感染性コウレイ者問題

砂鳥 二彦

第1話

 歳をとって死にたくない。それが今や世界の標準となっていた。


 その理由はコウレイ者、65歳以上の高齢者が死ぬことによって発生する凶暴なお化け、ゴーストが原因となっている。


 コウレイ者の対応は『コウレイ者及びゾンビ対策局』の仕事。つまりその下請けをしている日下部幸太郎(ひかべこうたろう)も無関係ではなかった。


「日下部、この仕事をして何年になる?」


 国から支給されたどんよりと青いSUVの後部座席に乗っていた日下部は、前の助手席に乗っている石川哲(いしかわてつ)という局員に声を掛けられた。


「自分はまだ2年です。専門学校を出てすぐに仕事をしてますから」


 日下部は使い慣れない敬語で石川に言葉を返した。


 今、日下部が2人の局員と共にSUVに乗っているのはワケがある。その理由は外から聞こえるスピーカーの音声が教えてくれていた。


『町内の皆さん、今日14時より老人の死亡が確認されました。老人は72歳、強いコウレイ者を発生させた疑いがあります。この音声が聞こえる付近の住人は外出せず、屋内に待機していてください』


 コウレイ者は最近世界を騒がしている、お化けだ。主に65歳以上の死亡者から発生したアストラル体といわれるエネルギーの塊で、ひどく凶暴だ。


 姿かたちは元となる高齢者に似ているが、根の腐った絵描きのように歪んだ輪郭をしている。だから多くの人間はコウレイ者をお化けと呼んで怖がっていた。


「嫌だ嫌だ。この超高齢化社会にお年寄り専門のお化けだなんて、まるで国の政策の都合みたいに年寄りを選別して何が楽しいのかね」


 石川がウィンドウを開けて外の空気を吸っていると、運転席の女性が意見した。


「ですが石川さん。今回の老人、72歳で死亡した田中正吾さんは些(いささ)か自分の管理に無頓着(むとんちゃく)だと思います。普通65歳以上の老人は国に体調を監視されるのが当たり前ですし、何より老人ホームで監視下にあるのが通常です。今回のケースだと、田中さんは孤独死したという『レア』なケースですよね」


「ああ、どうやら田中さんは国に管理されるのを嫌がったアウトローだったようだ。しかも家族ともあまり連絡せず、そのおかげで発見は異臭からの通報だ。遅れた分、コウレイ者の放浪範囲は広いぞ。夜まで残業は覚悟しておけ、前橋」


 運転席にいる前橋と呼ばれた女性は黒髪のボブカットに黒縁の眼鏡をしていた。


 前橋、前橋京子(まえばしきょうこ)。彼女は日下部と幼馴染の女性で、公務員と下請けという役割の違いがあっても、同じ仕事をしている仲だ。


 前橋は基本的に頭が回るインテリの参謀役だ。前橋は運動は音痴だし、背も低いし、何もない場所でこけたりもする。だから日下部のような下請けがガードとして入らなければならなかった。


「おう、日下部よ」


「なんでしょうか?」


 日下部はミラー越しに石川から声を掛けられた。


「俺は対コウレイ者訓練も実戦の経験もあるが、いざとなれば日下部のような若者が頼りだ。大丈夫だよな」


 大丈夫か。それはちゃんと動けるか、ちゃんとコウレイ者を処分できるか、という意味だ。


「自分は今回が初めての出動ではありません。それに奥の手があります。任せてください」


「奥の手、か。若者がこうして頼りがいがあると、おじさん泣いちゃうね」


 石川は軽口を叩きながら前方に視線を戻した。


「おい、待て。止めろ、前橋」


 石川は視線を前に戻してすぐ、光景の異常に気付いた。


「――とと」


 前橋はゆっくりとアクセルを踏んでいたのを、やや急ブレーキにして車を止めた。


「あそこのマンションの生垣、コウレイ者じゃないか」


 コウレイ者は肉眼で見えない。そのため、車の上部にはネオンサインという巨大な投光器がついている。


 仕組みは、アストラル体であるコウレイ者はエネルギー体だけではなく希ガスを纏っているため、その希ガスを可視化する光を浴びせるのだ。


 そのおかげで約80メートル先とはいえ、コウレイ者の姿ははっきりと視えていた。


 コウレイ者はネオンの光で青白い煙のように浮かび上がっていた。身長は2メートルほどで明らかに生前よりもガタイがいい。


 その一方で、高すぎる身体に反した細すぎる身体は、栄養失調のような印象を与えた。


 石川は車に搭載されていた無線を開き、各員に指示を出した。


「こちら石川。○○町××番地2丁目のマンションでコウレイ者を発見。付近の所轄局員は集合しろ。包囲するぞ」


 石川は指示を追えると、車から降りた。


「装備はB装備だ。急げ、前橋、日下部」


「はいっ!」


 前橋は元気よく反応し、日下部の方は低い声で応じた。


 石川は車のバックドアを開き、対コウレイ者用アサルトタイプの放電銃(アークガン)を手に取る。その他にも実弾を打てる短機関銃、拳銃も装備した。


 前橋と日下部も、遅れて同じ装備を着用した。


「所轄の局員と共に包囲してから攻撃を仕掛ける。あまり近づきすぎてコウレイ者を刺激するな」


 石川を先頭にトライアングルの形で前橋と日下部は後に続く。


 距離は約30メートルまで詰め。その間に別々の場所から所轄の局員も現れた。


 所轄の局員の装備は拳銃型のアークガンかテーザーガンだ。実銃の拳銃も持っているが、こちらはエネルギーであるアストラル体のコウレイ者には無意味なため、別の用途に用いる。


 石川と所轄の局員は3方向からコウレイ者に近づき、間もなく攻撃開始の合図が出されようとしていた。


「う、うわあああっ!」


 突然誰かの声が上がったかと思えば、声の主は何とマンションから出てきた住人だった。


 町内放送が聞こえなかったのか、はたまた無視したのかは知らない。ただ無防備な状態で生垣のコウレイ者と対面してしまったのだ。


「――っ! 馬鹿が」


 ――キシャアアアアアアアッ!


 コウレイ者は無貌(むぼう)の顔をマンションの住人に向けると、猫のような声質の高い悲鳴を上げた。それが、コウレイ者の威嚇の声だ。


 石川は合図をする間も惜しんで、アークガンの放電を開始した。


 アークガンから飛び出した青と黄色の閃光がコウレイ者の動きを一時的に止めるも、行動を完全に抑えるのは叶わなかった。


「しまっ……! ゾンビ化するぞ」


 石川の目の前で、コウレイ者がずるりとマンションの住人の中に入り込んだ。


 それはまるで新しい宿を見つけたヤドカリのような俊敏さで、誰にも止められなかった。


「あっ! ……ああああ」


 マンションの住人は叫びを上げる間もなく、身体が硬直した。


 そしてマンションの住人は白目を剥き、手足を痙攣(けいれん)させて、空を仰いだ。


 次に日下部らに視線を向けた住人の姿は、もはや普通の人間ではなくなっていた。


 マンションの住人の身体は変身していた。両腕は肩甲骨から飛び出してカマキリのような鋭い刃を持ち、足は逆関節に曲がりくねっていた。


 胸部の部分は外に大きく広がり、内臓が丸見え。しかも本人の下顎は開いて、まるで虫の口を想像させた。


「この人で無しの、ゾンビめ!」


 石川は短機関銃に持ち替えると、コウレイ者に憑依されて変身したマンションの住人を、撃った。


 マンションの住人、いやゾンビになり下がったそれは銃弾を浴びると身体中に赤い点を咲かせ、穴からは鮮血が零れ落ちた。


 所轄の局員も実弾の拳銃で狙うも、ゾンビは簡単に倒れない。代わりにその脚力をもってして、石川に飛び掛かったのだ。


「ぐ、ああああ!」


 石川はゾンビの体当たりを避けられず、組み伏せられる。更にゾンビの鋭い顎がそのまま、石川の喉を噛み千切ったのだ。


 石川は喉笛を噛み切られて呆然とするも、自分の死を悟り覚悟を決めた。


「あ、と……ま……せ、ぞ」


 石川は途切れ途切れに呟くと、腰から手りゅう弾を取り出し、躊躇(ちゅうちょ)なくピンとレバーを抜いた。


 ――ドオンッ。


 3秒後、閃光と爆発により土煙が起こった。


「石川さん!」


 前橋と日下部が声を掛けるも、石川の姿はない。その代わりに肉の散乱した場所から再び現れたのは、アストラル体のコウレイ者だった。


「くそっ。石川さんの敵!」


「待ってくれ、前橋」


 アークガンを手にコウレイ者に近づこうとした前橋を、日下部が止めた。


「止めないでよ、日下部君! アイツは……アイツが!」


「後は任せてくれ、前橋。本当は最初から俺が先頭に立つべきだったんだ。ここからは、俺の仕事だ」


 日下部は前橋を後ろに下げて、コウレイ者と相対した。


 コウレイ者はその体躯から日下部を見下げ、うっすら笑っているようにも感じられた。


「喧嘩を売ってるな。喧嘩を売るなら買ってやる、俺のおじいちゃんがな!」


 日下部は全身に力を入れると、身体から青い蒸気のようなものが噴き出す。それは形を成すと、コウレイ者と同じ人の形をしていた。


 ただ日下部の方のコウレイ者は身長が約3メートル、その上て足も長く、頭には王冠のようなものを被っていた。


「田中正吾。アンタは72歳だが、俺のおじいちゃんは113歳だ。年季が違うんだよ」


 日下部のコウレイ者は、田中のコウレイ者に対して腕を払うように攻撃する。


 田中のコウレイ者は腕の攻撃を両腕でガードするが、接触の瞬間、田中のコウレイ者は身体を真っ二つにされてしまった。


 日下部のコウレイ者は追撃のように腕を伸ばすと、田中の高齢者の四散した身体を掴み、顔の前に持ってきた。


「石川さんの敵だ。食べろ、おじいちゃん」


 日下部のコウレイ者は、日下部の命令を訊いたかのように、田中のコウレイ者の四肢を食べ始めた。齧(かじ)り、食らいつき、咀嚼(そしゃく)と嚥下(えんげ)を繰り返した。


 田中のコウレイ者は、そうして影も形も無くなった。


 日下部は最後に、手を合わした。


「ご馳走様」




 世界に溢れた老人に呼応するかのように死後発生するコウレイ者。世界は65歳以上の死の管理を急務とするようになった。


 老人ホームの国営化、65歳以上の体調管理の原則化、発足された『コウレイ者及びゾンビ対策局』が設置される。


 更にコウレイ者についての研究もされた。


 近代スピリチュアルリズムの観点からの研究だけではなく。自動筆記や霊界通信、チャネリングという霊との交信も行われた。


 また研究の副産物として、コウレイ者を守護霊のように付き従わせる人間も現れた。


 それが憑依者、コウレイ者を付き従わせる人間の出現だ。


 だが何故憑依者がコウレイ者を操れるのか、安全に使用できているのかの確証はない。


 そのため憑依者もまた国に管理され、コウレイ者関係以外の仕事ができないのが現実である。


 コウレイ者問題、近年騒がれるその話題はどの国にも関係なく、世界に蔓延(まんえん)している。

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