいるでしょう」

「えっ……」

 神一は、一瞬ドキッとして彼女の顔を見た。

「私と話していても、他の誰かのことを考えている時があるよね。それって、彼女じゃないの?」

「……先輩だから言いますが、実は、和歌山に婚約者がいるんです。この春には大阪に来て、同じ高校に入ってきます」

「婚約? 十五歳の女の子と……」

 彼女は、目を丸くして神一を見つめた。

「中学生と婚約なんて、ちょっと早すぎますよね。高校を卒業したら結婚するつもりなんです」

「そうだったの。早くその子に会ってみたくなったわ」

 彼女は、そう言って黙り込んでしまった。

 次の日登校すると、朝礼で、全国大会優勝を校長から発表されて、神一は学校の人気者になった。

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